第21話 アルフォードの躊躇
王城のサロン・ド・テ。柔らかな日差しが差し込む部屋で、アルフォードは久しぶりに愛娘エレノアと向かい合っていた。結婚から数ヶ月。新王妃としての生活にも慣れた頃だろうと、様子を見に来たのだ。だが、アルフォードの表情は晴れない。娘が華やかな衣装に身を包めば包むほど、それが彼女を縛る鎖に見えてしまうからだ。
「……エレノア。正直に答えておくれ」
アルフォードはカップを置き、娘の瞳を真っ直ぐに見つめた。周囲に侍女がいないことを確認し、声を潜める。
「お前は、本当に幸せか?……無理をしていないか?」
「お父様?」
「ここは権謀術数が渦巻く魔窟だ。お前は、シリルと私……いや、家のための『政争の道具』にされたのではないかと、私は……」
アルフォードの声が震える。自責の念。娘を売ったという罪悪感。だが、それを聞いたエレノアは、きょとんとするどころか、ふわりと優雅に微笑んだ。
「お父様。……私が何も知らずに、ただニコニコと嫁いできたと思っていらっしゃるの?」
「え……?」
「わかっておりますわ。私がここにいるのは、ヴィルトゥス家という『武』と、王家という『権威』を結びつけ、盤石な体制を作るため。……シリルおじさまが描いた絵図面通り、でしょう?」
エレノアはカップを傾け、貴婦人の優雅さで紅茶を口にした。その碧眼には、幼い頃のような無邪気さだけでなく、冷徹なほどの理性が宿っている。
「道具、という言葉がお嫌いなら『礎』と言い換えてもよろしくてよ。私は自分の意思で選びました。……私が王妃となることで、お父様の立場が守られ、家が栄えるのなら、これほど誇らしい役目はありませんもの」
「エレノア、お前……」
アルフォードは絶句した。目の前にいるのは、守られるだけの少女ではない。家門の利益と自分の立ち位置を完璧に理解し、その上で「王妃」という職業を選び取った、一人の為政者だった。
「それに……ふふ。おじさまも大変ですわね」
エレノアは悪戯っぽく瞳を輝かせ、声をひそめた。
「あんなに頭のいい方が、どうしてあそこまで必死になるのかしら。国のため?王家のため?……いいえ、違いますわよね」
「……何が言いたい」
「おじさまの瞳、昔から変わらないもの。……お父様を見るときだけ、特別な熱がこもっていることくらい、子供でも気づきますわ」
「なッ!?」
アルフォードが顔を真っ赤にして狼狽する。エレノアは口元を扇で隠し、鈴を転がすように笑った。
「私が王妃になれば、お父様は『王の外戚』として絶対に手出しできない存在になる。……おじさまの遠謀の全ては、結局のところ、お父様をお守りするためなのでしょう?」
アルフォードは娘の鋭さに驚く。
シリルの教育の賜物だろうか、彼女は物事の本質を――そして、この歪な支配構造の根底にある「執着」を、正確に見抜いていた。
「……参りましたね」
サロンの入り口から、呆れたような、しかし感心したような声が響いた。シリルだ。いつの間にか入室していた彼は、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「まさか、そこまで見透かされているとは。……教育係としての私の敗北かもしれません」
「あら、おじさま。盗み聞きは感心しませんわ」
「王妃陛下のお言葉が、あまりに的確でしたのでね」
シリルはアルフォードの隣に立ち、エレノアに恭しく一礼した。そして、未だ呆然としているアルフォードの肩に手を置いた。
「見なさい、アルフォード。嘆く必要などない」
「シリル……」
「彼女はもう、貴方が心配して守ってやるべき幼子ではない。……私の教えを吸収し、自らの足で立ち、貴方さえも手のひらで転がすほどの『賢明な王妃』になったのです」
シリルの言葉に、エレノアは誇らしげに胸を張った。
「ええ。ですからお父様、もう心配なさらないで。……私は私のやり方で、セオドア様を支え、ヴィルトゥス家を守ってみせますわ」
「……ああ」
アルフォードは、眩しそうに娘を見上げた。そこには、かつての自分以上の気高さと、シリル譲りのしたたかさがあった。娘は犠牲者ではなかった。この共犯関係の、頼もしい理解者へと成長していたのだ。
「……立派になったな、エレノア」
アルフォードの目から、迷いが消えた。寂しさはある。だが、それ以上に、彼女への信頼と敬意が胸を満たしていた。
「ふふ。……でもお父様、おじさまをあまり困らせては駄目ですよ?愛が重すぎるのも、あの人の美徳なのですから」
「ぶっ……!黙りなさい、エレノア!」
「おやおや。手厳しいですね、陛下」
和やかな、しかしどこか倒錯した笑い声がサロンに満ちる。彼らは理解し合っていた。この歪な三角関係こそが、自分たち家族にとっての「幸福な形」なのだと。
「……さて。賢明な王妃陛下に、一つ吉報を予言しておきましょうか」
シリルはエレノアに近づき、そっと耳打ちをした。エレノアは一瞬目を見開き、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべ、自分のお腹に手を当てた。
「……ええ。私も、そう感じておりましたの」
アルフォードはまだ気づいていない。だが、新たな命の鼓動が、この支配をより強固なものにする未来は、もうすぐそこまで来ていた。




