第5話「別れ」
「最後の水やり、ですね」
屋敷に仕えていた方々が面倒を見てくれていた花々に、最後の恵みを注いでいく。
月見里の屋敷は実在する建物のため、院瀬見の屋敷のように砂になって崩れてしまったりはしない。
でも、月見里家ではない、本来の持ち主の元へと戻ってしまう。
(私はもう、この屋敷に入ることも許されなくなる……)
多くの遺体が姿を見せたときに、庭の桜の木は初めて花を咲かせた。
想像していなかったほど、見事な花を飾った桜の木。
水やりは必要ないとは思うけれど、この時代で亡くなった人たちを弔う気持ちを込めて、桜の大樹にも水を注ぐ。
(もう吸血鬼はいないはずなのに……)
少し、体が冷える。
多くの花が命を咲かせる春という季節を迎えているはずなのに、月見里の家は以前と変わらず気温がほんの少し低く感じる。
(晴馬さんが、旅立ってしまったからかもしれない)
人の温もりを感じすぎたせいで、一段と冷えるように感じているのかもしれない。
ただ、それだけのこと。
ただ、私が寂しさという感情に耐えられないだけということ。
(住み込みで働かせてもらえる場所を探して……)
遺体を封印するように、咲くことを禁じられていた桜の木。
今も、花びらを散らし続けている。
もうすぐで葉桜になってしまうとは思うけれど、あんなにも咲くことを拒んでいた桜が咲いていることへの感動は一生忘れられないと思う。
『私は……この時代に残ろうと思います』
願っていた奇跡は起こるはずもなくて、私に吸血鬼と戦う力は宿ることはない。
私に与えられたのは、吸血鬼に狙われ続けるという呪われた月見里の血のみ。
『父が時代に残した傷を、少しでも埋められるように手助けをしていきたいと思います』
自分で自分の身を守ることすらできず、目覚めた朝も私は吸血鬼と戦うことはできなかった。
『紅音様の判断は正しいと思います』
私の言葉を、私の答えを、晴馬さんと晴馬さんは受け入れてくれた。
それは、ある意味では、とても過酷なこと。
独りで生きていくという現実の辛さに、絶望という感情が積み重なっていきそうになる。
だけど、私の決断を否定する権利は晴馬さんにも晴馬さんにもない。
これは、私が決めた人生だから。
(晴馬さん、私が生きていく時代を守ってくれて……ありがとうございました)
最後に、そんな言葉を伝えたかった。
でも、最後という響きに縁起の悪さを感じた。
(単に、晴馬さんとの別れを切り出したくなかったとも言えるけれど)
最後を告げることで、私の涙が止まらなくなってしまいそうだった。
自分のわがままをすべて心に片づけて、私たちは笑顔でお別れをした。
(またいつか、会えるような気がするから……)
唇を硬く結びながら、そのまま自宅の玄関へと足を向ける。
ふと気を緩めてしまうと、晴馬さんの顔を思い出してしまう。
晴馬さんの笑顔に会いたくなる。
(父のお金に生かされてきた私には、これから独りで生きていくのは難しい……)
こんなことで挫けていられないと言い聞かせたくもなるけど、現実を受け入れることも想像していた以上に辛い。
「ただいま戻りました」
もちろん、お帰りなさいの言葉をくれる人はいない。
私を令嬢として扱ってくれた人たちもいなくて、今まで歩んできた令嬢としての人生は物語を見せられていたかのような儚い思い出として散っていく。
「出発まで、まだ時間はある……」
両膝を抱え込みながら、その場へと腰を下ろす。
はしたない行為ですか?
みっともない行為ですか?
普通の人には許される行為でも、月見里家の令嬢としては許されなかった行為を堂々と行う。誰も、私を叱りつける人はいない。
「寂しい……」
父が、この時代で何を犯したのかを理解した。
一気にすべてを理解するのは大変なことのはずなのに、すべての出来事を受け入れられるように吸血鬼狩りの皆さんは私のことを支えてくれた。
私が少しずつでも受け入れていけるように見守ってくれた。
(私は、新しい出会いを迎えることができるのか)
この時代を生きる人の、灯になりたい。
そのために、私は力ある人を見つけなければいけない。
(力がない者にできることは、力ある人に従うことだけだから……)
この時代に、灯を求めている人たちがいる。
この時代を生きる人たちが、これから進んでいく道を光で照らせるように。
不安になったときに、辛いときに、先に進むことに恐怖を抱いたときに、私たちの生きる世界を照らしていきたい。
吸血鬼狩りの皆さんが残してくれた優しさを、私はこの時代へと繋ぐ。
「……生きますよ、きちんと」
嬉しかった。
凄く嬉しかった。
こんな私でも、まだ役に立てることがあると知れたことがとても嬉しかった。
私の言葉が、私の手渡す優しさが、この時代を生きる誰かを救うことができるのか。
私にできないことだとしても、誰かの言葉で、これからの時代を支えていけるように動いていきたい。
(晴馬さんの隣で生きていくことを、選ばなかったからこそ……)
本当は、晴馬さんと一緒に行きたかった。
私たちの間には好きの言葉も、愛しているの言葉もなかったけれど、私たちは確かに恋仲というものであった。
周囲は認めてくれないかもしれないけれど、私たちの間には確かな愛というものが存在していた。
「晴馬さんに、甘えてばかりはいられませんから」
言葉にしたところで、ここにいない晴馬さんには届かない。
晴馬さんの傍にいたら、私に優しさを注ぐ環境が十分すぎるほど整ってしまう。
良い行いは褒めてくれ、悪い行いはきちんと叱ってくれる。
そんな環境が待っていると思ったからこそ、私は独りで生きることを選んだ。
(これから待つ試練に打ち勝つことができるように……)
この時代で、多くのことを学んでいきたい。
皆さんがいなくても大丈夫だと、綺麗な笑顔を浮かべることで証明したい。
(吸血鬼狩りの皆さんがいてくれたからこそ)
寂しさや辛さが消えるわけではないけど、未来への希望を見出す良いきっかけを与えてもらった。
(下を向くばかりの人生では、誰も助けることはできないから)
理想通りに進まない現実に、向きたくもない下を向いてしまいそうになる。
それでも、少しずつ。少しずつでいいから、前を向いて歩けるようになりたい。
「行きましょうか」
私は皆さんがいない世界で、新しい世界を見に行ってみせます。
今度は私が、自分の生まれた時代の役に立つ番だと信じて。
この時代は大丈夫ですと、安心を託してもらえるようになりたい。




