2-2 鴉と青年
私は、自分でもわかるくらいに顔を顰める。
言霊だとか呪いだとか……この子、もしかしてちょっとやばい人?
その不信感をさらに募らせるように、自転車に止まるカラスがまた喋る。
「なるほどな。この女の力があれば、本殿にかけられた『結』の呪いも解けるかもしれねぇ」
「おねえさん!」
困惑し、再び後退する私に、彼はずいっと身体を寄せて、
「俺、玉織空哉って言います。こっちはカラスのシロ。おねえさん、お名前は?」
「や、山河海花……です」
「海花さん。突然で申し訳ないのですが、一緒に来てもらえませんか? あなたの力をお借りしたいんです!」
「えぇっ?!」
一緒に行く、って……喋るカラスを連れた、怪しすぎる男の子と?
という私の動揺を察したのか、青年――空哉くんは真摯な態度でこう続ける。
「俺、隣町にある御玉神社で神主をやっています。悪霊化した言霊を封印することが、一族代々の使命です」
「あ、悪霊……」
「先代の神主だったじいちゃんが死んでから、俺がその使命を継いでいるのですが……封印を恐れた『結』の字の悪霊が、神社の境内に結界を張ってしまって」
真面目な顔で何を言うのかと思えば、随分と幻想じみた話だ。
やっぱり怪しい。けど、傘が筆になったりカラスが喋ったりと、既にファンタジーな事象が起こりまくっているため、とりあえず続きを聞くことにする。
「悪霊を封印するには、この『封字弥筆』が必要なんですが、『結』の悪霊に傘と結合されてしまい……元に戻す方法を探っていたところ、何者かにその傘を盗まれてしまったのです」
「……え?」
最後の言葉に、私は固まる。
「盗まれたって……あの黒い傘を?」
「はい。半年前、知人に助言を求めに居酒屋を訪れた時に失くしてしまって……たぶん雨が降ってきたタイミングだったので、誰かに盗まれたんだと思います」
「そのせいで結界が解けず、コイツは神社の敷地にある自分の家にも入れなくなったんだ。女、お前が盗んだんだろ? 素直に白状しろよ」
カラスに問い詰められ、私は……愕然とする。
半年前の、居酒屋。
それは、私と元カレが、初めて出会った場所。
……なんてこと。
あの黒い傘は、元々この空哉くんのもので……
元カレが、私と帰るために盗んだものだったのだ。
「…………」
私の中で、元カレへの怒りが沸々と湧いてくる。
俯く私を見て困っていると思ったのか、空哉くんがフォローするように言う。
「シロ、それはないよ。言霊は清廉な魂の持ち主しか寄り手に選ばないんだ。『解』の言霊に選ばれたこの人が盗みなんてするわけがない。ごめんなさい、海花さん。この筆を持っていたのには何か事情が……」
「……君は」
空哉くんの言葉を遮り、私は顔を上げ、
「君は、傘を盗まれたせいで……半年もお家に入れていないの?」
震えながら、尋ねる。
私の雰囲気に驚きながら、空哉くんが頷く。
「は、はい。境内に結界が張られて入れないので、神社の運営もできず……とりあえず日雇いのバイトで稼いで、野宿して生活しています」
野宿……
私は罪悪感に苛まれ、深く頭を下げる。
「ごめんなさい。傘を盗んだのは、たぶん私の元カレ。そうとは知らず、ずっとうちに置いていた」
「も、元カレ?」
「そう。盗んだ当人はもういないけど……代わりに謝罪させてください」
「詫びるってんなら一緒に神社へ来い。お前の『解』の力で結界を解いてくれ」
と、シロと呼ばれたカラスが横柄な声で言う。
「カイ?」と聞き返すと、空哉くんが代わりに答える。
「解放とか解くの『解』です。あなたは『解』の字の言霊に選ばれた"寄り手"という稀有な存在なんです」
「……へ?」
「言霊は清らかな魂を持つ者を好み、守護霊となってその人を護ります。だからこそあなたは、筆にかけられた結合の呪いを解くことができたんです」
私に、守護霊……?
思わず背後を確認するが、当然霊など見えるはずもない。
俄かには信じられないが……『解』という字を思い浮かべ、私はハッとなる。
もしかして、昔から解いたり分解したりするのが得意なのは、その守護霊のお陰だったとか……?
あぁもう。傘が筆になって、カラスが喋って、元カレが窃盗犯で、言霊が守護霊?
傘を捨てようとしただけなのに、こんな非現実的な状況に巻き込まれるだなんて……
「待って。少し話を――」
整理させて?
そう言おうとした私の言葉は、そこで止まる。
何故なら、急に視界が暗くなったから。
……否、暗くなったのではない。
景色から色が消え、モノクロに変わったのだ。
「な、なにこれ……!?」
目がおかしくなってしまったのかと狼狽えるが、どうやら空哉くんも同じらしい。焦った様子で周囲を見回している。
「これは、此岸と彼岸の境界……まさか……!」
空哉くんがバッと振り返る。
つられるように私も目を向け……すぐに、息を止めた。
黒よりも暗い、闇色の身体。
鋭い爪を持つ八本の脚。
ギラリと光る無数の目。恐ろしい牙。
……蜘蛛。
それも、見上げるほどに大きな蜘蛛が、街路樹の向こうから、音もなく現れた。