第2話「行く」
「おかあさん、こっち」
「そんなに慌てると転んでしまいますよ」
晴馬さんと坂上さんに護られながら月見里の敷地の外へと足を踏み出すと、賑やかな声と空気で包まれている平和な世界が私たちを出迎えた。
明治の時代は父親が原因で、吸血鬼と呼ばれる化け物に侵食されている最中。
平和とは縁遠い世界のはずなのに、晴馬さんたちに護られながら歩く街並みは、晴馬さんたちに護られながら生きていく場所は、とても平和なものとして視界に映り込んでいく。
(たとえ今は花が咲かなくとも、平和を取り戻したらきっと……)
街行く人々を祝福するように、大きく腕を広げているような。
そんな表現が似合う桜並木たちは、春という季節の訪れを喜ぶように満開の花を咲かせていた。
「お二人に、受け入れてほしい話があるのですが」
院瀬見の屋敷に戻ってくると、薄っすらと陰鬱な空気が漂っている気がして呼吸することを躊躇わせる。
でも、この屋敷には未来から来てくれた吸血鬼狩りの方々が三人も待機してくれている。
そのありがたさに甘えながら、私は屋敷に辿り着いたばかりの晴馬さんに声をかけた。
「先に、菖蒲のところに行ってる」
「坂上さ……」
「まずは晴馬に伝えてくれ。話は、それからだ」
冷たい言い回しをされたけれど、私は坂上さんに突き放されたわけではない。
先ほどまで得ていた温かな時間を思い出しながら、この場へと残ってくれた晴馬さんに話しかける。
「申し訳ございません、橙耶さんは冷たい物言いをされるので、お気を悪くしたら……」
「坂上さんと過ごす時間を用意してもらったおかげで、ほんの少し坂上さんのことを理解できました」
理解という言葉は正しくないかもしれないけれど、私は坂上さんに抱いていた恐怖や不安のような不穏な感情を和らげることができた。
それも晴馬さんが気遣ってくれたおかげだと、私は感謝の気持ちを伝える。
「皆さんと、もっと多くの時間を共にできたら嬉しいのですが……」
事件が動かないのなら、こちらから動くべき。
そんな発想が生まれるようになった自分に驚かされもするけれど、私の生きる時代で父が悪だくみをしているというなら娘として血を捧げることも厭わない。
「晴馬さんたちが元の時代に戻れるように、私に協力をさせてもらえませんか」
父は、吸血鬼にとって特別な血を持つ私の行方を追っているはず。
たとえ早朝の短い時間であっても、私は月見里の家に戻っていた。
そこで父と鉢合わせることがなかったということは、吸血鬼として力を振るっていた院瀬見を失った父の行動も制限されているということ。
「私には、院瀬見の血を吸われた記憶しか残っていません。ですが、特殊な血を引く母が亡くなった以上、私の血が抜き取られて吸血鬼に売買されている可能性もあるのかなと」
「紅音様は、切り札だと……」
「はい、切り札である私を置いて、別の時代へと移動することはないだろうと自惚れてみました」
亡き晴馬さんのお父様と私を重ね合わせているのか、相談相手の晴馬さんの瞳は迷いを抱えているようにも見える。
「吸血鬼をおびき寄せる餌に、私を利用してください」
明治という時代を変えることはできないことが確定していても、自分の未来を切り拓くのは自分自身。
私の瞳に宿った意志を感じ取ってくれた晴馬さんの瞳は、次第に強さを帯びてきたような気がする。
「晴馬さんたちなら、私のことを必ず守ってくれると思ったので」
晴馬さんが、一瞬だけ私から目を逸らせた。
晴馬さんには晴馬さんの考えがあってのことだと理解できるから、視線が交えないことを不安には思わない。私はただ、晴馬さんの結論を待つのみ。
「簡単に起こらない奇跡が起こることを信じています」
自分の人生と晴馬さんの人生を重ね合わせるつもりはない。
晴馬さんの人生は晴馬さんだけのもので、私の人生は私だけのもの。
絶対に交わることがないものだと分かってはいるけれど、大切な人を失う可能性を恐れる晴馬さんの気持ちが痛いほどよく分かってしまう自分もいる。
「紅音様、俺のせいで顔色が……」
離れていた手が、繋がる。
冷え切った私の手が、晴馬さんの熱で包み込まれる。
「いえ、ここは俺が反省すべきところではありませんね」
晴馬さんと瞳を合わせると、いつもの晴馬さんらしさが戻ってきたような気がして酷く安心した。
「紅音様と、紅音様の時代を生きる人々が、平和な日常を取り戻すための手伝いを、俺にもさせてください」
泣き崩れたいくらい安心してしまっているけれど、ここは泣く場面ではないから困ってしまう。
「もっと、ご自分のことを大切にしてくださいね」
晴馬さんからの言葉は返ってこない。
どんな言葉を投げかけても、晴馬さんの余裕は崩れない。
「紅音様も、どうか」
一呼吸した後に、晴馬さんは言葉を返してくれた。
「行きましょう、共に」
ようやく交え合った視線の先に、互いが映り込んでいることを幸せに思う。
「晴馬さん。共に進むことを許してくれて、ありがとうございます」
独りではないことが、こんなにも心強いものだとは思わなかった。
「生きるために力を貸してください、晴馬さん」
「もちろんです」
自然と、晴馬さんの手と自分の手が繋がる。
あったかくて、優しくて……私が欲しかった温もりを晴馬さんが伝えてくれる。
「共に、生き抜くことを選択しましょう」
晴馬さんと、目が合う。
ただ、それだけのこと。
ただ、それだけのことが、堪らなく嬉しい。
「私が、この時代にいる吸血鬼たちの囮になります」
自分は戦うことができないから、囮になることで吸血鬼狩りの皆さんの役に立ちたいと申し出た。
なんて無茶な話だとは思うけど、これが最善だと晴馬さんと話し合った。
「晴馬。あなたが付いていながら、どうしてこういう流れになったのかしら」
「この時代を生きる吸血鬼を一刻も早く殲滅し、吸血鬼の協力を得ている紅音様のお父様を見つけるためです」
「それは私たちの事情であって、紅音ちゃんを巻き込むな」
力のある人間が吸血鬼の囮になると言うならともかく、私は吸血鬼に襲われたところで血を差し出すことしかできない。
そんな人間が囮を願い出るなんて格好悪い以外の何物でもないと思うけど、これが現実だと受け止めた。
「吸血鬼狩りの皆さんなら、私のことを助けてくれると信頼しています」
「あー……、こんなに信頼されて嬉しいはずなのに、素直に喜ぶことができない……」
「菖蒲にとって、それだけ紅音が妹のように可愛いということだろう」
「そうよ! 私には妹がいないから、紅音ちゃんが本気で可愛いわよ!」
寡黙な印象を与える坂上さんが菖蒲さんを茶化すような言い回しをされたことが意外だったけれど、これは坂上さんが場を和ませようとしているということが日に日に理解できるようになってきた。
(それに、菖蒲さんにとっての妹的存在になれているのなら、それもとても嬉しい)
妹が危険な地に向かうとしたら、姉は真っ先にその行く手を遮るかもしれない。
ありもしない家族関係を妄想するのが楽しいということは、私も菖蒲さんのことを姉のように慕っているということでもあるのだと思う。




