第3話「砂埃」
「こほっ、こほっ」
「紅音様っ!」
「この感覚、です……」
屋敷までの距離が、あと数歩というところで私は立ち止ってしまった。
それもそのはずで、屋敷に近づいていけば近づいていくほど、寒気のようなぞくぞくとした感じを受ける。
忘れたくても忘れられない感覚が迫っているのを感じる。
「……紅音様、自分で目を閉じることはできますか」
「閉じません」
「……信じますよ」
「私なら、大丈夫です」
想定していた通り、人影のようなものが私を目がけて襲ってくる。
それを阻むのは、吸血鬼狩りの晴馬さん。
(これが、命を懸けた戦い……)
嗅いだことのないような異臭と言いたいけれど、嗅いだことのある嫌悪感ある懐かしい臭いが漂う。
院瀬見と呼ばれていた吸血鬼が亡くなったときに嗅いだ、血液の匂いが私の記憶を刺激してくる。
「っ」
吸血鬼を撃破すると、彼らの体から血液が溢れ出してくる。
その姿は人間となんら変わりがないのに、彼らは時間をかけることなく砂へと化していく。
どんなに姿かたちを人間に揃えてきたとしても、彼らは人ではなく化け物だということを自身の目で確認していく。
(狼は、この現実を私に見せたかった……? それとも、まだ引き返すことができると訴えるために足止めをした……?)
心の問いかけは、恐らく狼さんには届かない。
悲惨な現実を受け入れながら、晴馬さんが吸血鬼と戦いことの意味を身体全体で記憶していく。
「お父様……もうやめましょう……」
屋敷の敷地内に入るには、屋敷と外の分けるために設置されている大きな門を通らなければいけない。
晴馬さんたちが父の手下である吸血鬼を亡き者にしたことを確認すると、私はゆっくりとした足取りで自分が育ってきた家へと向かって行く。
「晴馬さ……」
「支えます」
「……ありがとうございます」
吸血鬼の返り血を浴びても可笑しくないくらいの戦闘が繰り広げられていたはずなのに、今日は晴馬さんも服を汚すことなく綺麗なまま。
ああ、どうかこの綺麗さを保ったまま、事が終わりますようにと祈りを込める。
「お父様は、何を、やっているのですか……」
「おまえを屋敷から遠ざけるために、獣を配置したんだがな」
無数の、遺体。
屋敷には、数えきれないほどの女性の遺体が横たわっていた。
吸血鬼に血を吸い尽くされた女性たちは、山のように積み重なっている。
自分が想像していたよりも数は多いかもしれない。数体どころの話ではなくて、考えたくはないけど数十はあるのかもしれない。
花を咲かせない桜の木を愛でるかのように、死体の山は桜の木を取り囲む。
「……人の手で開発した獣は意志が弱い。意志なんてものを持たせたから、私たちの実験は失敗してしまった」
意味の分からない嘆きを零す父。
久しぶりに会ったはずなのに、そこには嬉しさも喜びも何一つ存在しない。
「晴馬さんっ」
私は、特異な血を持つ者。
そんな理由があるせいか、銃弾は私を目がけて飛んでこない。
こんなにも深い黒に包まれる時間帯に、晴馬さんを目がけて銃弾が撃ち込まれる。
「晴馬さ……」
「どうせ狙うなら、心臓とか頭を狙うべきだと思うんですよね」
銃弾が晴馬さんを狙って飛んできたのは事実。でも、銃弾は晴馬さんの体に触れることなく足元へと失速してしまった。
「やり方が生温くて嫌になります、橙耶さん」
耳を割くような銃声音が暗闇の中、鳴り響く。
花壇に植えられている花々が見守る中で、花の美しさとは縁遠い銃弾が飛び交う。
目にも見えない速さで銃弾を撃ち合っているというのに、まるで銃弾が見えていると言わんばかりに晴馬さんは怪我ひとつ負わない。
「橙耶さん、何か喋ってくださいよ……」
このあと、ひとつの真実が確信へと変わる。
「理性のある吸血鬼なら、話をすることくらいできるでしょう」
晴馬さんは、坂上さんを理性のある吸血鬼と称した。
これが、私と坂上さんを遠ざけていた理由。
これが、晴馬さんと坂上さんの距離が縮まらなかった理由だと確信した。
「あなたは、吸血鬼を狩ることを選んだ吸血鬼のはずです!」
晴馬さんに銃を向けてくる坂上橙耶さんも、傷ひとつ負わない。
互いが加減しているとも言えるのかもしれないけれど、この緊迫した状況で加減し合う余裕があるのかは分からない。
「返事をしてください! 橙耶さんっ」
未来で開発された武器は、銃弾を無限に放つことができるのではないか。
そんなことを思ってしまうほど、互いに銃弾の数を気にすることなく、相手の体を貫くまで撃ち込んでいこうとする晴馬さんと坂上さん。
「橙耶が吸血鬼だったことを娘に隠すなんて、私の娘に随分と非道なことをするんだね」
「橙耶さんが正常に動くことのできる吸血鬼と認可されたからこそ、紅音様には橙耶さんを普通の人として見てほしかった。ただそれだけのことです」
父に銃口を向けたいであろう晴馬さんだけど、そうしたら坂上さんと対峙するための手段を晴馬さんは失ってしまう。
銃口を坂上さんに向け続けたまま、まるで冷静に話し合いましょうと言いたげな不穏な空気が私たちを包み込んでいく。
「政府の認可なんて、当てにならなかっただろう? 現に橙耶は、君たちを裏切ったじゃないか」
「っ」
私は晴馬さんと父の会話に口を挟むことをせず、ただただ二人の会話を見守った。
何もできないから出しゃばらないわけでもなく、坂上さんが吸血鬼だったことを隠されていたことへの絶望感から口を動かせないわけでもない。
ただ、この状況下で、自分にできることはなんなのかということ懸命に探す。
だから、口を動かす余裕がない。
(私と坂上さんを接触させたのは、坂上さんが信頼されていたからこそ)
晴馬さんと坂上さんは、相手に致命傷を負わせることなく銃撃戦を繰り広げている。
二人が対峙してから長い時間が経つような気もするけれど、状況になんら変化は訪れていない。




