第23話 産声
季節は冬。王城の窓の外には、白い雪が降り積もっていた。だが、王妃の寝室周辺だけは、熱気と緊張に包まれていた。予定日よりも早い陣痛。エレノアのうめき声が、廊下で待つ私たちの耳にも届いていた。
「……大丈夫なのか、シリル。もう数時間も経っているぞ」
アルフォードが落ち着かない様子で、何度も廊下を往復している。彼の手は祈るように組まれ、指先が白くなっていた。
「落ち着いてください、アルフォード。王宮の全治癒魔術師を投入しています。万に一つの間違いもありません」
私は椅子に座り、懐中時計を見つめていた。冷静を装ってはいるが、私の心臓も早鐘を打っている。この扉の向こうに、私が十数年かけて積み上げてきた計画の「答え」がある。それが吉と出るか、凶と出るか。
「――オギャァァァッ!オギャァァ……ッ!」
鋭い産声が、凍てついた空気を切り裂いた。アルフォードが弾かれたように顔を上げる。扉が開き、汗だくの侍医長が顔を出した。満面の笑みだ。
「おめでとうございます!元気な男の子です!母子ともに健康でございます!」
「……っ、ああ……!」
アルフォードが崩れ落ちるようにその場に膝をつき、顔を覆った。私もまた、深く安堵の息を吐き出し、立ち上がった。勝った。運命に、歴史に、そして遺伝子に。
入室を許可され、私たちは寝室へと入った。ベッドの上、疲れ切ったエレノアの腕の中に、白い布に包まれた小さな命があった。そばにはセオドア王もいたが、彼はどこか退屈そうに窓の外の雪を眺めていた。
「エレノア。……よく頑張ったな」
アルフォードが駆け寄り、娘の手を握りしめる。エレノアは弱々しく、しかし誇らしげに微笑んだ。
「お父様、見て……。貴方の孫よ」
「ああ……。なんて小さいんだ」
アルフォードは恐る恐る、布の中を覗き込んだ。そして、息を呑んだ。赤子の髪は、羊水に濡れてはいるが、間違いなくヴィルトゥス家のプラチナブロンド。瞼を開けば、そこにはアルフォードと同じ、澄んだ碧眼の輝きがあった。
「……私の血だ」
アルフォードの声が震える。隔世遺伝。セオドアの琥珀色の瞳ではなく、アルフォードの色濃い特徴を受け継いで生まれてきたのだ。これこそが、私が神に――いや、悪魔に願った奇跡だ。
「抱かせていただけますか、王妃殿下」
私が手を差し出すと、エレノアは信頼しきった目で赤子を渡してくれた。ずしり、と重い。世界そのものを手にしたような重量感。私はその柔らかな頬に指を触れた。赤子が私の指をぎゅっと握り返す。
「……はじめまして、レオンハルト殿下」
私は自然と、その名を口にしていた。獅子の心を持つ者。この子は、ユリウスのような弱さも、セオドアのような虚無も持たない。アルフォードの美貌と、私の叡智。そのすべてを注ぎ込むべき、完璧な器。
「美しい……。これぞ至高の芸術品だ」
私の独り言に、アルフォードが複雑な顔で苦笑した。だが、その瞳には孫への愛しさが溢れていた。
感動的な空気を、不協和音が遮った。
「……ねえ、もういい?」
セオドアだ。彼は窓際から振り返り、不満げに頬を膨らませていた。
「赤ちゃんが生まれたのはわかったよ。でも、エレノアは疲れてるんでしょう?……シリルも、いつまでその生き物を持っているの?僕、お腹が空いたんだけど」
空気が凍りついた。アルフォードが信じられないものを見る目で、娘婿を見た。
「……陛下。ご自分の息子ですよ?」
「うん、知ってる。……でも、泣いてばかりでうるさいし、何が楽しいの?」
セオドアは悪びれもせず言った。彼には理解できないのだ。自分以外の存在に、エレノアとシリル、そしてアルフォードの注目が集まっていることが。彼にとって息子とは、愛すべき対象ではなく、自分の特等席を脅かす「邪魔な異物」でしかなかった。
「……セオドア様」
エレノアが悲しげに夫を見る。私は、腕の中のレオンハルトが不安げに身じろぎするのを感じ、すぐに侍女に預けた。
「……承知いたしました、陛下。レオンハルト殿下は別室へお連れしましょう」
「うん。それがいい。……ねえシリル、あとで本を読んでくれる?新しい冒険の話がいいな」
二十代半ばの男が、幼児のように私に甘える。アルフォードが拳を握りしめ、何かを言おうと踏み出したが、私はそれを視線で制した。
(言ったでしょう?彼は精神的には子供と同じなのです)
私の冷徹な合図に、アルフォードは唇を噛み、項垂れた。もはやセオドアに、父親としての役割を期待することはできない。それは同時に、彼が王として「不要」になるカウントダウンが始まったことを意味していた。
「……アルフォード。少し、外の空気を吸いましょうか」
私は彼を促し、部屋を出た。背後では、セオドアがエレノアに「僕だけを見て」と甘える声が聞こえていた。
回廊の窓から、雪景色を見下ろす。アルフォードは深いため息をついた。
「……あの子は、可哀想だ」
「誰のことです?セオドア陛下ですか?」
「いや。レオンハルトだ。……父親に愛されず、お前のような怪物に育てられるのだからな」
アルフォードは皮肉っぽく言ったが、その声には諦めと、微かな希望が混じっていた。
「安心なさい。父親の愛などなくても、私と貴方で数倍の愛情を注げばいい」
「私も巻き込む気か」
「当然でしょう?貴方の可愛い孫ですよ」
私は彼の肩を叩いた。レオンハルトが生まれた今、もはやセオドアに固執する必要はない。私の興味は完全に、この「小さな獅子」の育成へとシフトしていた。
「さあ、忙しくなりますよ、おじい様。……彼を世界最強の王にするためのカリキュラム、一緒に考えて頂きますからね」
雪が止み、雲の切れ間から冬の太陽が差し込んでいた。その光は、生まれたばかりの獅子の前途を祝福しているようであり――また、古い王の落日を告げているようでもあった。




