第7話「過去」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさーい」
私が生きた、明治の時代。
ハイカラな町並みが現れたばかりで、その変化に溶け込む人と溶け込まない人たちが入り混じる。
異国風の街が作られる一方で、日本らしい和を感じる街並みも生まれていく。
西洋という異質なものを受け入れて、共存していこうとする姿勢を感じられる場所こそ、私が生きてきた世界だと実感できる。
「何もなくて良かったわ」
「無事に戻ってこられました、ありがとうございます」
院瀬見という架空の華族が暮らしてきた屋敷は、吸血鬼狩りの皆さんが集まる拠点の場所となった。
「紅音ちゃんは、ゆっくり休んで」
晴馬さんたちが元の世界に戻る頃には、この屋敷も砂のように崩れ去ってしまう。
そんなお伽話のような話が実際に起こり得るのかと不思議に思うけれど、吸血鬼狩りの人たちが嘘を吐くとも思えない。
「じゃあ、私は橙耶と組んで仕事に行ってくるから」
「相変わらず、国は人使いが荒いですね」
「戦力的には、三人もいれば十分でしょう」
私は、現実のすべてが砂に変わる日を目にするのか。
それとも、どこか知らない土地へと向かうのか。
まだ分からない。まだ、分からない。
「紅音ちゃん、何かあったら晴馬を遠慮なく頼ること」
「ご厚意に甘えさせてもらいます」
菖蒲さんが屋敷から出て行くのを見送る。
ただ、それだけ。
「いってらっしゃいませ」
「いってきます」
私に吸血鬼と戦う力はないのだから、私にできるのは大切な人を見送ること。
ただ、それだけ。
「屋敷で優雅にお夕飯と言いたいんですけど、まだ掃除が途中ってところが残念過ぎますね」
「院瀬見様の屋敷は、本当に広大ですからね」
いくら院瀬見という華族が存在しなかったといっても、院瀬見に仕えていた人たちは大勢いるはず。
それなのに、この屋敷は誰も住んでいなかったのではないかと思ってしまうほどの埃っぽさを肌で感じる。
「あの、晴馬さん、なんでもおっしゃってください。お手伝いします」
人には、できることが限られていることを知る。
だからといって、悲観的になって落ち込むだけではいられない。
ただ下を向くのではなく、自分にできることがあるのなら率先して行っていきたい。
「そうでしたね、紅音様は自立を目指していましたよね」
「独りで生きることを選んだときに命をまっとうできるように、どうかご指導のほどよろしくお願いします」
「ご令嬢様には、何から教えたらいいのか……」
「あの、一つだけ、お願いがあって……」
晴馬さんの傍で生きていくことを許してもらえるかもしれない。
でも、別れが訪れることもあるかもしれない。
どちらに事態が進んだとしても、私は月見里家を出ると決めた。
月見里家をなきものにするために、吸血鬼狩りの皆さんに手を貸すと決めた。
いきなり独りで生きていくことは難しいかもしれないかもしれないけれど、少しずつ世界を生きていくための知識を得ていきたい。
「俺が、叶えられる願いで良かったです」
料理の勉強をしたい。
そんな私の申し出は早速、実現した。
「酒々井さん、料理がまったくできない人なんですよ」
台所と呼んでいいのか分からないくらい、広い厨房のような場所へと赴く。
普段から、この場を使い慣れていると言わんばかりに、晴馬さんは夕餉の支度を始めていく。
「仕事はできるんですけどね。家事は、さっぱりで」
晴馬さんが吸血鬼狩りということは存じていても、とても血に塗れた争いと縁があるようには思えない爽やかな笑顔で料理を進めていく晴馬さん。
「俺、あとは坂上橙耶さんっていう男二人で菖蒲さんを食べさせているんです」
料理をしたことがない人間は、まず皿洗いの類から始めるものだと思っていた。
けれど、晴馬さんから手渡されたのは異国からやって来た皮剥き専用の道具。
「ぴーらー……なかなか、面白い名前ですね」
「そのうち、日本でも馴染みある物に変わるんですよ」
私が生きる時代には恐らくピーラーが存在しないだろうことから、この道具を使って調理をしていることは秘密だと告げられる。
「この時代って、台所に男は立たないんでしたっけ?」
「家事の料理と、職業としての料理は別みたいですね」
「厨房に立つのは男なのに、どうして台所に男が立ってはいけないのか……俺が生きる時代からすると謎だらけです」
晴馬さんは器用に包丁を使って野菜の皮を剥いたり、刻んだりという工程をこなしていく。
一方の私は、皮を剥くだけでも相当な時間をかけてしまっていて申し訳ないくらい。
いっそのこと、いなくなってしまった方が晴馬さんの作業も捗るはず。
でも、そんな私の気持ちを察してくれた晴馬さんは作業を続けるように優しく声をかけてくれる。




