第4話「片想い」
「紅音、こっちに来なさい」
「お父様……」
父が、私の名前を呼ぶ。
数えきれないほどの死体を前に、父は何年かぶりに私の名前を呼んだ。
「私の名前を、覚えていてくれたのですね」
父が、私の名前を覚えていたことに驚かされた。
この人が、私のことを知ってくれていたことに驚かされた。
「忘れるわけがないだろう」
婚約者に私のことを推しつけて以来、私は父とほとんど顔を合わせることがなかった。
家族の輪に戻りたいと何度も願ってきたけれど、月見里家を繁栄させるために浮かび上がる願いを何度も飲み込んできた。
「音羽を亡くした私には、娘が唯一の家族なのだから」
「とうの昔に、家族関係なんてものは失せてしまったのだと思っていました」
私ばかりが父と母のことを想い、院瀬見に好かれるための努力をして、月見里家のために人生を捧げる。
「この時代は、もう終わりだ」
「勝手に終わらせないでください。この時代を生きる人たちに失礼ですよ」
「可愛い紅音が生意気な口を利くようになったのは、吸血鬼狩りが原因か……」
まるで、家族を相手に片想いをさせられているかのような日々を過ごしてきた。
それなのに今更、私を家族だと称する父が気味悪くて仕方がない。
温かい家庭も、愛情溢れる家庭も、恋焦がれるような想いが繋がり合う家族関係も、今の私と父には無縁ということだった。
「私は、人々を幸せにしたいだけなんだよ」
「人を幸せにするためなら、何をやっても許されるとでも思っていらっしゃるのですか」
「紅音、おまえには贅沢な暮らしをさせることができた」
人一人につき、いくら支払われたのか。
視界いっぱいに広がる女性たちの遺体を見て、心が痛んで痛んでどうしようもない。
「吸血鬼に血を捧げた女性たちは、地位や名誉。金、美貌、それぞれが望むものを与えた」
でも、どんなに心が痛んだところで、失われた命は戻ってこない。
「立派な等価交換が成立している」
女性たちが得たなんらかしらの対価は、果たして本当に女性たちを幸せにすることができたのか。
命と引き換えにしても女性たちは望んでいるものが欲しかったと亡き命に返されてしまったら、父を咎めることすらできなくなる。
「みんなが幸せになれて、良かったじゃないか」
遺族に、どう説明すればいいのか。
遺族に、どう謝罪をすればいいのか。
自分の身は、どうなっても構わない。
そんな風に言ったところで、自分の身を捧げるだけでは被害に遭った女性たちは報われない。
「私の元に来なさい。そして、吸血鬼に血を与えるんだ。吸血鬼どもの心を支配することで、おまえは未来永劫の幸せになることができる」
もしも私の手に銃があったのなら、父の口が動く前に父を撃っていたかもしれない。
でも、そうさせないために、私に銃を握らせることを許さない人たちが傍にいる。
「お父様、坂上さんだけは解放してください」
「人の命を奪った橙耶に、帰る場所なんてないはずだが」
「っ」
真実が告げられるというのは、こういうことなんだと思った。
世の中には知らないままでいた方がいいこともあるんだって、身をもって体感させられているような気がする。
「政府の認可を受けた吸血鬼が人を殺したとなれば、待つのは死刑のみ」
だけど、これは知らないままではいられない事実。
すべてを受け入れなければ、すべてを理解しなければ、私は父から坂上さんを救うことなんてできない。
「橙耶は、私の元にいた方が幸せになれる」
政府の認可というものが、どういう過程を経てものを指すのか分からない。
でも、それ相応の審査があるからこそ、坂上さんは吸血鬼狩りとして戦うことを許された。
「世界から不要とされた橙耶、異質な存在である紅音。二人を、私が受け入れてあげると言っているんだ」
「そういうのは、大切にしているとは言わないのではないでしょうか」
「晴馬、さん……」
坂上さんの戦力を削ぐことに専念しながらも、晴馬さんは私と父の会話を無視しなかった。
私を救うための言葉を向けてくれることに泣きたくなるけど、ここで泣いてしまったらすべてが台無しに終わってしまう。
「本当に大切にしているのだったら、その手を離すのが親心では?」
晴馬さんのことを、第三者というのだと思う。
私と父の問題には、ある意味では無関係。
それなのに、関わってくれようとする晴馬さんの気持ちが私の心を救い出す。
「花里の息子なら、私の想いに賛同してくれると思ったんだが」
「人を幸せにしたいという気持ちには賛同できます。ですが、誰かを悲しませることで得られる幸せを、俺は幸せと呼びたくありません」
「すべての人間が幸せになれる道を探すなんて、まるで物語の世界のような話だ。いや、素晴らしい。実に素晴らしい発想をお持ちだ」
銃弾の音が鳴りやまない中、晴馬さんに向けた父の拍手の音も夜という闇の中で大きく鳴り響くという異様な光景。
「こんなにも多くの女性を殺しておきながら、お父様は尚も笑っていられるのですね」
銃弾と、拍手。
そして、父の笑顔。
どう組み合わせても異様で、異常で、おぞましい。
「紅音、私は人々を幸せにすることを諦めたくない」
もしも拳銃を手に取ることを許されていたら、私は父の喉仏に銃を突き当てていたかもしれない。
引き金に手をかけて、父の声を永遠に聞くことがないよう封じてしまうかもしれない。
「紅音が力を貸してくれたら、私には無限の金が手に入る。その金を私利私欲のために使うのではない。世を懸命に生きる人々のために使う。ただ、それだけのことではないか」
「対価を得る代わりに、命尽きるその日まで血を捧げろと……?」
「私だって鬼ではないよ、紅音。そこにあるご遺体は、もっと高みに行くことを望んでしまったんだ。もっと金が欲しい、もっともてはやされたい、もっと……そんなに欲しいものがあったら、彼女たちの血が足りなくなるのも当然だ」
父の護衛をしなければいけない坂上さんは晴馬さんと対峙していて、父を助けに来ることはできない。
それなのに、父は自分の身を守るために仕込んでいる何かしらの武器を取り出そうとはしない。
私が武器を持っていないことを嘲笑っているように、父は未だに武器一つを取り出さない。




