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吸血鬼に愛された世界に、祝福の花が咲き誇りますように  作者: 海坂依里
第5章「花殻~知らないままでも、生きることはできたけれど~」
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第8話「震え」

橙耶(とうや)さんっ! 酒々井(しすい)さんっ!」


 晴馬(はるま)さんを撃破することを諦めた坂上さんは、父の手を取るために動き出す。

 そんな坂上さんを助けるかのような時機に、怪我で事件から退いたはずの菖蒲(あやめ)さんが現れた。

 右手には包帯が巻かれ、戦える状態ではないはずなのに、菖蒲さんは坂上さんの背を押した。


「菖蒲さん、どうして……」

「橙耶の好きにさせてあげましょう」


 嫌な予感がする。

 嫌な予感がする。

 嫌な予感がする。

 止まらない。

 嫌な予感が止まらないということは、嫌な予感は正しいことの証明にもなる。


「坂上さんっ! 吸血鬼を狩る力を持つのなら、どうか父に力を貸さないでください!」


 私たち以外の登場人物が現れない物語なんて、見えない力が働いているようにしか思えなくなってくる。

 でも、それすらも勘違い。

 すべては父が計算した上で、物事が動いている。

 治安を維持する者が駆けつけないのも、この騒ぎを気に留める人が現れないのも、すべて父が仕組んだことだと気づいて悲しくなってくる。


「行くなら……行くなら、私が……」

紅音(くおと)様、駄目です」

「晴馬さん……」


 どうか行かせてくださいと懇願しても、晴馬さんは望む答えをくれない予感がした。

 それは、自惚れというのか。

 覚悟が決まっていない自分が情けなくもなるけれど、引き留めてくれる人がいることの幸福に再び涙腺が緩み出す。


「いい子だ、橙耶。おまえは、自分の居場所というものを理解しているな」


 ほら、やはり父は優しい。

 世界を生きる人々を幸せにしたいという、父らしい台詞だと思った。


「酒々井さんが手を貸してくれないとなると、なかなか難しい展開になってきましたね」


 周囲を見回して、私と晴馬さんが最も不利な立場に立たされていることを確認する。

 それは私も晴馬さんも同じだったからこそ、私は味方を増やす必要があると思った。


「坂上さんは自ら、吸血狩りとして生きることを決めたんですよね」

「……はい」

「でしたら、その決意を信じましょう」

「……わかりました」


 美しく桜が舞う。

 桜の花びらが落下していく地面には大量の死体が敷き詰められているはずなのに、こんなにも美しく思ってしまう。

 そんな自分の頭は、やはり壊れてきているのかもしれない。


「晴馬、俺はおまえとは戦わない」

「さっきの戦いで十分伝わってきましたよ」

「俺が行くことで、紅音は守られる」


 できることなら、この美しくて残酷な世界に身を埋めて人生を終えたいなんて。

 そんなことを想ってしまう自分は、もう人として修復不可能なのかもしれない。


「本当に紅音様を守りたいと思ってくれるなら、傍で紅音様の護衛をしてくれた方が助かるんですけどね」


 この場で優先しなければいけないのは、父を捕らえること。

 それでも誰も動こうとしなかったのは、吸血鬼狩りの皆さんが父の犯した罪に賛同する気持ちを少しでも持っているから。

 でも、完全に父を支持するわけにもいかないことも、皆さんはよく理解している。


(私が、動かなきゃ)


 誰かしらが父の味方になることで、父は無益な殺生は行わないと信じられる。

 そんな状況を理解して、真っ先に父の元へと歩みゆく坂上さんは舞い散る桜の花びらに優しい祝福を受けているように見えた。


「晴馬、決定的な証拠がない限りは月見里(やまなし)様を捕まえることはできないわ」

「ええ、知っています。だからこそ、橙耶さんを取り戻しに行こうかと」


 父に対して、嫌悪感のようなものを少しでも抱いていたら。

 この瞬間に起きている出来事は、流れがすべて変わっていた。


(さっさと父への期待を、捨ててしまえばいいのに……)


 それができないのは、私が甘いから。

 それができないのは、父とはまだ親子の繋がりがあると信じたいから。


「大切な人の笑顔が守るためなら、なんでもやってみようかと」

「晴馬……」

「酒々井さん。手を貸してくれないのなら、紅音様の傍にいてもらえますか」


 晴馬さんは、再び銃口を坂上さんへと向ける。

 いつ戦闘になってもいいように準備しているはずなのに、肝心の父も坂上さんも晴馬さんと戦うための武器を構えてくれない。


(大切な、人……)


 晴馬さんだけが、父と対峙する気がある、

 私がおとなしく言うことを聞けば、父は私の大切な人を傷つけない。

 自分は父にとっての大切になれたのかもしれないという、淡い期待は捨てきれない。


(たとえ道具だとしても、私は大切な道具になれたのかもしれない……)


 父が、私たちのことを大切だと思っていてくれたのは本当なのかもしれない。嘘偽りなく本当なのかもしれない。

 そんな奇跡みたいな、夢のような話が現実に起こるのだと、どこか夢見心地になってしまう。でも、夢のような話は一気に現実へと引き戻される。


「菖蒲さんにとって、坂上さんは大切な方だったのですね」

「……橙耶は大切な仲間よ」


 吸血鬼狩りの菖蒲さんまでもが、父に手を貸していたとは考えにくい。

 けれど、少なくとも菖蒲さんは、坂上さんがやろうとしていることを支持していた。


(この状況下を打開する人物は、始めから存在しなかった)


 ここで最適なのは坂上さんが選択した通り、父に手を引いてもらうことなのかもしれない。

 穏便に事件を片付けたいという意図が渦巻いているからこそ、父を逮捕するための手段を見つけたい。


(誰もが、自分を必要としてくれる人を求めてる)


 私には菖蒲さんが抱えている事情も、坂上さんが抱えている事情も分からない。

 それでも人工的に生み出された吸血鬼という存在が、歪んだ世界を作り上げている。

 だからこそ、吸血鬼を利用し続けてきた父を逮捕しなければいけない。


(私も、その一人)


 どこで、何をどう歩み間違えて、私たちは世界を憎むようになってしまったのか。


(私だけは、晴馬さんの味方でいたい)


 父の言うことを聞かないと、父からは嫌われて当然だと思っていた。

 父に逆らえば、父から不要だと言われて当然だと思っていた。

 毎日が父の機嫌を伺うばかりで、日々が不安と恐怖で埋め尽くされていった。


(私は、父の元には行かない)


 私は、父という世界から出て行く覚悟を決めた。

 人を幸せにしたいけれど、大切な人を幸せにしてみたいけれど、殺人に手を染めることはできない。


「っ」

「紅音ちゃん!」


 私を警護しているように見えて、視線が坂上さんの方を向いていた菖蒲さんの隙を狙って銃を奪った。


「私が父を撃ちます」

「紅音ちゃんっ!」


 銃を持つ手が震える。

 こんな状態では、まともに父に銃弾を飛ばすことはできないと理解している。

 それなのに、自分の体から生まれてくる震えを上手く操ることのできない私はどう見ても未熟者。

 大切な人を守るために戦うという気持ちは存在しても、体は思った通りに働いてくれない。

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