わたしを刺さないナイフ1
わたしを刺さないナイフ カオリ
長い、長すぎる。死んでるんじゃないの。あの子がシャワー室に入って何十分たったろう。わたしが身だしなみに気を遣わないで済むようになってから何年も経つ。生きてるころは自分もこんなだったっけ?
生きてる人の事は本当に心配だ。ベッドの縁から立ち上がって、シャワー室のドアをコツコツ叩いた。
「ねえ、大丈夫?」
水の音が止んだ。少なくとも生きてる。なら別にいい。
静かにドアが開いて、大きな深緑色のバスタオルにくるまれた、水浸しの子が出てきた。血で彩られた横顔もきれいだったけれど、水滴の奥から覗く目もまたきれいだ。
「わかっていると思うけど、わたしはもう死んだ人だから、気にせず好きなだけお湯を浴びていて。生きているか心配になっただけ」
甲板で波を見つめていた時から、この子は話さないどころか声一つ出さない。怖いことがあったのはわかっている。でももしかしたらずっと前から話すのをやめてしまっているのかも知れない。
透き通った薄茶色の目をそっとわたしから逸らすと、そのままもたれかかって来た。
「眠たいの? ちょっと待って。あなた、結構重い」
見た目より筋肉質な子だ。向かい合ったまま社交ダンスでも踊るような恰好でベッドに運び、横たえた。というより、最後は手を離して、落とした。
「びっしょびしょ」
わたしのシャツブラウスにも水滴が染みる。自分でも、なんでパンツスーツでこの船に乗っているのかわからない。昨日の夕方、気がついたらここにいた。回収人と名乗る素敵なおじいさんに会って、この世界はあと少しで閉じてしまうと聞いた。「ふうん」と言う感想だった。
一度死んでいるし、「閉じる」とか「終わる」とかにいちいち心を動かされたりはしない。一晩中、ゆっくりとおじいさんの話に耳を傾けていた。子守歌みたいな声に何度か細切れに眠りに落ちた。
陽が登って、泣いているようにも笑っているようにも見える朝の波を一人眺めていると、てってってっと子どもの走る足音がした。
振り返るとやけに可愛らしい顔立ちの男の子が立っていた。
――この子も死んでる。直ぐにそうわかった。身体の周りにわたしと同じような薄い膜がかかっているのが見えたから。
その子に見覚えがあった。思い出すまで相当時間がかかりそう、そう思った時、男の子が小さな口を開いた。
「僕、マモルだよ。青い鳥と黄色い鳥を飼ってた」
ああ、あの子。窓際でインコを肩に乗せているのを何度か見たことがある。外で会うのは初めてだ。
「お姉さん、おばさんでしょ」




