第2話 呪われた廃坑の価値
名門ヴィルトゥス伯爵家の応接室は、掃除こそ行き届いているものの、どこか寒々しかった。かつて壁を飾っていたであろう絵画は外され、日焼けした跡だけが白く浮いている。
「――帰ってくれたまえ。話すことなど何もない」
向かいのソファに座るアルフォード・ヴィルトゥス伯爵は、今日もまた息を呑むほど美しかった。使い込まれた軍服風の上着を正し、冷ややかな碧眼で私を射抜いている。その口調は、平民である私と明確に一線を引く、冷淡で尊大なものだった。
私はテーブルに出された紅茶に視線を落とす。湯気も立っていない、質の悪い茶葉。口をつける気にもなれず、私は無視して書類を押し出した。
「そう仰らず。北の廃坑の『共同開発』……悪い話ではないはずです。出資は全額当方が持ちます」「くどいな」
アルフォードは不快げに眉を寄せた。「あの山は呪われている。先代が掘り尽くし、今は魔獣の巣窟だ。金のために領民を死地に追いやるつもりか?商人の考えることは理解できん」「リスク管理は我々の仕事ですが」「断る。それに、ヴィルトゥス家がどこの馬の骨とも知れぬ商会と組んだとあっては、家名の泥だ」
取り付く島もない。利益よりも人命。打算よりも名誉。その高潔なプライドが、私には耐え難いほど愚かで――狂おしいほど愛おしい。
「なるほど。伯爵の『誇り』と『良心』、よく理解できました」
私は表情一つ変えず、懐からもう一枚の書類を取り出した。共同開発案ではない。土地の『売買契約書』だ。
「では、私に売ってください。山ごと、すべての権利を」
「……は?」
「共同開発がお嫌なら、譲渡していただきたい。これなら貴家の家名に傷はつかないでしょう?単に不要な土地を処分しただけのこと」
私が提示した金額を見た瞬間、アルフォードの目が驚愕に見開かれた。だが次の瞬間、その美しい顔が怒りで赤く染まる。彼はバン、とテーブルを叩いて立ち上がった。
「愚弄するなッ!先祖伝来の土地を切り売りして生き恥を晒せと言うのか!出て行け!二度と私の前に顔を見せるな!」
激昂する若き伯爵。その剣幕に、控えていた老執事がおろおろと震えている。やはり、そう来るか。私は静かに溜息をつき、冷徹な事実を切った。
「生き恥、ですか。……では伯爵、来週の『王立銀行』への返済はどう工面されるおつもりで?」
ピタリ、とアルフォードの動きが止まる。
「な……なぜ、それを」
「私の商会の情報網を甘く見ないでいただきたい。それだけではありません。屋敷の使用人への給金は二ヶ月遅配中。東棟の屋根は雨漏りが放置されている。さらに言えば――」
私は彼を真っ直ぐに見据え、決定的な一言を放った。
「妹君の学費も滞納されているそうですね」
アルフォードの顔から、血の気が引いていく。図星だ。高潔な彼にとって、家族や家臣に苦労をかけている事実は、何よりも痛い弱点。
「プライドで腹は膨れません。そして、誇りだけでは妹君の未来も、領民の生活も守れない」私は立ち上がり、青ざめる彼の目前まで歩み寄る。「この金があれば、全て解決する。借金は消え、使用人に給金を払い、妹君は学校へ通い続けられる。……貴方の守りたい『誇り』とは、彼らを犠牲にしてまで守る価値があるものですか?」
「っ……貴様……ッ」
アルフォードが唇を噛む。その白い肌に血が滲みそうなほど強く。屈辱と、無力感。私を睨みつける瞳は殺意すら帯びているが、その奥には抗えない現実への絶望が揺らめいている。
「……後悔するぞ」
絞り出すような声だった。
「あそこには何もない。ただの岩山だ。大金をドブに捨てることになる」
「構いません。私の金です」
震える手で、アルフォードがペンを取る。羊皮紙にサインがなされる音は、まるで彼の魂を削り取る音のように響いた。
屋敷を後にする馬車の中、私は手に入れた契約書を指で弾いた。
アルフォードは今、国一つ買える価値のある資源を、はした金で手放したことになる。彼は最後まで私を軽蔑していた。人の弱みにつけ込む、卑しい成金だと。
(それでいい)
窓の外、遠ざかる屋敷を見上げる。これで君の借金は消えた。君の大切な妹も、家臣たちも守られた。君は安心して、私を憎みながら、その高潔な理想を抱いて生きていればいい。
「急げ。すぐに山を封鎖し、採掘部隊を送り込む」
御者に短く命じる。魔鉱石の発掘。そしてそれを加工し、流通させる「鉄の支配」の準備。やることは山積みだ。
すべては、やがて来る断罪の日――君を絶望の淵から救い出し、私の檻に閉じ込めるその時のために。




