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吸血鬼に愛された世界に、祝福の花が咲き誇りますように  作者: 海坂依里
第2章「花候~未来に繋ぐ日々~」
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第1話「未来」

「何も問題はありませんでした」


 柔らかな風が吹き込んでくる部屋に、白衣に身を包んだ医師が座っていた。

 彼女は静かに眼鏡を外し、穏やかな声で言葉を紡ぎ始める。


「普段通りの生活を送ることができますよ」


 女性の医師は患者の私を励ますように微笑み、強張った私の空気を溶かしてくれた。


「血を吸われた箇所も、自然に塞がります」


 私と婚約者は、いわゆる男女の関係には至っていなかった。

 体に触れられることはあっても、子を成すための行為に及ぶことはなかった。


「人間の体は、強くできていますよ」


 私は吸血鬼と呼ばれる生命体に長年、血を吸われてきたという話を伺った。

 婚約者は私に配慮してくれたわけではなく、血を吸う行為に気づかれないために優しくしてくれていたのだと教わった。


「ほかに心配事があったら、菖蒲(あやめ)を通してでもいいので連絡ください」


 私の身体を診てくれた女医さんは、患者に安堵を与える優しい笑みで診断結果を教えてくれた。


「ありがとうございました」


 私が生きてきた時代では、ようやく女医学校ができたと耳にした。

 これから女医の数が増えていくのではないかという期待が生まれたばかりの時代を生きてきた私にとっては、新しく出会った時代で活躍する女性医師の数の多さに驚かされる。


(ここが、晴馬(はるま)さんたちが生きる未来の世界……)


 まるで狐につままれたような話が次々と私を襲うけれど、それらはどれも真実だと自分の身を通じて実感していく。


紅音(くおと)様」

「晴馬さん……」


 指示された通りの道順に従って病院を出ると、書生として過去の時代を訪れた花里晴馬(はなさとはるま)さんが私を迎えてくれた。


「病院の中で待っていても良かったんですが……」

「男性の方が婦人科に入るのは躊躇われますよね」

「申し訳ございません……」


 照れた彼の表情を見ていると、とても多くの吸血鬼を狩った人だとは思えない。

 あの日、あの屋敷から、月見里(やまなし)という呪縛から、私を開放してくれた人だとは思うことができない。


「本当に、吸血鬼と呼ばれる化け物が存在するのですね」

「……残念ながら」


 晴馬さんたちが生きる未来で、政府は人を殺すための武器を望んだ。

 自分たちの手を汚さずに済むように、自分たちの命令を忠実に受け入れる武器を望んだ。

 その結果、物語の世界にしか存在しないと思われていた吸血鬼を開発することに成功したらしい。


「過去の時代にも迷惑をかけて、本当に申し訳ないと思ってます」

「晴馬さん、謝らないでください」


 政府は望み通りの武器を手に入れたはずだったが、そんな都合よく世界は完成しない。

 人間の命令を聞かなくなる吸血鬼が誕生し始め、吸血鬼の処理を命じられたのが晴馬さんたちだと説明を受けた。


「私は、元気そのものですから」


 ふわりと、春を感じさえる風が運ばれてきた。

 空には青い空が広がっていて、私が産まれた明治初期と同じように穏やかな風が吹き抜ける。


「お詫びに、未来を見ていきませんか」


 近くから子どもたちの笑い声が聞こえ、晴馬さんが生きる世界も吸血鬼の脅威に脅かされているとは思えない。

 それだけ平和な光景が広がっていて、緊張で握り締めていた手から力が抜けていく。


「どこか見てみたい場所は……」

「遺骨を……未来に、遺骨を残すことは問題ないでしょうか」


 月見里家。

 それは、未来で誕生した吸血鬼と手を組んだ祖父や父が財を成してきた一族。

 吸血鬼の力なしでは時代を乗り越えることできず、晴馬さんが生きる未来に私の血を継ぐ月見里は存在しないと聞かされた。


「私たちは、歴史を変えるほど優れた人間ではないと伺っているので」

「言い方は失礼ですが、紅音を始めとする月見里家は歴史上どこにも残っていないので問題ないかと思います」


 私は両親のためを想って、婚約者に身を捧げてきた。

 すべては、両親に喜んでもらうため。

 すべては、月見里家の繁栄のため。


「母の遺骨を、平和な時代に残していこうと思います」

「その願いなら、俺でも叶えることができそうです」

「月見里家に、もう母を留めていたくないので」


 そう思い込んできたのに、私が大切に想ってきた母は既にいない。

 私が知らないところで血をすべて抜き取られ、天国へと旅立ってしまっていた。


「もっと勉学を積み上げるべきでした」

「紅音様?」


 許可を得た霊園に遺骨を埋葬し、樹木を墓標にする弔い方。

 これなら、過去から来た身寄りのない私と母でも未来に受け入れてもらうことができる。


「感謝の言葉を表すための言葉が、ありがとう以外に見つからないもので……」

「ありがとうの言葉だけで、俺は十分すぎるほどの喜びを感じていますよ」


 樹木葬の手続きは、晴馬さんたちが滞りなく進めてくれた。

 母の遺骨を埋めた場所には晴馬さんと私がいて、まるで樹木の下に眠る母に婚礼の挨拶に来たような夢物語を妄想する。


「願いを叶えてもらうと、感謝の気持ちが尽きないものなのですね」


 妄想は、決して現実へと変化しない。

 晴馬さんが私の隣にいてくれるのは、あくまで業務。

 仕事の一環として、私との時間を過ごしてくれているに過ぎない。

 母の遺骨に晴馬さんと一緒に会いに来るのは、今日が最初で最後。


「これからも、紅音様は紅音様の願いを叶えていいんですよ」


 納骨の日が、とても晴れやかな空が広がる日で良かった。


「また、晴馬さんに、ありがとうと伝えてもいいですか」

「俺は、そこまでできた男ではないのですけどね」

「私に手を差し伸べてくれて、ありがとうございます。晴馬さん」


 こんなにも美しい蒼が、世界に存在することを初めて知った。

 蒼が優しく生命を見守る中、母を送ることができたこと。

 きっと私は、忘れられなくなる。

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