鳥に救われる3
どうしよう。雪の向こう側に連れて行かれたくない。全力で立ち上がり、とにかく逃げた。絶対に嫌だ、雪に溶けたくない。
いつもなら特徴のある木や岩が、俺の居場所を教えてくれるのに、雪がそれを許さないように全てを覆い隠していた。
ここ、どこだ? もしかして俺はもう既に雪の内側にいるのか? 心の隅から諦めが顔をのぞかせた時だった。
雪の血液もかすむ、夜に映える赤のワンピースを来た女の人が目に入った。何してるんだ、この人……。陽の落ちた真冬の山にワンピース一枚なんて、凍え死ぬぞ。異様さが折り重なってどれが現実かわからなくなっていた。
女の人は俺の五メートルほど先の道を下っている。雪の上を浮いているみたいにサラサラと動く。
「待って」届くはずもない小さな声を吐くと、俺はその後を追った。足元の悪さと、寒さと、疲労と、さっき滑り落ちた時に足を挫いたので、焦るほどいつもの半分の早さでしか前に進めない。もどかしい。
あの人も雪から逃げているのだろうか。後ろ姿から長い髪を一本に束ねた、細身の女の人ということしかわからない。
迷いなく道を下るその人を見て、消えかけていた力が湧いてきた。あの人は町への道を知っている。背中が「ついてきなさい」と言っていた。
必死で見失わないように走った。その人は背中にも目があるように、一定の距離を保って歩き続けた。俺が息切れをして遅くなると、それだけ歩みを緩め、俺が速度を上げると、その分前へ進む。その間一度も、ちらりとも振り返ったりはしなかった。
「絶対、家に帰るんだ。そして母さんのごはんを食べる」そんなことを壮大な夢のように心に誓った。 誓いの言葉を唱えると、どこかに根をはっていた生きる力が芽生えてきて、春の植物の様に雪に負けない力を俺に与えた。
雪の血の色よりも鮮やかな赤い服を見失わないように、それだけに集中してどれだけ走っただろう。
ふと、俺の道標だった赤が消えた。女の人が急なカーブを曲がったのだ。まずい、見かけてから初めて視界からいなくなってしまったその人を追って、必死で足を動かす。
じゃりじゃりっと氷を滑らす音を立てて勢いよく角をまわった時だった。見慣れた町の外灯が目の前に広がった。温かいオレンジ色。俺を信じて待っていてくれた人工の明かりに涙が滲んだ。
……待て、あの女の人はどこだ?
目の前には一本道。右手には見晴らしの良い雪の空き地が広がり、その先に俺の町の灯がともっている。左手はとても人が登れるとは思えない急勾配の山肌で道らしい道などない。
突然、バサッと大きな音が耳元で鳴った。驚いて首を横に向けたその瞬間、大きな黒い鳥が、俺の鼻先に触れるほどに翼を広げて横切った。
――その鳥と目が合った。
俺を雪の山から逃してくれた、あの女の人の着ていた服と同じ、鮮やかな赤い色で縁取られた目だった。




