第9話「祈り」
「私は、何もできない令嬢ではありません」
「そんなにも手を震えさせている人間が、人を殺すなんて無理よ」
月見里家のせいで、これだけたくさんの人たちが殺された。
宙をひらりひらりと舞う桜たちは相変わらず空気も読まずに、多くの遺体が集まっていることを祝っている。
「何発の弾が込められているのかは存じませんが、最後の最後で父に当たるかもしれません」
桜の花びらが、本当に神様からの祝福だったら。
起こることのない奇跡を、どうか起こしてほしい。
奇跡は絶対に起こるんだということを、証明してほしい。
「諦めません」
「紅音ちゃん……」
「父を逮捕して、菖蒲さんたちは令和の時代に帰ってください」
足に力が入らなくて、立つこともままならない。
これからどうしたらいいのか考えもまとまっていないというのに、体に力も戻ってこない。
坂上さんには父との関係を絶ってもらわなければいけないのに、こんな様なんて情けない。
「橙耶、娘から拳銃を……」
「俺たちを攻撃する意志はあって、娘さんだけを助けようなんて随分と虫がいい話ですね」
心臓でもなく、頭でもなく、坂上さんの足元を狙って晴馬さんは銃弾を撃ち込んでいく。
「月見里様。少しは、俺の相手もしてくださいよ」
数えきれないほどの死体に囲まれているのに、晴馬さんは笑っていた。
父の口から、次にどんな言葉が出てくるのか想像もできない分、とても恐ろしいかもしれない。
どんな言葉が飛び出てきたとしても、父の言葉に踊らされずに冷静でいなければいけない。
そんな自信すらないのかもしれないけれど、ない自信を作り上げるために晴馬さんは笑うことを選んだ。
「私がすべてのことを諦めていたから、私には何もできないと思い込んでいたから、吸血鬼狩りの皆さんと向き合うことができていませんでしたよね」
特殊な血を持つご令嬢様。
物語を描くときなら、なんて想像力が掻き立てられる設定でしょうと思うかもしれない。
でも、特殊な血を持つ令嬢という響きは私に何もできないという諦めを与えた。
一緒に戦うことができないという諦めが、今回の悲劇を招いたのかもしれない。
「本当に申し訳ございませんでした」
菖蒲さんに謝罪の言葉を向けるけど、謝ったところで何も始まらない。
それでも、自身が発する言葉に気持ちを込める。
平和な世界を生きてくださいということを、大切な人たちへと伝える。
「菖蒲さん」
単にすれ違っただけで、心の底から互いを必要としているのだったら、お互いが何を求めているのか気づくことができたかもしれない。
「菖蒲さんたちに帰っていただくために、私は父を捕まえます」
何が必要で、どんな感情を抱えていたのか、納得するまで話し合えば良かった。
大切な人を守るための方法は、人を殺す以外にもあるんだということに気づいてほしかった。
「月見里様、聞こえてますか」
「紅音だけは、この子の血だけは、絶対に守るんだっ!」
「月見里様。紅音様が人の死に触れるって、凄く怖いことだと思います」
父に晴馬さんの声が、届いているのかいないのか。
父には届いていないかもしれないけれど、私の聴覚はしっかりと晴馬さんの声を拾う。
ああ、私は、晴馬さんの声を好きだと思う。
「私は、娘を平和な世界に置いておきたいんだ! 吸血鬼の男の元に嫁がせ、月見里の血を絶やさないために子を産む。そして、幸せな家庭を築き上げれば最高の人生が完成する!」
「紅音様の記憶を消すことができたら、どんなにいいことかと望むこともあります」
出会ったばかりで、数えられる程度の時間しか経過していないのに、晴馬さんの声を聞くと安心する。嬉しくなる。心が落ち着く。
もしかすると、私にも何かできるのではないかと希望が生まれてくる。
「どの世界に行ったとしても、人間と吸血鬼は殺し合いを続けていく! 紅音が、お前たちに付いて行ったところで幸せになれるわけがないんだ!」
穏やかな喋りを続けていたはずの父の声に変化が訪れ、晴馬さんの言葉に耐え切れない。冷静でいられなくなっていることが分かる。
「世界を守る力を持つ人間が、力を持たない紅音様に綺麗で平和な世界を見せるのは……当然の義務だと思います」
「だったら、娘から手を引きなさい! 君たちの手は汚れてしまっている……」
「綺麗事で、いいんです」
菖蒲さんが本気を出せば、私の手元にある拳銃はすぐに奪われてしまう。
そんなことは簡単に想像できたけど、私は手の中にある銃を必死に守るように手に力を込める。
「世界を守る力を持つ人間が、死で満ち溢れた現実を見せつけてはいけない」
「何を言いたい……」
「月見里様が、紅音様に今、現在、見せている世界は本当に美しいですか……?」
父のことを、昔はとても好きだった。とても尊敬していた。
こんな人間になることができたら、私も人を幸せにするための力を得ることができるのではないかと希望を持った。
それくらい、昔の父は私の理想の人だった。
「月見里様は既に、娘さんに穢れた世界を見せてしまったではないですか」
困ったときに、迷ったときに、必ず救いの手を差し伸べてくれる父だったからこそ、坂上さんは父の声に耳を傾けたのだと思う。
父がくれる優しさはすべて本物だったからこそ、坂上さんは逃げ道を失った。
「現実を知っておけば、最悪の事態が起きたときに紅音は傷つかずに済む……」
「その最悪の事態が起きないようにするのが、吸血鬼狩りの使命です」
世界を守る力のない人たちが、幸せな世界で生きていくことができるように。
平和な世界で生きていくことが当たり前であるように。
そんな理想的な場所を提供するために、吸血鬼狩りと呼ばれる力を持つ人たちが存在する。
「紅音様に現実を見せた時点で、俺たちにも月見里様にも紅音様を幸せにすることはできないということです」
桜吹雪という言葉があるのは知っていた。
だけど、桜の花びらが視界を遮る吹雪のように散りゆく姿をお目にかかる機会なんて今までの人生ではなかった。
「月見里様」
「橙耶……」
初めて見る桜吹雪というものに目を奪われると同時に、人殺しを早く捕まえなさいという神様の叱咤が巻き起こっているのかもしれないと感じた。
神様に叱られる吸血鬼狩りとか、可笑しな笑いすら込み上げてきそうになる。
「行きましょう」
坂上さんの声が、辺り一面に響き渡る。
声を反響するものなんて何も存在しないのに、この声だけは特別なもののように聞こえてくる。




