第13話 沈黙の元老院会議
運命の朝。王城は、張り詰めた緊張感に包まれていた。 今日は、クラヴィス前王の廃位に伴う、新たな国王を選出するための元老院会議が開かれる日だ。
「……いよいよだな、シリル」
控え室で、正装に身を包んだユリウス王子が、鏡の前で襟を正した。 その顔には、決意と希望が満ちている。 彼は信じているのだ。自分が父を倒した英雄として迎えられ、満場一致で新国王に選出されることを。
「はい。歴史が変わる瞬間です、殿下」
「ああ。私が王になった暁あかつきには、君を宰相に任命しよう。共に、この国を立て直そうではないか」
ユリウスが差し出した手を、私は恭しく握り返した。
「光栄です。……ですが殿下、くれぐれも『感情』は抑えてくださいね。元老院の古狸たちは、少しの隙も見逃しませんから」
「わかっている。冷静に、堂々と振る舞うさ」
ユリウスは自信満々に頷き、扉を開けた。 その後ろ姿を見送りながら、私は口角を吊り上げた。 ええ、冷静に受け止めてくださいね。 貴方がこれから突き落とされる、底なしの沼を。
元老院の議場。 円卓を囲む五十人の議員たちは、誰一人として言葉を発さず、沈黙を守っていた。 これが「沈黙の元老院」。彼らの腹はすでに決まっている。私が配った莫大な裏金と、今後の利権の約束によって。
「――これより、次期国王選出の儀を執り行う!」
議長の声が響く。 ユリウスが壇上に立ち、堂々と所信表明演説を行った。改革、減税、そして正義。素晴らしい演説だ。理想家としては百点満点だろう。 だが、演説が終わっても、拍手はまばらだった。
「……?」
ユリウスの表情が曇る。 議長が重々しく口を開いた。
「ユリウス殿下の高潔なる理想、しかと承った。……しかし、我々元老院の総意は別にある」
議場がざわめく。傍聴席にいたアルフォードが、不安げに身を乗り出す。 議長は私の方をちらりと見て、一つ頷くと、高らかに宣言した。
「我らは新国王として――ユリウス殿下のご子息、セオドア・アウルム様を推挙いたします!」
「な……ッ!?」
ユリウスが絶句した。 議場が静まり返る。アルフォードも、信じられないものを見る目で私を睨みつけた。
「ま、待て! 何を言っている! セオドアはまだ五歳だぞ!? 子供に国を治めさせろと言うのか!」
ユリウスが叫ぶ。だが、議長は冷ややかに答えた。
「五歳なればこそ、であります。……殿下。貴方様は先の政変で、実父であるクラヴィス王を断罪なさいました。その功績は大きいが、同時に『簒奪者』の汚名は消えませぬ」
「そ、それは……国のために……!」
「左様。しかし、父に弓を引いた手で王冠を戴くことを、民はどう思うか。……それに、国の財政は火の車。債権者たちも、今回の事件の首謀者である貴方様への不信感を抱いております」
議長が私に目配せをする。 私はゆっくりと立ち上がり、ユリウスに歩み寄った。
「……殿下。議長の言うことにも一理あります」
「シリル!? 君まで……!」
「国は今、未曽有の借金を抱えている状態です。債権者たちは『安定』を求めている。……今、貴方が無理に即位すれば、経済界は反発し、即座に資金の引き上げを求めるでしょう」
それは脅しだ。資金の引き上げを求める債権者、元をたどればすなわち私に行き着く。融資を引き上げられれば、国は明日にも破綻する。 ユリウスの顔から血の気が引いていく。
「そ、そんな……」
「ですが、セオドア様なら問題ありません。彼は無垢だ。何の罪も、政争の垢もついていない『純白の象徴』。彼を王に据え、貴方が『後見人』として支えるのが、最も国をまとめやすい形なのです」
私は優しく、彼の肩に手を置いた。
「殿下。貴方は王冠という重荷を背負わず、自由な立場で政治を行える。……セオドア殿下のために、泥を被る役目を引き受ける。それこそが父の愛ではありませんか?」
逃げ道はない。 王になれば経済破綻。息子を王にすれば、傀儡としての生。 究極の二択を迫られ、ユリウスの膝が震える。
「……私が、王ではない、だと……?」
「いいえ。『実質的な』王です。名誉は息子さんに譲りましょう」
長い、長い沈黙の後。 ユリウスはガクリと膝を折った。
「……わかった。セオドアを、推挙する……」
敗北宣言。 その瞬間、議場は割れんばかりの拍手に包まれた。
「新国王万歳!」
「セオドア陛下万歳!」
喝采の中、私は傍聴席のアルフォードを見た。 彼は手すりを握りしめ、幽鬼のような蒼白な顔で、私を睨みつけていた。
(言ったでしょう、アルフォード。「最も有益な形」だと)
私は彼に向けて、聖人のような穏やかな微笑みを送った。
会議の後。王城の廊下で、アルフォードが私を待ち構えていた。 彼は周囲に人がいないことを確認すると、私の胸倉を掴み、壁に押し付けた。 だが、その力は弱かった。
「……謀ったな、シリル」
「人聞きが悪い。私はユリウス殿下を助けたのですよ」
「五歳の子供を王にして、父親から実権を奪うのが助けたことになるのか!? お前は……最初から、これを狙っていたんだな」
アルフォードの声が震える。 怒りではない。恐怖だ。 私の描く絵図面の、あまりの冷徹さと正確さに、彼は本能的な畏怖を感じている。
「アルフォード。……ユリウス殿下は無能です。彼が王になれば、理想論で国を混乱させ、借金を返せず、いずれ破滅していた」
私は彼の手を優しく解き、その指に口づけをした。
「ですが、セオドア様なら私がコントロールできる。私が実権を握れば、国は富み、借金もいずれ完済できる。……そして何より、貴方のヴィルトゥス家も安泰だ」
「……」
「まだわかりませんか? 私は貴方を守るために、使い物にならない神輿をすげ替えただけです」
アルフォードは、何かを言いかけて、飲み込んだ。 反論できないのだ。 私のやり方が非道であればあるほど、結果として彼と彼の領民が守られることは事実だから。
「……お前は、悪魔だ」
「ええ。貴方だけの悪魔です」
私は彼の頬を撫でた。 彼は目を閉じ、拒絶しなかった。 これでいい。 ユリウスは「後見人」という名の閑職に追いやられ、セオドアという幼い「玉璽」が手に入った。 この国は今日から、私のものだ。
「さあ、戴冠式の準備があります。……忙しくなりますよ、アルフォード」
私は彼を促し、歩き出した。 その背後で、アルフォードの重いため息が聞こえた気がした。 檻の鍵は、もう二度と開かない。




