第25話 永遠の監視者
王都の北外れに、古びた修道院がある。かつては王族が祈りを捧げる場所だったが、今では世捨て人のための幽閉施設として使われていた。そこに、一台の馬車が静かに到着した。
「……ここが、私の新しい住まいか」
馬車を降りたユリウス・アウルムは、灰色の石壁を見上げて力なく呟いた。その背中は丸まり、かつて「革命の英雄」と呼ばれた覇気は見る影もない。
「ええ、殿下。静かで良い場所でしょう?」
私は馬車の扉を閉め、彼に微笑みかけた。
「王宮の喧騒を離れ、亡き父君を弔いながら余生を過ごす。……元老院も、貴方の『高潔な隠居』を称賛しておりましたよ」
「隠居……。追放の間違いだろう」
ユリウスが自嘲気味に笑う。そうだ。これは事実上の流刑だ。セオドア王の精神不安が悪化し、レオンハルトという次代の光が生まれた今、過去の遺物であるユリウスは邪魔でしかなかった。だから私は、「王家の安寧を祈る」という名目で、彼をこの鳥籠へ押し込めようとしている。。
「シリル。……一つだけ聞きたい」
修道院の重い扉が開かれる直前、ユリウスが振り返った。その瞳には、恨みでも怒りでもなく、純粋な疑問が宿っていた。
「君は、最初からこうするつもりだったのか?私を改革の神輿に担ぎ上げ、用が済んだら捨て、国を乗っ取るつもりで……?」
「……誤解しないでください。私は国を乗っ取ってなどいません」
私は彼に歩み寄り、衣服の乱れを直してやった。
「私はただ、貴方が望んだ『理想』を形にしただけです。……民は飢えず、国は富み、争いはなくなった。私の支配下で、この国はかつてない黄金期を迎えている。違いませんか?」
ユリウスは、屈辱に唇を震わせた。
「……だが、そこに私の居場所はない」
「ええ。貴方は『種を蒔く人』でした。ですが、収穫をするには貴方の手は綺麗すぎた。……だから私が代わりに鎌を振るったのです」
ユリウスは私の目をじっと見つめ、そしてふっと息を吐いた。それは、長い戦いが終わったことを受け入れる、敗北者の吐息だった。
「……そうか。私は、君という怪物を世に放つための、ただの鍵だったのだな」
彼は視線を逸らし、私の後ろに立っていたアルフォードを見た。かつての忠実な騎士。今は、怪物の共犯者。
「アルフォード。……君も、それで良かったのか?誇り高き騎士が、こんな男に魂を売って」
「……殿下」
アルフォードは痛ましげに眉を寄せ、しかし真っ直ぐに元主君を見つめ返した。
「私は、後悔しておりません。……シリルは非道ですが、彼が守った平和は本物です。私の娘も、孫も、彼の庭で幸せに笑っている。……それ以上の『正義』を、私は見つけられませんでした」
「……そうか」
ユリウスは寂しげに微笑んだ。唯一の友さえも、もう自分の声が届かない場所へ行ってしまったのだ。
「元気でな、二人とも。……セオドアと、レオンハルトを頼む」
それが最後の言葉だった。ユリウスは修道士に促され、鉄扉の向こう側へと消えていった。重い音を立てて扉が閉ざされる。二度と開くことのない、歴史の墓場の扉が。
帰りの馬車の中。アルフォードはずっと無言で窓の外を見ていた。彼の中で、一つの時代が終わったのだ。青春を捧げた主君との別れ。それは、彼自身が「正義の騎士」としての自分を完全に葬り去った瞬間でもあった。
「……寂しいですか、アルフォード」
「……いや。これで良かったのだ」
アルフォードは自分に言い聞かせるように呟いた。
「殿下はもう、苦しまなくて済む。政治の泥にまみれることも、息子に絶望することもない。……祈りの中で静かに暮らすのが、あの方にとって一番の幸せなのかもしれん」
「ええ。その通りです」
私は彼の手に自分の手を重ねた。
「彼は守られたのです。私という『永遠の監視者』によって、外敵からも、自分自身の無力さからも隔離された聖域で、美しい思い出と共に生きていけるのですから」
「……お前は、どこまでも物事を、自分に都合よく解釈する」
アルフォードは苦笑し、私の手を握り返してきた。その掌は温かかった。共犯者の温もり。もう二度と離れることのない、血よりも濃い絆。
「さあ、王宮へ戻りましょう。レオンハルト殿下が待っています」
「ああ。……あの子には、こんな別れを経験させたくないものだ」
「させませんよ。私がついている限り、彼の人生は光に満ち溢れています」
馬車は王都へ向かって走り出した。背後の修道院は、夕闇に溶けて見えなくなった。「正史」の主人公は退場した。これから始まるのは、私が手塩にかけて育てる「覇王」の物語だ。




