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吸血鬼に愛された世界に、祝福の花が咲き誇りますように  作者: 海坂依里
第5章「花殻~知らないままでも、生きることはできたけれど~」
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第2話「信頼」

紅音(くおと)様、行きましょう」


 私たちに注目しているのかもしれない。真っ白な狼に注目しているのかもしれない。

 どちらにしても、私たちに関心を示さなかった人たちが私たちを見るようになった。


「俺たちをさ迷わせていたのは、この狼です」


 先程まで同じ場所をぐるぐると徘徊していたときは、私たちの姿が見えていなかったのかもしれない。

 晴馬(はるま)さんの言葉を受けて周囲を見回すと、やっと人々の視線が刺さるようになった。

 人々に認識されることが、ありがたいとすら思えた。


「もう、ここから出ることができるはず」


 何度も何度も同じところばかりを歩かされていたのに、獣が作り上げた空間は一瞬のうちに消滅してしまったらしい。

 獣は瞬きもせずに、私たちをただ見つめ続けるだけ。


「俺たちを攻撃したくないんですね、きっと」


 穢れひとつない真っ白な毛並みの狼が幻を作り上げていたということくらいは理解できたけど、だからといって獣を殺すという結論には至らなかった。


「あの、狼が私たちのあとを付いてきますが……」


 私たちの進路を妨害していただけでは、それは罪にすらならない。

 晴馬さんたちの生きる世界にも、優しさというものが生きていて良かった。

 甘い考えかもしれないけど、そんなことを思ってしまった。


「紅音様を襲ったら反撃しますけど、そうでないなら見守りましょう」


 初めて会う狼に、戦わなくていいよと言われているみたいだった。

 初めて会う狼に、これからも武器を取らなくてもいいよと言われているみたいだった。

 晴馬さんが狼に優しく手を差し伸べたように、私も見よう見真似で同じことを繰り返してみる。


「晴馬さんには見守るように言われたのですが……」


 獣が言葉を返してくれることはない。


「その逆で、私たちのことを見守ってくれませんか」


 でも、私の手を噛んでくるようなこともしない。


「行きましょうか、狼さん」


 月見里(やまなし)家の屋敷に近づいていくにつれ、世界が再び夜の静寂に包まれていく。

 言い方は悪いけれど、これが吸血鬼の活躍する時間。

 危険を察知する能力なんてものはないけれど、これ以上先に進むことは危険だと脳裏で何かが訴えてくる。


「紅音様、大丈夫ですか」

「どちらかというと、大丈夫ではありません」


 月も星も、どちらの明かりも世界を照らしているはずなのに寂しくなる。

 街を灯していた輝かしい光が恋しくなるほど、世界は深い黒色に包まれている。

 その様は今の自分の心境とよく似ていて、嫌な予感が自分の中に募っていくのが分かる。


「いつも感じている……その……平和じゃない、みたいな感じが、屋敷の方から伝わってきます」


 疲れたとかではなくて、怖い感じがする。変な感じがする。

 体は凄く元気なのに、私を先に進ませないために何かが訴えかけてくる。


「紅音様が、ずっと笑顔でいられる場所を」

「…………はい」

「ずっと笑って生きていける場所を、俺は守って生きます」

「……ありがとうございます」


 静寂という言葉で覆われた世界に、突如けたたましい音が鳴り響いた。


酒々井(しすい)さんから?」


 晴馬さんが服のポケットから携帯端末を取り出して、菖蒲さんと表示された名前に従って端末に向かって応答する。

 遠くにいる人と連絡を取る手段があるという未来の文明に感動していると、晴馬さんは携帯端末を指で軽く叩いた。


『晴馬に、紅音ちゃん? 聞こえる?』

「聞こえてます。何が起きたんですか?」


 未来の機械は、私たちにも菖蒲さんの声を届けてくれる。

 菖蒲さんが、どんな状況に陥っているかという情報を届けてくれる。


『治療してから行くから、合流が送れるって報告』

「酒々井さん! 治療が必要って、どれだけ出血が……」

『晴馬、声大きい……頭に響くから……』


 連絡を取り合うことができるということは、菖蒲さんが生きている何よりの証となる。

 それなのに、菖蒲さんの傍にいるはずの坂上さんの声は聞こえてこない。


「酒々井さん、お一人ですか」


 菖蒲さんの出血が酷いのなら、尚更いちいち何が起こったか説明している暇がないということなのだと思う。

 ゆっくりと話をしている暇もないという現状に焦りが生まれてくる。


『私、誰に襲われたと思う?』

「……わかるわけないじゃないですか」

『うん、そうよね。うん、晴馬は、そのままでいいの』


 晴馬さんの身に、何が起きたのか。

 肝心な答えが返ってこないまま、やりとりは終わりに向かっていく。

 短い時間の中でも伝えられることはいっぱいある。

 伝えなければいけないことは、山のようにある。

 無事に帰ってくることができたら、そのときは菖蒲さんと話をたくさんしたいと未来に希望を抱くよう脳に向かって命令をする。


『紅音ちゃん、晴馬のことをよろしく』

「はい」


 菖蒲さんの、その一言。

 どれだけの想いが込められていることかと考えるだけで胸が痛くなる。


「あとは、俺に任せてください」


 晴馬さんの、任せてって一言も。


「酒々井さん、死なないでくださいね」

『勝手に殺さないでほしいんだけど』


 晴馬さんの、死なないでという一言にも。

 菖蒲さんの、返事にも。

 想いが込められすぎていて、機械越しの声を聞いているだけで辛いと思った。

 そんな私の気持ちを察したのか、狼らしき獣が私の足元へとすり寄ってくる。


「……菖蒲さんのところに、行ってもらえますか」


 会ったばかりの獣と意思疎通ができるほどの、強い力に恵まれているわけではない。

 私に物語に出てくる主人公のような力は身についていないけれど、出会ったばかりの仲間を信じられるという確信だけは大切にしたいと思った。


「菖蒲さん、応援を送ります!」

『え、応援?』

「頼ってください! 信じてください!」


 たいして事情を説明していないのだから、菖蒲さんの頭は疑問だらけになってしまったと思う。

 負担をかけただけとも言えるけれど、だからこそ言葉に想いを込めた。

 菖蒲さんを助けてくださいって、狼さんに願いを託した。


『ありがと、紅音ちゃん』


 そこで、菖蒲さんとの会話は途絶えた。

 会話が終わるのを見守っていた獣は、私たちを月見里の自宅に向かうように促す。

 私たちが狼さんとの別れを選ぶと、狼さんはどこにいるかも分からない晴馬さんの元に向かって勢いよく走りだした。

 最初は私たちを惑わすために現れた獣だけど、駆け抜けていく姿に頼りがいのようなものを感じられるようになった。

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