第24話 祖父としての安らぎ
柔らかな春の陽射しが、離宮のテラスに降り注いでいた。そこには、この国で最も心温まる光景があった。
「……よしよし、レオン。笑ったな?」
アルフォード・ヴィルトゥス伯爵が、膝の上で赤子をあやしている。生後数ヶ月になったレオンハルトは、祖父の指を小さな手で握り、キャッキャと愛らしい声を上げていた。その瞳は、アルフォードと同じ透き通るような碧色。かつては常に眉間に皺を寄せていた「憂国の騎士」が、今はただの目尻の下がった「好々爺」になり果てている。
「シリル、見ろ。この子が私の指を離そうとしないんだ」「ええ。お祖父様が大好きなのでしょう。血は争えませんね」
私は向かいの席で紅茶を飲みながら、目を細めた。平和だ。政治の腐敗も、セオドア王の奇行も、ここには届かない。あるのは、英雄と、未来の英雄の幸福な時間だけ。
「……不思議だな」
アルフォードは、愛おしそうに孫のプラチナブロンドの髪を撫でた。
「昔は、国の未来や正義のことばかり考えていた。だが今は……この子が今日ミルクを飲んだか、よく眠れたか、それだけで一日が一喜一憂してしまう」
「それが『守る』ということですよ、アルフォード」
私はカップを置き、静かに語りかけた。
「国家という巨大な概念を守るのも立派ですが……目の前の小さな命の、今日一日の笑顔を守る。それこそが、貴方が本当に求めていた『安らぎ』なのではありませんか?」
アルフォードはハッとして私を見た。そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうかもしれない。私はずっと、何かと戦っていなければならないと思っていた。だが、今は……ただ、この子の寝顔を見ているだけで満たされる」
彼はレオンハルトを抱き寄せ、その柔らかい頬に自分の頬を寄せた。かつて戦場で剣を振るっていた手が、今は世界で一番壊れやすい宝物を守る盾になっている。その姿はあまりに無防備で、そして美しかった。
(完成しましたね)
私は心の中で勝利を確信した。孫という存在は、アルフォードを政治から遠ざけ、私の支配体制を肯定させる最強の「楔」だ。彼がこの平穏を愛せば愛すほど、彼は私の作った箱庭から出られなくなる。なぜなら、箱庭の外には、この子を脅かす敵しかいないのだから。
「――ギャアアアッ!!」
不意に、遠くの王宮から悲鳴のような叫び声が聞こえた。ガラスが割れる音。そして、何かを叩きつける音。レオンハルトがビクリと震え、泣き出しそうになる。アルフォードの表情が一瞬で険しくなり、孫を庇うように抱きしめた。
「……今の声は、セオドア陛下か?」
「ええ。最近、癇癪が酷くて。……気に入らない食器を投げつけておられるのでしょう」
私は淡々と答えた。セオドアの精神崩壊は進んでいる。自分の思い通りにならないことがあると、すぐに物を壊し、使用人に当たり散らす。もはや「無垢な王」ではなく、「暴君の幼生」になりつつあった。
「……あんな状態の王に、この子の未来を任せられるのか?」
アルフォードが鋭い視線を向けてくる。祖父としての防衛本能だ。狂った父親のそばに孫を置いておけば、いつか危害が加えられるかもしれないという恐怖。
「任せられませんね。……だからこそ、私が必要なのです」
私は立ち上がり、アルフォードの隣に跪いた。そして、彼が抱くレオンハルトの小さなおでこに、誓いのキスを落とした。
「安心してください。セオドア陛下の毒気がこの子に届かぬよう、私が完璧な防壁となります。……陛下には、遠くない未来に『ご隠居』願うつもりですから」
「……廃位、か......」
「『譲位』と言ってください。……この子が成人するまでの間、私が摂政として国を守り、その後は彼に王位を継がせる。それが最も安全で、確実な道です」
アルフォードは少しの間沈黙し、そして深いため息をついた。それは拒絶ではなく、同意のため息だった。
「……頼む、シリル。レオンハルトを……私の孫を守ってくれ」
「誓いますよ。我が命に代えても」
アルフォードは私に孫を預けた。その手は震えていたが、もう迷いはなかった。「孫の安全」という絶対的な人質の前では、王への忠誠心など紙切れ同然だ。
「さあ、レオンハルト殿下。お昼寝の時間ですよ」
私は未来の王を抱きかかえ、あやし始めた。アルフォードはその背中を、安堵と依存の入り混じった瞳で見つめていた。もう彼は、剣を取って私に逆らうことはない。この温かい日だまりを守るために、彼は喜んで私の共犯者であり続けるだろう。
庭の木々が風に揺れ、穏やかな午後の光が、歪んだ家族の肖像を優しく包み込んでいた。




