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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第四章

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35 登校の日


 退院してから数日が経った。


 久しぶりの家での生活は、思った以上に穏やかだった。両親は俺に必要以上に干渉せず、でも気遣いを忘れない距離感を保ってくれている。


 母さんが作る食事の香りや、父さんがリビングで新聞をめくる音―――—病院の静寂とは全く違う日常の音が、どこか懐かしくて心地よい。

 だけど、まだ俺の中には不安があった。


 学校に戻ること。これまで通りの生活に戻れるのか、友達や先生にどう接すればいいのか、全てがぼんやりとした霧の中にいるようだった。


「学校に行くのは、いつからにする?」

 夕食の席で、父さんがふと口を開いた。


「……来週くらいには、行こうと思う」

 自分の声が少し震えているのが分かった。


「無理はしなくていいのよ。先生にも事情を伝えてあるから、悠人のペースでいいって言ってたわ」

 母さんが優しく微笑みながらそう言った。


「分かってる。でも、あんまり長く休むのも、逆に不安だからさ」

 本当は怖い気持ちもある。けれど、ここで立ち止まっていては何も変わらない。


 父さんは無言で頷き、母さんは「応援してるからね」と静かに言った。

 その言葉が、俺の背中を少しだけ押してくれる気がした。


 そんなある日、玄関のチャイムが鳴った。


「悠人、友達が来てるわよ」


 母さんがそう言ってドアを開けると、そこに立っていたのは――――


「おーっす、桜井!」

 鈴木と宮田だった。


「ちょ、鈴木くん、いきなり来ちゃダメだって!」

「何がダメなんだよ? 退院したんだから、お祝いに来るのは当然だろ?」


 二人のやりとりに、思わず小さく笑ってしまった。


「まあ……上がれよ」


 そう言うと、鈴木は「おっしゃ!」と嬉しそうに靴を脱ぎ、宮田は「お邪魔します」とぺこりと頭を下げた。


 リビングに移動し、テーブルに座ると、鈴木がコンビニの袋をテーブルに置いた。


「ほら、差し入れ。プリンとポテチとチョコ。お前、どれ好きだったっけ?」

「そんなにいらねえよ……」


 苦笑しながら袋の中を見ると、なぜかお菓子ばかり大量に入っている。


「で、桜井、元気になったか?」

 鈴木が腕を組みながら聞いてくる。


「まあな」


 そう答えると、宮田が「無理はしてない?」と心配そうに尋ねた。


「大丈夫。……でも、まだちょっと不安はある」

「そりゃそうだよ」


 鈴木が腕を組みながら言った。


「何ヶ月も休んでたんだから、いきなり元通りなんて無理だろ。でもな、焦る必要なんてねえよ」

「うん。学校は逃げないし、私たちもいるしね」


 宮田の言葉に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「……ありがとな」


 二人と話しているうちに、不安よりも「また学校に行ってもいいかもしれない」という気持ちが少しずつ芽生え始めていた。


「学校のこと、みんなのこと、ちゃんと聞けてよかった」


 そう言うと、宮田が優しく微笑んだ。


「桜井くんが戻ってくるの、みんな待ってるよ」

「でも、無理すんなよ? いつものお前のペースでいいからな」


 鈴木が軽く拳を突き出してくる。

 俺も拳を合わせながら、小さく笑った。


「……そっか、じゃあ、そろそろ考えてみるよ」


 そう答えた瞬間、自分の中で少しだけ前に進めた気がした。

 その夜、布団に横になりながら、鈴木と宮田の言葉を思い返していた。


「焦らなくていい」

「俺のペースでいい」


 病院でカオルに言われた言葉とも、重なる気がする。

 外の世界に戻ることが怖くても、少しずつ進めばいい。


「……また、学校に行けるかな」


 窓の外には、静かな夜空が広がっていた。


「いや、行くんだ」


 鈴木や宮田、白松さん、そしてカオル――—―俺を支えてくれた人たちのためにも。

 もう一度、俺はちゃんと前に進む。


「大丈夫、俺ならできる」


 ――――迎えた登校初日。


 久しぶりに袖を通した制服が、少し窮屈に感じる。

 鏡の前に立ち、ネクタイを締め直す。


「……変じゃないよな」


 窓の外は、明るい朝の光に包まれている。

 鈴木や宮田と約束した通り、俺は今日から学校に復帰する。


 けれど、いざ家を出るとなると、不安が押し寄せてきた。


 クラスメイトたちが俺をどう思うのか、白松さんとはどんな風に接すればいいのか――――考え始めると、足がすくみそうになる。


「大丈夫、焦るな」

 鈴木も宮田も、無理しなくていいって言ってくれた。


 俺は俺のペースでいい。

 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと玄関のドアを開けた。


 昇降口に足を踏み入れた瞬間、周囲の視線を感じる。

 でも、誰も特に何かを言ってくるわけではない。


 ただ、好奇心と戸惑いが入り混じったような視線が、俺の行く先々にまとわりついている気がした。


 廊下を歩くたび、クラスメイトたちがちらりとこちらを見ては、何事もなかったように会話を続ける。


 そんな中―――—


「桜井!」


 遠くから聞き慣れた声が響いた。


「おーっす! やっと来たな!」

 鈴木が大げさに手を振りながら駆け寄ってくる。


「……お前、うるさい」


 思わず苦笑すると、鈴木はニッと笑った。


「まあまあ、静かに迎えるのは俺らしくないだろ?」

「鈴木くん、朝からテンション高すぎ……」


 宮田が少し呆れたようにため息をつく。


「桜井くん、おはよう」

 宮田がにこりと微笑む。その何気ない一言が、俺の緊張を少しだけ解いてくれた。


「……お、おはよう」


 こうやって迎えてくれる友達がいることに、少し安堵する。

 そのまま二人と一緒に教室へ向かった。


 教室の扉を開けると、クラスメイトたちがそれぞれの席で談笑していた。

 俺が入ると、一瞬だけ空気が変わった気がしたが―――—



「おはよー!」

「桜井、久しぶり!」


 次々と声がかかる。


「……おう、久しぶり」

 ぎこちなく返すと、周りの緊張も少し解けたようだった。


 自分の席に向かおうとしたその時―――—


「桜井くん」


 優しい声が、すぐ近くから聞こえた。前の席から立ち上がって振り向いた白松さんがそこにいた。


「おはよう」

 彼女は穏やかな微笑みを浮かべていた。


「……おはよう」

 俺は一瞬、言葉に詰まりながらも、なんとか返す。


「戻ってきてくれて、本当に嬉しい」


 その一言が、胸の奥にまっすぐ届いた。

 俺が何も言えずにいると、白松さんはふっと笑って、続けた。


「おかえりなさい」


「……ただいま」


 その言葉を返した瞬間、ずっと心の中にあった重みが少しだけ軽くなった気がした。


「はい、席ついてー! ホームルーム始めるよ!」


 先生の声に促され、俺は自分の席へと向かった。

 椅子に座り、周りを見渡す。


 久しぶりに戻ってきた教室。

 でも、変わらない日常がそこにはあった。


 白松さんの「おかえりなさい」という言葉が、ずっと胸の中に残っていた。


 過去の自分を否定することじゃない。

 弱さを抱えたまま、ここに戻ってきた。それでいい。俺は、またここでやっていける。


 そう思いながら、朝の光が差し込む窓の外を見つめた。



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