第11話「花吹雪」
「もう……世界からいらないなんて、言わせません」
「紅音、私たちは幸せになるために生を受けたんだぞ!」
「今度は、今後こそは、大切な人のための力になります。私を守ってくれた吸血鬼狩りの皆さんに、少しでも償いをしてみせます!」
真剣な告白、とでも言うのかもしれない。
大切に育てられてきた娘が、恋い焦がれていた相手に告白する。
そんな瞬間に立ち会っているような感覚がしてくる。
桜が舞って、月の優しい明かりだけが私たちを照らし出す。
絶好の場面に、涙のようなものが込み上げてくる。
「……もう大丈夫ですよ、お父様」
「紅音! 聞きなさい!」
ここが、ごく普通の平和な世界だったら良かったのかもしれない。
人が死ぬとか、そういうものとは無縁な世界だったら良かったのに。
「独りにして、申し訳ございませんでした……だけど……」
私たちが、もしもそんな世界で生きることができていたら、私が目にしている光景は家族が幸せになる瞬間と呼べるのかもしれない。
大好きな家族と想いが通じ合う、そんな瞬間に居合わせたということになるのに。
「吸血鬼狩りの皆さんなら、絶対に世界を救ってくれると信じていますから」
いろんなことという言葉だけでは表わせないほどに、今日はいろんなことがあった。
たくさんの気持ちと経験を積み重ねて、今がある。
今があるということに、悔しさのようなものが生まれてくる。
(悔しいって……何……?)
大切な家族との距離を作ってきたはずなのに、父はずっと私のことを思ってくれていたとか狡いです。
父の気持ちを理解できなかったことに悔しさを抱くなんて、私は最低だと思う。
「愛しています、お父様……」
まるで私の言葉に呼応したのかのように、桜が父の姿を隠すように花びらを降らせる量を増やしていく。
「頑張りましたね、紅音様」
「晴馬さん……」
父に言葉を向けている間に、晴馬さんが動かないはずがないと信じていた。
私が望んだとおり、晴馬さんは橙耶さんの救出に動いてくれる。
そう信じていたからこそ、私は父に言葉を届けることで時間を稼いだ。
「晴馬さんなら、私に引き金を引かせることはしないだろなと」
「信じてくれて、ありがとうございます」
意図的に桜が降っているような気もするのに、私たちが魅せられた桜吹雪とはまた違う幻想的な雰囲気を感じて怖くなる。
まるで自分に大切な人たちがいたなんて、夢の世界の出来事だったのではないか。
そんなことと思わせるほど、世界は大切な人を美しく隠していく。
「なんだ! なんなんだ! この花びらは!」
桜が再び不規則的に舞い始めた頃を見計らって、晴馬さんが父の手を掴んだ。
「っ」
「出頭してください、月見里様」
私が父と会話を続けている間に、晴馬さんと坂上さんは父を逃がさないために動いてくれた。
望んだ流れを作ってくれたことに感謝の気持ちは尽きないけれど、自然と瞳が涙ぐむ。
「坂上さんの正義を貫いてくれて、ありがとうございました」
「…………綺麗だ」
「坂上さん……?」
坂上さんの動きは、まったく読めなかった。
父に付いて行く可能性の方が高かったのかもしれないけれど、晴馬さんは橙耶さんが残る可能性に賭けていたらしい。
「紅音の心は、音羽様に似ている」
「…………ありがとうございます」
体から力が抜けて、手にしていた銃が地面に落下した。
菖蒲さんから奪った拳銃に桜の花びらが舞い降りて、その銃を月明かりが照らし出す。
「音羽様は、最後まで紅音のことを心配していた」
坂上さんは、生きていた頃の母を知っている。
母と過ごした時間が少ない私にとっては、坂上さんの数少ない言葉のすべてが新鮮に心へと響く。
「自由に生きてほしいと……最後まで……」
もっと、母と話をしてみたかったと思う。
もっと、親子としての時間を育みたかったと強く願う。
叶わぬ願いと理解しているからこそ、坂上さんがくれる一音一音が私の涙を誘っていく。
「勝手なお伽話を作り上げるなっ! おまえらが、娘をたぶらかしたから……こんな……こんな結末……」
「未来に連行します、月見里様」
静まり返る庭園で、晴馬さんの声が静かに落とされた。
「くそっ! くそっ! くそっ! 出来損ないどもが!」
「晴馬、俺が未来に連れていく」
父を捕らえる役割が代わる。
「橙耶……おまえだけは……おまえだけは……」
坂上さんが父に寄り添った瞬間、父は目を輝かせた。
坂上さんが手を貸してくれることを期待しているのだと一目で分かってしまい、私は少しの間だけ目を逸らした。
「これは夢だ……夢……そう、都合の悪いことなんて起こるわけがないんだ……」
この場に父の期待に応える人はいないのに、父だけは今も坂上さんのことを信じている。
「菖蒲の容態は……」
「ご自分で酒々井さんを撃ったんですから、ご自分で確かめてください」
晴馬さんは、自らの目で菖蒲さんの安否を確認するように坂上さんを突き放す。
あのまま父に付いて行くことになっていたら、坂上さんは晴馬さんの容態を知らぬまま生きていくことになる。
この場に残ったからこそ得られる幸福を、坂上さんには噛み締めてほしい。
「……悪かった」
菖蒲さんは、力なく崩れ落ちたまま。
菖蒲さんは地面に視線を落としたままで、坂上さんの言葉を受け入れたくないようにも思えた。
「菖蒲」
酒々井菖蒲さんは、私のことを守ろうと必死に動いてくれた。
でも、坂上さんの意志を尊重しようとした結果、事態が拗れてしまったことも事実だった。
「菖蒲、おまえは戦いの世界に向いてない」
坂上さんの冷たい声が、やっと菖蒲さんを動かす機会となった。
ゆっくりと顔を上げた菖蒲さんは、父を未来に連れていく坂上さんを見送った。
「菖蒲さん」
「紅音ちゃん……」
「大切な人のために、生きてください」
吸血鬼狩りとして罪を犯した坂上さんは、父が言っていた通り死刑が待っているのかもしれない。
坂上さんを利用した父も、それ相応の罰が待っている。
もう坂上さんと菖蒲さんが会うことは叶わないかもしれないけど、彼女には自分の信じた道を生きていってほしい。
「酒々井さん、涙が……」
「泣いてない! 泣いてないわよ!」
泣き崩れる菖蒲さんの頭に、そっと手を乗せたのは坂上さん。
「私は、橙耶がやりたいように生きてほしくて……」
何度も何度も、菖蒲さんの背を優しく撫でていく。
人に優しくする才に優れているわけではないけれど、菖蒲さんが私にくれた優しさを思い出しながら彼女の心が落ち着くようにと努める。
「紅音様、本当にお怪我はありませんか」
「始めから撃つつもりはなかったので、なんとか無事です」
「無茶をしすぎですが、正直、助かりました」
菖蒲さんの涙が、止まらない。
泣きたいときくらい、思い切り泣かせてほしい。
人が泣きたくなったときくらい、そういう環境を用意してくれてもいいのに。
神様という存在は、どこまで人間を嫌っているのか。
どうして、菖蒲さんの涙を綺麗に魅せてくれるほどの花の命を世界に降らせてくれるのでしょうか。
神様がくれた桜の花びらの演出に、どれだけ涙腺を揺さぶられたと思っているのでしょうか。
「すべての事情を、政府に話してくるわ」
桜が舞う。
ひらひらと。
桜が舞う。
はらはらと。
月明かり共に美しい情景を作り出した桜が舞い散るその日、私たちは大切な人たちを失った。




