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吸血鬼に愛された世界に、祝福の花が咲き誇りますように  作者: 海坂依里
第3章「花嵐~触れて、遠ざかる~」
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第9話「呼吸」【晴馬視点】

「私も、晴馬(はるま)さんのことを守ってもいいですか」


 紅音(くおと)様は、未来への希望を見せるかのような優しい声をくれる。

 父さんを守ることができなかった自分でも、この世界を生きるほかの家族なら守ることができるんじゃないか。

 そんな未来への希望を、紅音様は与えてくれる。


「紅音様」


 息を吸って、息を吐く。

 そんな当たり前の動作にだって、俺はいちいち罪悪感を抱いていた時期がある。

 この世界の息を吸い込むことを、罪だと思っていた時期があった。


「ありがとうございます」


 息を吸ってもいいんだって。

 生きていくことを許してくれた人がいる。

 やっぱり俺は、挑戦したい。

 大切な人を守るという、自分に与えられた使命に。


「……無理をしないでくださいね」

「無理には慣れているんですけどね」

「晴馬さん」

「ははっ、はい。申し訳ございません」


 自分に言い聞かせるために、大丈夫という言葉を何度も心で唱えてきた。

 だけど、その大丈夫の言葉は今にも消えてしまいそうなほどに小さかった。


「紅音様」


 ちっとも大丈夫じゃない自分が情けなくて、でもそれ以外に自分を落ち着かせる方法を知らなかった。

 独りで生きていく世界に慣れたいと思う反面、自立できない自分を露呈しているようでますます格好がつかなくなっていた。

 そこに、紅音様(あなた)は現れた。


「必ず、紅音様を救ってみせます」


 力もないくせに何を言っているのか。

 そんなことを思われているかもしれないけど、そうでも言って格好つけたいと思ってしまう。

 愛しいあなたを、こうして目の前にしているせいなのかもしれない。


「俺を信じてください」

「晴馬さん……」


 これは俺の決意であり、紅音様と勝手に交わした約束。 

 一方的な約束事なんて、約束にならないかもしれない。

 だけど、紅音様には少しでも安心してほしかった。終わらない苦しみはないということを伝えたい。


「そして、平和な時が来ることを待っていてください」


 大切な人を守るために戦いたいという意志が強いと、いざ大切だと思う誰かに何かあったときが一番弱くなる。

 強さを身につけるとは、そう簡単にできることではない。

 それでも、大切な人のために戦いという想いは未来の自分を強くしてくれる。

 なんのために戦うのか、しっかりと胸に刻んでいきたい。


「さて、紅音様」

「どうかされましたか」


 自分の腕の中にいる紅音様が、心配そうな顔で俺のことを見てくる。

 向けられる紅音様の真っすぐな視線から逃げ出したくて、瞳を逸らしたくもなる。

 それだけ自分には勿体ないと感じてしまうほど、彼女の瞳は綺麗で、心はどこまでも純粋。


「熱がありますね?」

「え、あっ……晴馬さんっ!」


 右手を使って、紅音様の額に触れる。

 ただ、それだけ。

 ただそれだけのことなのに、熱い。

 体が熱くなってきて、徐々に頭の中まで熱に侵されていく。


「こうして抱き締め合っていると、より紅音様の体温を感じられるので」


 熱があるのは俺ではなく紅音様の方なのに、まるで自分の熱が上がっていくかのような感覚に陥る。


「これは……殿方と一緒に眠るのが初めてのことで……緊張で顔が火照っているだけ……」

「おとなしく看病されてください」


 いつもの日常が戻ってくる。

 いつもの日常が戻ってくるということは、紅音様が生きる世界が平和だという証拠でもある。そのいつもの日常に触れることで、心が休まっていくのを感じる。


「昨夜、俺のせいで体が冷えてしまいましたね」

「違います、晴馬さんのせいでは……」

「俺のせいでないのなら、紅音様の理由を聞かせてください」

「晴馬さん……」


 額に当てた右手を、そっと取り払う。

 これで紅音様の熱を感じなくなったはずなのに、手には額には紅音様の熱が残ったまま逃げていかない。

 自分の体温に戻りたくないかのように、紅音様の熱の逃がし方が分からない。


「紅音様のお話を、俺に聞かせてください」


 俺が紅音様の名前を呼ぶと、彼女は俺のことを見てくれた。

 俺を、視界に入れてくれた。

 これが、いつもの日常。

 そう言葉にしなくても、紅音様の瞳が世界の平和を教えてくれる。


「昨夜は……私の夢見が悪かっただけのことで……」


 紅音様が、ぽつりと言葉を零し始める。


「っ」


 鳥が一斉に羽ばたいていく音が木々を揺らし、小さな紅音様の声をかき消してしまうほど。

 音による振動を受けた木々の葉は、耳が不快になるほどの騒音を起こす。


「こんなに鳥が集まっていたのですね……」


 ただ、驚いただけだとは思う。

 吸血鬼が現れたわけでも、なんでもない。

 予想もしていなかったことに、体がびくりと反応してしまっただけのこと。

 そう思うけれど、紅音様の些細な動きにすら敏感になってしまうのは過保護以上の想いを抱いているのが理由かもしれない。


「震えなくていいですよ。紅音様の傍にいますから」


 傍にいてもいいと許可をくれるなら、ずっと傍にいる。

 傍にいてもいいと許可をもらえなくても、彼女の人生が彩り豊かなものになるようにと祈りを込めていきたい。


院瀬見(せいみ)の屋敷は、ようやく春を取り戻し始めたんですね」

「え?」


 窓の向こうには、春を感じさせる彩り豊かな花壇が広がっている。


「紅音様のお屋敷にある桜の木と同じで、この屋敷の植物たちは息をしていないように見えていたんです」


 紅音様が、そっと窓の向こうを覗き込む。

 自分を傷つけた男が暮らしていた屋敷の庭なんて覗きたくもないとは思ったけれど、それでも花の美しさは心を豊かにしてくれるのではないかと期待を込めた。


「綺麗……とか思ってしまう私は、馬鹿なのかもしれませんね」


 目の前に広がる美しすぎるほどの花咲く世界は、これから残酷な展開が繰り広げられるなんてことを思わせないほどの光を放っている。

 その美しさは、未来には希望しか待っていないということを訴えかけてくるかのようだった。


「俺も、この世界が好きです」

「晴馬さんも……ですか?」

「はい」

「同じ……ですね」

「はい、俺と紅音様の感覚は同じみたいです」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。

 心の底から大笑いしたとか、そういうことではない。

 けれど、互いに交し合った笑顔に、俺は救いのようなものをもらった。


「夢を見ることを、怖いと思うことがありました」


 紅音様の手に触れると、彼女の手は熱を取り戻していることが確認できる。

 俺が奪ってしまった彼女の体温は戻ったことに安堵すると、紅音様は(かじか)んだ手ではなく力を込めて手を握り返してくれた。


「今も、怖い……怖がっていると思うのですが……」


 紅音様と、視線を交える。

 互いの瞳に互いが映り込むことは、幸福なことだと身体が覚え込んでいく。


「ようやく、良い夢が見られるような希望が生まれてきました」


 紅音様と自分が歩んできた人生は、まったくの別物のはずなのに。

 それなのに、自分と同じ想いを持っている人と巡り合うこともあるのだということに不思議さを感じる。

 こんな、奇跡と奇跡が重なり合うような現実に巡り合うことがあるなんて信じられなかった。


「俺も、もう悪夢に(うな)されることはなさそうです」

「晴馬さんも……?」

「さっきから、同じ感覚を受けているみたいですね。俺たちは」


 優しさの貸し借りとか、見返りを求め合うということでもない。


「こういうのを、共有と言うのかもしれませんね」

「晴馬さんと生きてきた時代は違いますが、こうして共有し合うことができるのですね」


 俺に幸福感を贈ってくれる紅音様を、いま以上に幸せにしたい。

 心の底から、そう思う。

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