第22話 支配の結晶
王城の奥深くにある王妃の寝室。重厚な天蓋付きのベッドのそばに、王宮医師団の長が跪いていた。張り詰めた沈黙の中、医師が顔を上げ、震える声で告げた。
「……おめでとうございます、陛下。王妃様の御身に、新しい命が宿っております」
その瞬間、部屋の空気が一変した。エレノアは頬を赤らめ、そっと自分のお腹に手を添えた。
「まあ……。確実なのですね?」
「はい。脈動も力強く、安定しております。間違いなく、王家の次代を担うお子様です」
「やったね、エレノア!」
セオドア王が子供のように手を叩き、妻に抱きついた。
「僕たちの赤ちゃんかあ。……ねえシリル、これで僕も立派なパパだよね?褒めてくれる?」
「ええ、もちろんですとも陛下。……これ以上の吉報はありません」
私は深々と一礼した。顔を伏せたその下で、抑えきれない笑みが口元を歪ませる。ついに、来た。アルフォード・ヴィルトゥス伯爵の血を引く、次世代の王。私が長年、手塩にかけて育てた土壌、セオドアとエレノアから、最高級の果実が実ろうとしているのだ。
その報せは、すぐにヴィルトゥス伯爵邸にも届けられた。私が執務室を訪ねると、アルフォードは窓際で立ち尽くしていた。その背中は、喜びよりも重圧に押し潰されそうに見えた。
「……聞いたようですね、アルフォード」
「ああ。王宮からの使者が来た」
彼は振り返った。その顔は蒼白だが、どこか憑き物が落ちたような静けさがあった。
「エレノアが……私の孫を宿したか」
「おめでとうございます、アルフォード伯爵」
私は歩み寄り、両手を広げて彼を抱擁した。彼は抵抗せず、力なく私の背中に手を回した。
「これで貴方の血は、名実ともにこの国の『核』となりました。……もう誰も、ヴィルトゥス家を軽んじることはできない。貴方の孫が、ひ孫が王となり……永遠にこの国を統べるのです」
「……それが、お前の望みだったのだな」
「ええ。貴方という高潔な存在を、歴史という名の琥珀の中に永遠に保存したかった」
私は彼の耳元で囁いた。
「生まれてくる子は、私が責任を持って育てます。貴方の美しさと正義感、そして私の知恵と冷徹さを併せ持った、最強の王にしてみせます」
「……怪物を作る気か」
「いいえ。『傑作』をですよ」
アルフォードは深いため息をついた。だが、その目には以前のような迷いはなかった。娘があれほどの覚悟を見せたのだ。父親である自分が逃げるわけにはいかない。
「……男児ならレオンハルト、だったか」
「おや、覚えていてくれましたか」
「忘れるものか。お前が嬉々として語っていた名前だ」
アルフォードは苦笑し、窓の外に広がる王都を見下ろした。
「獅子の心……か。願わくば、その子が私のような『迷える獅子』にならぬことを祈るよ」
「なりませんよ。私が導きますから」
数ヶ月後。王妃の妊娠は公式に発表され、国中が祝賀ムードに包まれた。だが、その光の裏で、一つの闇が静かに広がっていた。
「……ねえ、シリル」
夜のサロンで、セオドア王が私に甘えた声を出した。彼は最近、情緒が不安定だった。エレノアがつわりで伏せがちになり、彼にかまう時間が減ったからだ。
「エレノアは、赤ちゃんのことばかりだ。……僕のことはもう、どうでもいいのかな」
「そんなことはありません。陛下は一番大切な存在ですよ」
「でも、みんな赤ちゃん、赤ちゃんって……。アルフォードも、最近は僕よりエレノアのお腹ばかり見ている」
セオドアが不満げにクッションを殴る。嫉妬。まだ生まれてもいない我が子に対する、剥き出しの敵対心。彼の精神は、王としての成長を止めたまま、幼児退行を始めていた。
(……賞味期限が近いな)
私は彼を優しく撫でながら、冷徹に計算していた。レオンハルトが生まれ、成長すれば、この「精神的な子供」である父親は邪魔になる。彼には「種馬」としての役割を終えた後、「退位」という最後の仕事が待っている。
「ご安心ください、陛下。世界中が赤ちゃんに夢中でも、私だけは陛下の味方です」
「本当?シリルだけは、僕を見てくれる?」
「ええ。……最後の瞬間までね」
セオドアは安心して眠りについた。その寝顔を見下ろしながら、私は懐中時計を確認した。新しい時代の針が、カチリと音を立てて進んだ気がした。
支配の結晶は宿った。あとは、それが産声を上げ、この国を飲み込む日を待つだけだ。




