第8話「積み重なる」
「料理を覚えたいというのは、やはり一人で生きていくことを考えてのことですか」
ここで、間を挟むことなく肯定をしてみたい。
でも、晴馬さんと未来を生きるという新しい選択肢が生まれたことで、私の心は不純なくらい揺らいでしまっている。
「そこに、俺を選択肢に加えてもらえませんか」
「っ、ぁ……」
私たちは、まだ恋仲というわけではない。
互いに、初恋というものが手探りのような。
子どもたちの方が、よっぽど器用に恋心という感情を楽しんでいるかもしれない。
「って、さっきから軽すぎますね。俺という人間は」
「……晴馬さんの気持ちは嬉しいです。でも……」
鍋に注がれた井戸水が、ゆらゆら揺らぐ。
「その気持ちは、錯覚かもしれません」
音を立てることはないのに、水の波は騒がしい。
「対象者を護ることで、同情のような気持ちが生まれ……」
「始めは、吸血鬼に囚われた可哀想なご令嬢という認識でした」
やはり、晴馬さんが抱いている感情は恋ではない。
そう確信した瞬間、私は息を呑んだ。
「ですから、同情から始まった気持ちというのは否定できません」
「そう……ですよね。私のような女を好いてくださるなんて、可笑しいと思っ……」
「でも、そこから始まる恋もあるのではないかなと」
わざと、水面を掻き立ててしまおうと思った。
でも、その手は止まった。
「紅音様の笑顔が見たい」
これ以上、波が大きくならないように。
彼は柔らかな笑みを向けてくれた。
「積み重なった可哀想は、紅音様を幸せにしたいという気持ちに繋がりました」
吸血鬼狩りの任務の延長線上で、私に優しくしてくれているとばかり思っていた。
未来を生きる彼には私以外の女性を選択することができるという、嫉妬心のようなものに囚われていたことに気づかされる。
「俺としては、この気持ちが恋であってほしいです」
涙が頬を伝っているわけではないのに、晴馬さんの人差し指が今にも溢れだしそうな涙を拭ってくれた。
「すみません……泣くつもりでは……」
「ゆっくりでいいですよ。ゆっくり歩んでいきましょう」
晴馬さんが、そう声をかけてくるのには理由がある。
違う時代を生きている私たちだからこその事情があるということから、私は逃げてはいけない。
「この時代を、私が生きた時代を捨てるかどうか……ですよね」
「俺は、吸血鬼狩りの任を降りることはできません。なので、紅音様の時代に残ることは難しいのかなと」
時代を捨てるという表現をした私を肯定することなく、晴馬さんは別の言葉を返してくれた。
それを優しさというのだと気づいた私は、晴馬さんが向けてくれる言葉の一つ一つを噛み締めていく。
「俺は明治という時代の終わりも、そのあとの時代がどんな風に終わるかを知っています。未来を知っている人間から言わせてもらうと、この時代で生きることにこだわらなくてもいいのではと思います」
少し、狡いですけどねと晴馬さんは言葉を付け加えた。
「未来を知っている晴馬さんの言葉は大変、重みがありますね」
「申し訳ございません」
「いえ、私のためを想っての言葉に感謝しています」
近いうちに、私の父は晴馬さんたちの手によって逮捕される。
月見里家の崩壊が訪れ、家族を失った私は時代に居残る必要がない。
未来に連れて行ってもらえるというのなら、そこで新しい人生をやり直すのもいいかもしれない。
そんな考えが駆け抜けていくけれど、私の心は波打ったまま。
「この時代は、生き辛い」
今日の夕餉を支度している時間は勉強になることばかりで、更に晴馬さんが向けてくれる言葉も愛が深い。
私を想って、向けてくれた言葉だと分かるから。
「女性にとって生き辛いから時代だからこそ、女性解放運動が始まったんですよね」
事実を、言葉にしていく。
口にしただけの言葉たちは、凶器のように心へと突き刺さってくる。
でも、その凶器は武器に変えることもできるということを感覚として知っていく。
「紅音様、笑顔ですよ」
とびきりの、にこにことした表情で私を元気づけてくれる晴馬さんの気遣いが嬉しい。
「紅音様が、笑顔で生きられる選択を」
「はい、お約束します」
晴馬さんと、いま以上の関係に進展したいという願いが浅はかなのか。
それとも、真っ当な願いなのか。
自分のことなのに、その判断すらできない。
「晴馬さん」
「はい」
「美味しい料理が作れるように、特訓お願いいたします」
「託されました」
吸血鬼狩りの皆さんは、私に嘘のない優しい笑顔を見せてくれる。
だったら、私は大丈夫という意味を込めた笑みを返す。
上手く笑うって、本当に難しいことだと思う。
それでも、人に安心を与えるための笑顔を私も見せていきたい。




