第5話「救う」【晴馬視点】
紅音様が生きる時代を経て、日本は資本主義経済、資本主義社会を築き上げ、経済大国として栄えた。
人々は平和に暮らし、人々は毎日を楽しく過ごしてきた。
誰も、この平和で豊かな日々が消えてなくなるなんて思っていなかった。疑うことすらしなかった。
「晴馬、おまえには吸血鬼と戦う才能がある」
ある日、政府は武器を望んだ。
政府は、人を殺すための武器を望んだ。
政府は、自分たちの命令を忠実に受け入れる武器を望んだ。
「おじいちゃん、きゅうけつきって?」
「おまえだけが、世界を救う力を受け継いでいるんだ」
政府が開発したのは、物語の世界にしか存在しないと思われていた吸血鬼。
政府は望み通りの武器を手に入れた。しかし、そんな都合よく世界は完成しない。
「世界は、おまえの力を必要としている」
「ぼくの?」
人間の命令を聞かなくなる吸血鬼が誕生し始めた。原因は不明。
困り果てた政府は、吸血鬼の処理を命じた。
政府関係者と血の繋がりを持つ子どもたちに。
「吸血鬼と、戦うんだ」
「たたかう?」
「そうだ」
すべては、政府が吸血鬼の開発を行っていたことを隠すために。
すべては、国民を騙すために。
すべてを隠蔽するために、両親の後継ぎに関係のない子どもたちは両親のために働くことになった。
「おまえも、この世界のことを守りたいだろ?」
「うん! みんなをまもりたい!」
「おじいちゃんと頑張ろう」
祖父が目を付けたのは自分の息子ではなく、物心ついて間もない孫の方だった。
「そんな根性では、世界を救うことなんてできないぞ!」
「おじいちゃん、やだよ……」
祖父が力強く頷いて、気強い声を返してくれたあの日以来。
俺は家族と離れて、祖父と二人きりの生活を始めることになった。
それと同時に、あんなに温厚で優しかった祖父がその日を境に豹変した。
「どうしてそこで諦めるんだ! おまえがそんなでは、世界は滅びてしまうんだぞ!」
「こわいよ……くるしい……」
政府が密やかに進めてきた計画を世に出さないため、吸血鬼と戦うだけの力を手に入れるための訓練が始まった。
大切な人を守る訓練だと頭では理解していても、祖父の愛ある叱咤に心も体も付いていけなくなった。
「晴馬は、おとなしく言うことを聞いていればいいんだ!」
祖父は実の孫である俺のことを厳しく躾け続けた。
最初は大切な人を守るために力が欲しいという想いから始まった特訓は、次第にどうして自分だけが苦しい目に遭わなければいけないのだろうとか。
そんな後ろ向きな考えばかりが頭を駆け巡って、最後の最後には気が可笑しくなってしまいそうだった。
「おまえが一番大切なんだ…………」
世界を救うって、何?
世界が滅びるって、何?
「おまえしかいないんだ……おまえにしか、この世界を救うことはできない」
「おじい、ちゃん……」
飛び交う罵声に混じって、ときどき祖父は泣いた。
しかいない、晴馬だけが世界を救うことができる。
そう呟きながら、祖父は感情を吐露していった。
「おじいちゃん、ぼく……がんばるよ」
「晴馬……」
幼いながらに、目の前で泣き崩れる祖父を見ていられなかったのかもしれない。
こんな祖父を独りにさせるわけにはいかない。
自分が祖父を守らなきゃいけない。
そんなことを思っていたのかもしれない。
「ぼくが、せかいをすくってみせるから」
「晴馬っ……!」
そんな風に泣かれてしまっては、祖父を嫌いになることなんてできなくなってしまった。
すべてが元通りになって、また大好きで優しい祖父が戻ってくるんじゃないかって期待してしまった。
祖父のことを、手放せなくなった。祖父の元から、逃げられなくなった。
「ぼくが、みんなをまもるよ」
祖父の言うことを聞いて、祖父の言うとおりに行動をしていけばいいと思った。
祖父の道具になってしまおうと思った。
苦しさや寂しさといった感情を捨てて、祖父に対して従順に過ごしていけばいいと思った。
そうすることで、怒鳴られる回数は格段に減った。
祖父が泣くことも、祖父が俺のことを叱りつけることもなくなってきた。
幼いながらに考えた作戦は大成功だった。
「晴馬、急ぎなさい」
「お父さん……?」
家族だから、祖父を愛する義務があると思っていた。
祖父を嫌いになるという選択肢を知らなかった俺は、祖父を信じていけば未来に待っているものは幸福だと思い込んでいた。
「どこに行くの? おじいちゃんは?」
歩いても、歩いても、視界に入って来る景色に変わりはない。
よく祖父に置き去りにされていた馴染みある森の中を歩く。でも、今は独りではない。
大切に想っている父が自分の手を引いてくれて、久しぶりに孤独の底から引き上げてもらったような安堵感に包まれる。
「……お父さん……」
俺たちの足音以外の音が聞こえてくるわけでもなく、何も変わらない。
歩く速度だけが上がっていき、祖父との距離が開いていく。
「お父さん……」
安堵感に包まれていたのは自分だけだったらしく、自分の手を握る父の手がかすかに震えていることに気づく。
父が、不安を抱いているのだと気づいた。
だから、父が少しでも安心してくれるように、繋ぐ手に力を込めた。
「晴馬、大丈夫か?」
「お父さんは……?」
自分は祖父に鍛えられているせいか、息ひとつ切らすことなく歩き続けることができていた。
そんな自分を気遣ってくれる父の体の方が疲労感を蓄積しているのを感じるけれど、父は気丈に大丈夫だよと笑って返してくれた。
「はぁ、はぁ……もうすぐ……もうすぐだ、晴馬」
一人は、嫌。
独りに、しないで。
一緒にいたい。
傍に、いてほしい。
森の中から、そんな悲鳴が聞こえてくるような気がした。
でも、それらはすべて錯覚で、それらの感情はすべて自分が抱いているものだと気づいたのはだいぶ後の話になる。
(僕が、おじいちゃんに殺されたら……お父さんたちは、誰が守ってくれるんだろう……)
自分が死ぬことは、怖くない。
でも、家族が死ぬのは怖い。
「晴馬? もう少しだから、頑張れるか?」
手が、震える。
足も、震えそうになる。
父に導かれるままに森の出口へ向かうけれど、家族を失う恐怖に襲われ始めると体を上手く動かすことができなくなる。




