第18話 鳥籠の中の恋
王城の「沈黙の庭園」に、春が巡ってきた。あの戴冠式から五年。十歳になったセオドア王は、かつての虚無的な人形から、明るく穏やかな少年へと成長していた。その隣には、いつも同じ歳の少女――エレノアの姿があった。
「……見て、セオドア。青い鳥が巣を作っているわ」
「本当だ。……エレノア、驚かせないように静かにね」
木漏れ日の中、二人が肩を寄せ合って小鳥を眺めている。絵本から抜け出したような、美しい幼馴染の恋。だが、その光景をテラスから見下ろす私の目には、別の側面が映っていた。
セオドアの手は、エレノアのドレスの裾を強く握りしめている。小鳥を見ているのではない。エレノアがどこかへ行ってしまわないよう、無意識に繋ぎ止めているのだ。執着。依存。独占欲。私が彼に植え付けた「種」は、順調に育っていた。
「……仲が良いことは、良いことだ」
隣に立つアルフォードが、複雑な表情で呟く。彼は週に数回、娘に会いに来るが、最近はその頻度が減っていた。
「だが、どこか空恐ろしい。あの子は……エレノアは、まるで壊れ物を扱うように陛下に接している。あれは友に向ける顔ではない」
「ええ。母親が子に向ける慈愛に近い。……あるいは、あふれ出る水をせき止める『堤防』の役割を、彼女自身が自覚しているのかもしれません」
私は紅茶を口に運び、微笑んだ。アルフォードは苦々しげに私を睨むが、反論はしない。彼も気づいているのだ。セオドアのその歪んだ愛の形が、私や――彼自身が抱える闇に似ていることに。
その日の午後。私は図書室で、エレノアに「個人授業」を行っていた。彼女は聡明だ。アルフォードの正義感と、私の合理性の両方を吸収し、スポンジのように成長している。
「――つまり、王に必要なのは『決断』ではなく『安定』なのですね、シリルおじさま」
「その通りです、エレノア。賢い子だ」
私は彼女のプラチナブロンドの髪を撫でた。彼女は嬉しそうに目を細める。
「セオドアは優しいけれど、心が弱いの。だから、私が支柱になってあげなきゃいけない」
「ええ。セオドア陛下は、貴女がいなければ生きていけません。……もし貴女がいなくなれば、陛下は悲しみのあまり壊れてしまうでしょう」
私は彼女の瞳を覗き込み、呪いの言葉を囁いた。
「そうなれば、国は乱れ、多くの人が死にます。もちろん、貴女のお父様もね」
「……っ!それは嫌」
「なら、ずっとそばにいてあげなさい。陛下の望むことはすべて叶え、陛下を否定せず、ただ愛してあげるのです。……それが、貴女の『使命』ですよ」
エレノアは一瞬、何かを噛み締めるように黙り込み――やがて、凛と顔を上げた。
「はい。私、セオドアを一人にはしない。……お父様も、おじさまも、私が守るの」
その瞳に宿った光は、私の想像よりも遥かに強く、鋭かった。私は彼女を「セオドアの奴隷」に仕立てるつもりだった。だが彼女は、鳥籠に閉じ込められることを嘆くどころか、自ら鍵をかけ、その中で「王を管理する」という覚悟を決めたように見えた。
夕暮れ時。アルフォードが帰宅の時間となり、庭園にいるエレノアを迎えに来た。
「エレノア。今日は久しぶりに、屋敷で夕食を食べよう。今日のメニューはお前の好きなシチューだそうだ」
アルフォードが手を差し出す。年相応の娘の顔に戻ることを期待した、父親のささやかな願い。だが、エレノアは困ったように眉を下げ、隣にいるセオドアを見た。セオドアは無言で、エレノアの手をぎゅっと握りしめている。その目は、親を奪われる子供のように怯えていた。
「……ごめんなさい、お父様」
エレノアは申し訳なさそうに、だが毅然と首を横に振った。
「今日は帰れないわ。……セオドアが、夜に雷が鳴るかもしれないって怖がっているの。私がついていてあげないと」
「な……?今日は雲一つない晴天だぞ。雷など」
「ええ、わかっているわ。でも、セオドアが『怖い』と言うなら、それはあの方にとっての真実なの。その不安を取り除けるのは、私しかいないから」
「エレノア……お前……」
アルフォードの手が空を切る。彼は悟ったのだ。娘はもう、ただの無垢な子供ではない。彼女は自らの意思で、この王城という「政治の檻」に残り、王の手綱を握ることを選んだのだと。ヴィルトゥス家の庇護下から、もっと別の、冷たくて重い世界へと飛び立ってしまったのだ。
「……帰りましょう、ヴィルトゥス伯爵」
私が背後から声をかけ、肩に手を置いた。
「若い二人の時間を邪魔するのは野暮というものです。……今夜は私が、お酒にお付き合いしましょう」
「シリル……貴様、あの子をどうするつもりだ……」
「何も?私はただ、環境を与えただけです。……彼女は貴方が思うよりずっと強く、そして貪欲だ」
私の言葉に、アルフォードは力が抜けたように項垂れた。奪われたのではない。娘は、変わってしまったのだ。鉄の子爵が張り巡らせた蜘蛛の巣を、彼女は自らの城に変えようとしている。
「……ああ、なんてことだ。あの子はもう、私の知るエレノアではないのかもしれない」
アルフォードが呻く。その背中には、娘の成長に置き去りにされた父親の哀愁だけが漂っていた。
「さあ、行きましょう。私の愛しい共犯者」
私は彼の背中を押し、出口へと促した。
鳥籠の扉は開いている。だが、中の小鳥たちはもう、外の世界よりも心地よいこの檻の中こそが、自分たちの居場所であると、確信しているようだった。




