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吸血鬼に愛された世界に、祝福の花が咲き誇りますように  作者: 海坂依里
第1章「花影~まだ、未来は見えないけれど~」
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第1話「鳥籠」

 明治と呼ばれる時代が、始まりを迎えた頃。

 月見里(やまなし)と呼ばれる華族の元に、女の赤ちゃんが産まれた。

 月見里の血を持つ誰もが、女の赤ちゃんが産まれてきたことを祝福した。

 けれど、私の母だけは女の赤ちゃんが産まれてきたことを嘆いた。


院瀬見(いせみ)様……、そろそろ部屋に戻らないと……」

紅音(くおと)、私のことは名前で呼びなさい」


 この子も、私と同じ。

 子を産むための道具にされるのだと。


「私たちは、将来夫婦になるのだから」

「申し訳ございませんでした……」

「何も謝る必要はない。私が怒っているように見えるのかい?」


 この時代に、あなたを産んでしまってごめんなさい。

 できることなら、できることなら、私は女性が自由に生きることのできる時代にあなたを産んであげたかった。


「さあ、紅音。体の力を抜きなさい」


 幼い頃、母は毎日のように謝罪した。

 けれど、最近になってようやく母の謝罪は止んだ。

 私は、やっと母を解放することができたのかもしれないと安堵した。


「噛むよ」


 いつか出会う旦那様のため。

 いつか嫁ぐ旦那様のため。

 まだ見ぬ旦那様のため。

 女性として産まれた私は、月見里家を栄えさせるための道具となる覚悟を決めました。


「ああ、君の血を飲むと、君は私の妻になるために産まれてきた子だと確信できる」


 安心してください、お母様。

 これからは、私のことを忘れて生きてください。

 私は婚約者様の元に嫁いで、必ず幸せになりますから。


「はぁ、はぁ……はぁ……」


 髪も、自分が着ている召し物ですら、乱れたままでいい。

 早く自分の部屋に戻りたい。

 早く、自分の部屋に帰してほしい。

 婚約者の院瀬見様がお休みになられる客室を出て、自分の部屋に戻る許可を得た。

 でも、自分の部屋が遠くに感じて動かす足が挫けそうになる。


「はぁ……はぁ……」


 月見里家の令嬢は乱れたままでいることが許されない。

 もしも自分の部屋に帰る途中で誰かとすれ違ったら、なんと言い訳するのですかと叱りつけられる。

 それを分かっていながらも、私は将来の旦那様の元から身なりも気にせずに逃げ出してきた。


(旦那様を喜ばせるため……旦那様を喜んでもらうため……)


 言い聞かせる。

 何も、酷い仕打ちを受けたわけではない。

 妻としての務めを、婚約者である院瀬見様が教えてくれている。

 ただ、それだけのこと。


「ここまで来れば……もう……」


 誰も追いかけてくる人がいないことが分かると、私はようやく自分の身なりを整える。

 近くにあった窓硝子を見ながら自分を整えようとしたけれど、自分の姿はあまりにも惨めに思えて泣きたくなった。

 窓の向こうに見える淡い光を放つ三日月があまりにも美しすぎて、余計自分の惨めさが際立った。


「っ……ふっ……」


 ここで泣いたら、お母様に心配をかけてしまう。

 誰かに見つかりでもしたら、月見里家がどういう家なのかということが知れ渡ってしまう。それでも涙が止まらない。


「っ」


 冷えた身体を更に痛めつけるような、優しくない風が吹きこんでくるのが分かる。

 冷たくて、冷たくて、冷たくて、このままでは凍えてしまう。

 どこかの窓が開けっぱなしなことに気づき、私は溢れ出る涙を拭い去って開けっ放しの窓を探す。すると、数歩も歩かないうちに人影を見つける。


「お嬢様?」


 明かりが灯らない廊下。

 夜中に誰も通ることがない廊下は、月明かりを頼りに動くしかできない。


「こんな夜更けに、どうされましたか?」


 月の明かりだけでも、人は人の顔を認識することができるのだと知った。

 月明かりなんて心もとない光のはずなのに、やはり美しいものは美しいと言わんばかりに醜い世界と麗しい彼の顔を照らす。


書生(しょせい)の方……ですよね?」


 薄い青やの生地で仕立てた袴が、彼の動きに合わせて静かに揺れた。

 彼が書生として勉学に励みながら、月見里家に住み込みで働いているのを何度か見かけたことがある。


「なんとなくでも、俺のことを見知ってくれているんですね」


 楽々と窓から屋敷の中に侵入した彼の様子を見て、彼はこの窓が夜でも開いていることを知っているのだと悟った。

 数えきれないほどの使用人が働く屋敷で、開けっぱなしの窓が存在するわけがない。

 閉められた窓から出入りができるように、彼があとで鍵を開けたのだと察する。


「書生が、こんな夜更けに外出ですか?」

「ええ、まあ」

「夜遊びする余裕があるなんて羨ましい」


 彼を咎めるつもりで口にした言葉ではない。

 彼には、遊ぶための時間があることが悔しかった。

 彼には自由があることが、羨ましかった。


「…………夜に外出する理由が夜遊びだなんて、お嬢様は短絡的な発想をされるのですね」


 妬みの気持ちを口にしたことが、彼の癇に障ったのかもしれない。

 窓際に追い詰められた私は、逃げ場をなくした。


「わざわざ口止めしなくても、私は誰にも喋りません」


 こんな、穢れた私に触れないでほしい。

 たとえ口止めでも、たとえその裏に思惑があったとしても、私には触れないでほしい。


「だから解放し……」

「嫁がれる前のご令嬢が、随分と男慣れしていらっしゃいますね」


 こういうとき、普通の女性なら声を発することすらできないのだと彼は教えてくれる。

 恋仲でもない男女が夜更けの、更には誰にも見つからないような場所で二人きり。

 警戒もしくは恐怖を抱くのが普通らしい。

 それなのに私は、何が起きても平気というような顔つきを見せてしまったのかもしれない。


「だったら、話は早い」

「………ぃ」

「俺が夜に出かけていることを黙っていてほしいので、俺と……」

「お願いします! 誰にも言わないでください!」


 月見里家の令嬢が、嫁ぐ前から男慣れしているなんて知られてはいけない。

 すべては、これから嫁ぐ旦那様に喜んでいただくため。

 旦那様に快く私をもらっていただくために、私は婚約者の院瀬見様と夜更けに相瀬を重ねる。

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