第2話「美しい」
「……そんなに険しい顔をなさらないでください」
料理に慣れるまで、あまりにも時間が足りなすぎる。
晴馬さんに美味しいと言ってもらうには、あまりにも時間が少ないことがもどかしい。
「いらしてください、未来に」
ただの少女と、ただの吸血鬼狩り。
ただの令嬢と、ただの書生。
そんな関係のままでいることもできたのに、私たちは縁を結ぶという道を選んだ。
「俺は、未来を守るという重要な使命があります」
「承知致しております」
「だから、俺は明治の時代を旅立ちます」
晴馬さんは私のように、どっちの時代を生きてもいい存在ではない。
晴馬さんは、未来の平和を守る力を持つ人。
わざと逃がした父の行方を追ってもらわなければいけない。
「紅音様?」
「あ、すみません……頭が考えごとで、いっぱいになってしまっていて……」
「俺は紅音様の話なら、なんでも聞きますよ」
悩むことは苦しいことでもあるけれど、自分の未来を自分で作り上げていく過程だと思うと幸福なことでもあると気づき始める。
「俺に対してだけは、躊躇わないでください」
一秒も休むことなく花を咲かせ続ける、庭先の桜の木。
そんな世界の仕組みに、ほんの少しの優しさのようなものを感じている。
「未来は、きっと鮮やかな色が映えているのだと思います」
神様に感謝はしたくないけど、花という命を与えてくれた神様に向けて感謝の言葉を述べてみたくなる。
「もちろん未来にも、時代を越えた苦しみがあると思いますが……」
男女平等だけでない、社会問題が抱えている問題。
それらを解消するための力もなければ、吸血鬼狩りの晴馬さんたちに手を貸すこともできない。
相変わらず私は、どこの時代を生きたとしても何もできない。
「未来に繋ぐために、私は明治の時代で生きたいと思います」
だから、力ある人の下に従う生き方をしようと思う。
私は歴史を変えるほどの重要人物ではないからこそ、物語の真ん中を行く人たちを支えていきたい。
「……人殺しの娘が、何を言っているんだという感じもするかもしれませんが……」
「いいえ、紅音様らしいと思います」
「私らしい、でしょうか……」
「はい、紅音様らしいです」
自信のない答えを支えてくれるのが、晴馬さんだとしたら。
私は晴馬さんに付いて、吸血鬼狩りの皆さんを支えるという道を選ぶことが自分の幸せに繋がるのだと思う。
「きっと、紅音様のように優しい人というのは最後まで優しい人なんだと思います」
咲き誇る桜を見つめる。
「ありがとうございます」
差し出された優しさを頼りにし、与えられた優しさに甘えることは許されるのか。
「紅音様」
「どうかしました……」
「口、開けてください」
「口、ですか?」
晴馬さんなら、許してくれると思う。
私が大好きだと思う優しくて穏やかな笑みを浮かべながら、私のことを受け入れてくれると思う。
「甘くて……とても美味しいです」
「良かった」
一口程度の大きさに切り分けられた玉子焼き。
口の中に広がる甘みは、自然と幸福感を与えてくれる。
「何か悩みがあるときや不安なときは、美味しい物でも食べて一旦忘れてしまえばいいんです」
心を揺さぶられる。
心が惹かれる。
「美味しい食べ物は、人生を豊かにしてくれますから」
あのときの言葉が、繰り返される。
晴馬さんたちが生きている時代を訪れた、あのときと同じ言葉が聴覚を優しく撫でていく。
「晴馬さん、その言葉がお好きなのですね」
「食べられない時期があったから、でしょうね」
「普段は気づかないものですよね」
そして私は、あのときと同じ感覚を思い出す。
自分が生きた時代を捨てていいのか。捨てていくのか。
「食べられることが、いかに幸せなことかどうかということに」
「ですよね」
でも、それと同時に考える。
生きるために、食べなければいけない。
それなのに、食べることができない時期があった晴馬さん。
私は、彼を置いていくのか。捨てていくのか。
「紅音様、ご飯にしましょうか」
「はい」
私の存在がなくても、時代は成立する。
私が晴馬さんの傍にいなくても、きっといつかは誰かが晴馬さんを支えてくれる。
「いただきます」
「いただきます」
私の体を流れる特別な血に縛られることなく、晴馬さんには生きてほしい。
いつかは依存性というものから解き放たれ、いつかは月見里紅音から解放される未来が待っているはず。
「帰ってきた家に、誰かが待ってくれているって嬉しいものですね」
踏ん張らなければいけないところで、私は緊張の糸を切らしてしまったらしい。
気がつけば食事姿を晴馬さんに見つめられていて、彼はいつもらしい柔らかな笑みを浮かべていた。
「ははっ、ゆっくり召し上がってください」
不器用そうに、焼き魚を口に運ぶ姿は随分と不格好だと思う。
これだけ単純な動作なのに、それすらも器用にこなすことができない。
そんな不慣れな私を笑うことなく、向かい側の席で食事を進めていく晴馬さん。
その優しさは、どこまで私を甘やかすつもりなのかと思ってしまうほど。
「もっと、美味しい物を作って……晴馬さんの帰りを待ちたいのですが」
晴馬さんの苦しそうな顔は、見たくない。
だからこそ、晴馬さんのような綺麗な笑みを浮かべて安心を与えたいと思うけれど、鏡のない状況では上手く笑うことができていないのだと思う。
「美味いですよ」
晴馬さんの方から、そんな言葉をかけられた。
二人きりの空間が嬉しくもあるけれど、今はとても寂しくて少し痛い。
「晴馬さんからのお世辞のおかげで、もっと努力を続けようと思えるようになりました」
どんなに美味しくない仕上がりだったとしても、晴馬さんは黙っているかもしれない。
私たちの関係が、もっと深いものであるなら素直に美味しくないと言ってくれるかもしれない。でも、そのもっと深いが今の私たちにはない。
「料理……上手くなってみせます」
吸血鬼と戦う能力も力もないからこそ、力なき人間にできることはなんなのかということを考える。
物理的に人を守ることはできないけれど、力を持たぬ人を守る自分でありたいと思う。
「美味しいご飯を作って、帰りを待ちます」
そんな後ろ向きの考えが浮かび上がったとしても、何もできない自分だからこそできる何かがあると信じたい。
どの時代の、どんな生き方を選んだとしても、必ず物語の真ん中を行く人たちを支えようと改めて誓う。
そして、月見里家で食べる最後の食事は終わりを迎えた。




