第11話 影の摂政
熱狂から数日が過ぎた。王都は表向き、悪王クラヴィスを倒した「正義の王子」ユリウスの称賛一色に染まっていた。だが、王城の執務室の中だけは、冷ややかな現実の空気が漂っていた。
「……金がない、だと?」
執務机に座るユリウス王子が、信じられないものを見る目で報告書を凝視している。
「はい。前国王が浪費し尽くしたようで。国庫は空っぽ、兵士への給金も、復興のための予算も、一金貨たりとも残っておりません」
私は、書類の束を抱えて淡々と報告した。もちろん、嘘だ。クラヴィス王が浪費したのは事実だが、残っていた資産のほとんどは、革命の混乱に乗じて私が裏ルートで商会へ流出させた。国庫を空にしたのは、他ならぬ私だ。
「これでは何もできない……!私は民に減税を約束したのだぞ!下水道の整備も、貧民への炊き出しもやらねばならないのに!」
ユリウスが頭を抱える。理想家の彼は、「王になれば、魔法のように国が良くなる」と信じていたのだろう。だが現実は非情だ。金がなければ正義も執行できない。
「ご安心ください、殿下」
私は優雅に一礼し、懐から分厚い書類の束を取り出した。
「当座の資金は、我がヴァレット商会が融資いたしましょう。……国の危機とあっては、私財を投げ打つ覚悟です」
「シ、シリル……!君は、どこまで忠義の士なんだ」
ユリウスが感動に顔を輝かせ、私の手を取ろうとする。だが、私はその手をやんわりと制し、ペンを差し出した。
「ですが、商会の金は私一人のものではありません。番頭たちを納得させるためにも、一応の『形式』が必要になります」
「形式?」
「はい。融資契約書です。……担保として、『王領森林の伐採権』『王都港湾の十か年徴税権』、そして『王宮の土地権利』を設定させていただきました」
私がさらりと告げた内容に、同席していたアルフォードが眉を跳ね、耳元でささやいた。
「おい、シリル。それは……国の基盤そのものではないか。一商会に国家資産を抵当に入れろと言うのか?」
「アルフォード、誤解しないでください。あくまで『形式上』の話です」
私はユリウスに向き直り、誠実そうな笑みを浮かべた。
「法的手続きとして担保が必要なだけです。まさか、殿下が借金を踏み倒すなどあり得ないでしょう?返済さえ滞りなく行われれば、権利が行使されることはありません。……それとも、今すぐ民への炊き出しを中止しますか?」
「っ……いや、それはできない」
ユリウスは唇を噛み、震える手で契約書を受け取った。目の前の飢えた民を救いたい。その純粋な正義感が、彼の目を曇らせる。彼は契約書の細則――「返済が一度でも遅延した場合、担保物件の所有権は即座に債権者に移転する」という条項――を読み飛ばし、サインをした。
「……すまない。この借りは、必ず返す」「
もったいないお言葉。殿下は理想を語ってください。泥臭い金の計算は、すべて私が引き受けます」
私は契約書を丁寧に回収した。これでいい。今日この瞬間、王国の主要な資産は、法的にヴァレット商会の「予約済み所有物」となった。ユリウスがどれだけ理想を叫ぼうと、彼の足元にある大地すら、もはや私のものである。
その日の夕刻。私は王城の回廊で、近衛騎士団の巡回を終えたアルフォードと合流した。先日アルフォードを侮辱した騎士団長は、クラヴィス王とともに追放した。今や、アルフォードが近衛騎士団を統括する立場だ。新しい軍服に身を包んだ彼は、以前よりも精悍さを増していたが、その視線は私を厳しく射抜いていた。
「……シリル。あの契約、本気で行使するつもりか?」
「まさか。殿下がしっかりと国を治め、利益を出せば何の問題もありませんよ」
「お前は、殿下が政治で利益を出せるとは思っていないだろう」
アルフォードは鋭い。彼は気づいているのだ。実務能力のないユリウスがただの「神輿」になり、国というシステムそのものが私の借金漬けにされている現実に。
「殿下はまだ政治に不慣れなだけです。私が補佐しなければ、新体制は三日で瓦解しますよ」
「それはわかる。だが……お前は、本当にユリウス殿下を王にするつもりがあるのか?」
「どういう意味でしょう」
「殿下を敬っているように見えて、お前の目は冷めている。……まるで、使い捨ての道具を見ているようだ」
ドキリ、とした。やはり、愛する人の直感は侮れない。彼は私が「推しの安寧」以外に興味がないサイコパスであることを、肌感覚で理解している。ここで下手に否定しても怪しまれるだけだ。私は足を止め、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「アルフォード。貴方はユリウス殿下が王にふさわしいと思いますか?」
「当然だ。あの方には徳がある。民を思う心がある」
「ええ、同感です。……ですが、『良い人』が『良い王』になれるとは限らない」
私は一歩踏み出し、彼との距離を詰める。
「今はまだ、彼に王冠の重みは耐えきれません。だから私が金と契約で支えている。……全ては、貴方が信じる『正義の国』を作るためですよ」「……」
アルフォードは納得しきれない様子だったが、反論の言葉を持たなかった。国庫が空である以上、私の資金力がなければ国が回らないのは事実だからだ。
「……信じよう。お前が、私のためだと言うのなら」
彼は苦しげに呟いた。その言葉は、「もし裏切ったら許さない」という警告にも聞こえた。愛おしい。その高潔さが、私をさらに狂わせる。
(大丈夫ですよ、アルフォード)
心の中で、私は彼に語りかけた。私は決して貴方を裏切らない。ただ、貴方が信じている「正史(ユリウス即位)」を、ほんの少し書き換えるだけだ。金という鎖でがんじがらめにした、より完璧で、より安全な形に。
数日後。ユリウス王子から、私とアルフォードに招待状が届いた。私邸での茶会への誘いだ。『紹介したい者がいる』という一文が添えられていた。
「紹介したい者……?」
招待状を見つめるアルフォードが首を傾げる。私は、口元に浮かびそうになる暗い笑みを必死に噛み殺した。
来た。次のターゲットだ。借金漬けの父親に代わり、私が新たに飾り立てる「無垢な偶像」。アルフォード、貴方はきっと驚くだろう。そして、私の真意に気づき、戦慄するはずだ。その時、貴方は誰を選ぶ?「正統な王」か、それとも「愛する共犯者」か。
「行きましょうか、アルフォード。殿下がお待ちかねだ」
影の摂政は、光の当たる庭園へと歩き出した。もっとも残酷な裏切りの準備をするために。




