第10話「幸せ」
「坂上さん、行かせません! それ以上、先へと進んだら……」
桜は、咲くことができなかった時間を埋めようと勢いよく舞い続ける。
「遺体はすべて、適当な時代へと転送した」
だけど、これは桜吹雪だろうと断定できるような景色は終わりの時間を告げた。
桜の木を取り囲んでいた死体たちも、まるで魔法にでもかけられたように綺麗さっぱりと姿を消していた。
「……坂上さんは、証拠隠滅することに協力をしたということですか?」
「そうとも……言えるかもしれないな」
桜に月明かり。
反則的すぎる世界の美しさに文句のようなものが生まれてくるけれど、人はやはり美しいものが好きらしい。
自然と追いかけてしまう。世界を舞う煌びやかな美しさに。
「紅音、月見里様のことは俺に任せてほしい」
「どうして、そこまで父のことを……」
尋ねるまでもなく、坂上さんにとって私の父は大切な人。
父と血の繋がりを持つ私よりも、坂上さんの方がよほど父のことを大切に想っているのかもしれない。
「……聞いていた。紅音の話は毎日、一言も逃すことなく、ちゃんと聞いていた」
私は父と過ごした時間が圧倒的に少なかったのに、坂上さんの方が父と過ごす時間が長かった。
なんだか一方的に失恋をしてしまったかのような気分に落ち込みそうにもなるけれど、父が坂上さんに私の話をしてくれたことに喜びを感じてしまう。
「私は……私は、父の口から、直接その話を伺ってみたかったです」
異常だけど、幸福。
まったくの別の感情が、私を支配していく。
「月見里様、行きましょう」
院瀬見の元に嫁ぐことで、家族としての時間を取り戻すことができるのではないかと期待した。
父と言葉を交わし合わる日を夢見ていたはずなのに、理想とは程遠い会話に愕然としてしまう。
「私は、紅音も一緒に幸せにするんだ!」
「月見里様っ」
「橙耶のことも、紅音のことも、私が幸せにしてみせる……!」
父と話したかったことはもっとあって、父と言葉を交わし合う日のために想像を膨らませてきた。
こんなにも簡単に父に会うことができたなんて、こういうのを肩透かしというのかもしれない。
凄く嬉しいのに、嬉しくない。
凄く幸せなのに、幸せじゃない。
反対の感情が隣り合っていて、ますます訳が分からなくなってくる。
「月見里様! 急いでください!」
「私は、紅音が欲しいんだ! あの子は、唯一の存在……あの子は、吸血鬼の心を支配するほどの甘美なる血を持っているんだ!」
私の元に寄り添ってきたのは、坂上さんの解放に手を貸した菖蒲さんだった。
手元の銃を奪われるのだと思って焦るけれど、私の想いはまったくもって無駄だった。
菖蒲さんは私のことを本物の姉妹のように柔らかく、優しく抱き寄せてくれて、菖蒲さんと私に血の繋がりはないはずなのに、血の繋がりのようなものを感じさせる温かさがそこにはあった。
「誰も、悪くない……」
「菖蒲さ……」
「吸血鬼なんて化け物を生み出した人間が一番の悪なのに、どうしてこんなに想いが拗れ合ってしまうの……」
菖蒲さんは、私の頭を何度も何度も繰り返し撫でる。
今回の件は誰も悪くないんだということを、自分の体温を通して伝えているかのように思える。
(だけど、父が重ねてきた罪はなくならない)
父が、多くの女性たちと晴馬さんの祖父を殺したっていう事実は変わらない。
どんなに菖蒲さんが私に優しさを与えてくれたとしても、起きた事実から目を逸らすことはできない。
「私が直接、手を下せば良かったの……? どうすれば、橙耶を救うことができたの……?」
菖蒲さんは自分の足でしっかり立っているように見えるけど、体に力を入れるのがやっとのようにも思えた。
吸血鬼狩りの人たちは、残酷な世界に巻き込まれてしまったのだとおもんばかる。
「皆さんが皆さん、世界を守りたい」
「紅音ちゃん…………」
「だから、吸血鬼狩りとに固執していくのですよね」
「っ」
私には、事態を見守ることしかできていない。
そんな嘆きの言葉を漏らしたところで、不可能を可能にする無敵の力は手に入らない。
「大切な人たちがいる、この世界のことを守りたいのですよね」
でも、悲観しない。
見守ることしかできない私だけど、晴馬さんはそれだけで十分だと言ってくれる。
傍にいてくれるだけで心強かったと、労いの言葉までかけてくれるかもしれない。
強い自分でいることができたのは晴馬さんのおかげで、頼もしい人と巡り合えたことには本当に感謝している。
「大切な人たちを傷つける存在も許せなくて、大切な人たちが生きるこの世界も守ってあげたかったのですよね」
菖蒲さんの震える心を抱き締めることはできないけれど、私が生きる時代のために懸命になってくれる菖蒲さんの存在はありがたい。
「私は、橙耶のやりたいことを支持してあげたくて……だから、橙耶のやってきたことを許してあげて……」
「そうではありません! そうではなくて……」
「紅音の言う通りだ、菖蒲」
坂上さんが、私の言葉を肯定する。
そうだよって、私の言葉を支持しようとする。
「俺たちがやってきたことを、許す必要はない」
「橙耶が、そんなことを言ったら、私は……私は……!」
どうしたらいいのか分からない。
父を捕まえたところで、父を殺したところで、父に死罪という判決を下されたところで、死んだ人たちが帰ってこないことくらい理解している。
でも、父の手にかけられて亡くなってしまったという真実を知ったら、遺族は父のことを殺したくなるくらい憎んでしまうはず。
だったら、やはり私たちがやるべきことは一つだけ。
「菖蒲。おまえも、おまえらしく生きればいい」
「……何よ、それ……」
私たちは、遺族のために戦うのか。
私たちは、誰のために銃を手にすればいいのか。
私が、父を殺せばすべては解決する……?
「私は……私は……私は……!」
「紅音っ!」
大好きだった声が聞こえてきて、大好きな父の声で、私は名前を呼ばれる。
「私たちには、まだ、希望が残っています!」
銃を構える。
「その希望を、次の時代に繋いでください!」
菖蒲さんから奪った銃を、父に向ける。
「月見里家は、ここで途絶えさせます」
それなのに、父は武器の一つも手にしてくれない。
何も携帯していないわけがないのに、銃口を向けられた父は抵抗することなく両手を上げる。
「紅音、やめなさい……」
「やめません」
「そんなことをしたら、おまえの体も無事ではいられなくなる……」
「それでいいです」
この場にいる誰もが月見里家の会話を聞いていて、私が何を望んでいるのかを理解してくれたと思う。




