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果てを渡る風  作者: 宇野六星
終章 果ての民
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2.果ての民

* * *


「サイード、サイード! 起きて! サイード!!」


 どこかから誰かが呼んでる。その声は錨のようにおれを引き止めて離そうとしない。仕方なく振り向いた――と思った瞬間、おれは目を覚ました。


 姉上がおれの上に屈み込んでいた。その背後で砂嵐が荒れ狂っているが、わずかにここだけが凪いでいる。薄暗く、見えるものの輪郭は曖昧だった。


「…よう、姉上」


 って、さっきも挨拶した気がするな。あれは夢だったか。


「サイード、なんて無茶をするの!」


 姉上は一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐに険しい顔になった。夢の中ののんびりした会話とは大違いだ。


「いつものように引き返してくれると思ってたのに…甘かったわ」

「ラストチャレンジだからな。おまけに西方だ。この先にオリフォンテの原初の里があるかもしれねえだろ」


 おれは軽く笑ってみせた。


「わざわざ駆けつけなくたって、ちょっと休みゃまた動けるぜ。公務中だったんだろ? もう大丈夫だから戻んなよ」


 おれは、王太子妃の正装をしてる姉上に向かって努めて元気そうに言った。その正装はきっちりと着込まれて乱れがない。生身の人間になっても魔法のまねごとはある程度できると言ってたから、その手の力でここまで瞬間移動してきたんだろう。


「全然大丈夫じゃないわよ! あなたは今、…死にかけてるのよ!」


 それはおれがさっき言った。いや、そいつも夢か。


 姉上はおれの後ろから胸元に腕を回して、頭を自分の膝の上に引っ張り上げた。目線が少し高くなったおかげで、ようやくおれは自分の姿を把握した。その体はまるで(かすみ)のようにぼやけ、両足は膝下辺りから薄れて消えている。砂嵐に突っ込んでいた左腕は、手首の上ぐらいですっぱりと失われていた。不思議と血も噴き出さず、痛みもない。


「何だこりゃ…? おれは幽霊にでもなるとこか」

「この場所のせいよ。ここは、世界のぎりぎりの端。織物の端の糸目が粗くなってほつれるように、現実性が薄れていってついに何もなくなろうとする所。あなたも砂嵐に存在を削られて消えかけているの。今にも体が崩れ去ってもおかしくない」

「…ぎりぎりの端、か。じゃあ果てを越えるまでもうひと息だな。気力で何とかなんねえかな」

「サイード…!」


 姉上は眉間の溝をさらに深くしておれを覗き込んだ。


「ここから先なんて、文字通り(・・・・)何もない(・・・・)のよ! 砂嵐の先は虚無、この世界はそこで終わり。世界の外には何ものも存在できないわ」

「そういうのがよくわかんねえから実地で試してんだけどなあ」

「試したでしょ!?」


 そう言って欠けた左腕を示される。


「あと一歩進んでたら、あなたの頭がなくなってたかもしれないのよ!」

「…おお。そりゃやべーな」


 胸の上に組まれた姉上の両手に、ぐっと力が入った。


「ふざけないで。それがどういうことか、わかるでしょう?」

「……」


 おれは、少し白けた気分で自分の体を眺めた。手足が欠けてるってのに、まるで現実感がない。暗いせいで、目を凝らしてもかえってぼやけて見える。何だかすべてが夢のようにおぼろだ。かすかにざあざあと聞こえ続ける風の音が、その感覚に拍車をかける。世界がここでほつれるように、おれという存在もめでたくほつれようとしてるってのか。


 凪いだ空間がふと揺らめいた。たちまち砂嵐が侵食してこようとしたが、姉上が両手を一瞬震わすとさっと撤退した。だがおれの足が風に少し舐められ、消えかけの位置が膝下から膝小僧近くにまでなった。またほつれちまった。


「……長居できないわね。あなたの体が崩れきる前に臨界点が来て、魂が離れてしまう」

「…魂も――」

「え?」

「魂も、果ての先へ出たら消えちまうのか」


 おれの意識もほつれかけなのか、思いつきが口を出た。姉上は砂嵐を見やり、考え考え答えた。


「説明が難しいわね…。体を捨ててもこの果ては越えられないわ。器をなくした魂は、強制的に無効化された(ディアクティブな)データに――わかりやすく言うと、安息の海に還って眠りにつくだけよ。つまり…」

「ふつうに死ぬってことか」

「ええ」


 なんだ、つまんねえ。


「…ま、本望っちゃ本望だがな」


 無駄と知りつつ無謀に挑戦し、途上でうっかりくたばる。完璧だ。


 果ての先は虚無。オリフォンテが果てを越えて来たなんて伝説も虚無。

 答え合わせも済んだし、やりきった感あるぜ。


「だめよ! 諦めないで!」

「何をだよ」

「私と一緒に帰りましょう。この世界では欠損した部位をまるごと再生するなんて魔法はないけど、きちんと外科処理をして義手や義足をあてがえば、十分生きられるわ」

「いらねえ。そこまでして生きて何になる」


 即座に言い返すと、姉上は息を飲んだ。


 おれの生きがいはいま達成されたんだ。後の人生を無理に続けたって、間延びするに決まってる。シーズン2はお断りだ。


「……」

「…何だよ。泣くなよ」


 頭の上で姉上が唇を震わせていた。目を上げると顔を(そむ)け、大きく息を吸いながら目元を何度も拭った。


「このまま見殺しにしろって言うの? ここまで来たのに…私の大切な、唯一の…弟なのに…」


 姉上は片手で口元を抑え込み、ぎゅっと目をつぶって耐えようとした。それでも瞬きするたびに涙がこぼれ、痛々しい嗚咽が降ってきた。


 ああ聞いてられねえ。


「だからよ姉上、そういうのはアーノルド(真打ち)のために取っとけよ」


 なだめるように言うと、少し落ち着いたようだ。

 まったく、死にかけてんのはおれなのに。この期に及んでまだ世話が焼けるぜ。


 おれは姉上の膝に頭を預けたまま、凪の先の砂嵐を見つめた。なんとなく暗さが増した気がする。しばらくの沈黙のあと、姉上がつぶやいた。


「……そうね。そういうの(・・・・・)は、アーノルドのために取っておくわ」

「おう」

「だからサイード、あなたには自重しない」

「は?」

抜け道を(・・・・)探したり(・・・・)せずに(・・・)喪失や別離の辛さ悲しさにきちんと向き合う、そういうのはアーノルドのときに体験することにする」


 いや、姉上、何か暴走してないか?


「サイード」


 急にはっきりした声で、姉上がおれを覗き込んだ。薄暗いせいで表情がよく見えない。


「ちょうどいいわ。取り引きをしましょう」

「取り引き?」

「あなたがこの世界を出て、他の世界へ行く力を与えるわ」


 おい。


「そんなすんなり提案できるんなら――」


 いや。おれは、姉上に頼らずに出口を探し当てたかった。向こうからあっさり裏口を開けてくれてる時点で自力クリア失敗だ。くそ。


「……取り引きつったな。代償は?」

「申し訳ないけどその体を…捨ててもらうわ。もうオアシスはないから、生身では世界の出入りはできない。魂だけを預かって新しい体に入れるわ」

「ふん。別にいいぜ」


 生身の体は有りゃあ便利だが、そのせいで不便なことも多々ある。体の維持コストはしょうがないとして、自然の欲求は時に疎ましくて仕方ない。


「要するに転生か? 別に珍しくもねえな」

「ただの体じゃないわ。私がかつて使っていたのと同様のアバターを用意するわ。つまり、実質的に不老不死になれるわね」

「随分気前がいいな。何で急にそんな気になった?」


 相変わらず影になってる顔の中で、二つの小さな光が瞬いた。


「あなたが、この世界には収まりきらないポテンシャルの持ち主だと……私は最初からわかっていたの。どうにかしてこの世界から飛び出そうとするだろうということは、予測できた。でも叶えるつもりはなかった。この世界でもあなた向きのイベントはいくらでも用意できたから。でも、あなたは忘れなかった。本当にしたかったことを」

「……で?」


 姉上は顔を上げ、どこか遠くを見つめた。やっと見えた顔からは感情が抜け落ち、冷ややかですらあるような――そうだ、これは天上の主の顔つきだ。


「私は、そんなあなたの個性を手放したくない。だから、折れることにするわ」

「それだけか? まだ何かあんだろ。もう崩れかけの体を捨てたって、代償にはなり得ねえ」

「実はね、サイード。あなたには、そのアバターで様々な世界を私の代わりに観測してきてほしいの」


 ……そうきたか。新たなるお務めってわけか。


 それから姉上は、王太子妃をやってるとなかなか時間が取れなくなってきたとか、簡単な処理は精霊たちを使って自動化しているが連中は定型的な仕事しかできなくて融通が利かないからとか、そんな言い訳をまくし立てた。


「よくわからんが、それって、おれでなきゃいけねえのかよ」

「あなただからこそ、行かせる甲斐があるのよ」


 姉上は、おれに視線を戻して笑った。


「その個性のままで、いろいろな世界を渡り歩く様を見たいの。アバターは記憶も保たれるし外見もなるべく統一する。これを『スター・シス…』」

「ああ、細かいことはもういい。乗るしかねえんだろ」

「嫌かしら?」

「……」


 おれはかすかに肩をすくめて見せた。嫌ってことはない。むしろ光明が見えた。前とは違う方法で、しかも不老不死なら遠い未来まで――時空の果てに挑戦できるってことだ。この世界も、異世界も、行けるとこまで行ったおれにふさわしいぜ。


「ありがとう。これでアーノルドにも余計な心配させなくてすむわ」

「何だと?」


 まさか、いつだかの痴話喧嘩の尻拭いをさせようって魂胆じゃねえだろうな。


「あ、ああ、あなたが本当には死んだわけではないと伝えることができるから」


 ちょっと誤魔化したな?


「まあいい、そういうことにしとくぜ。けど、伝えてくれんだな。そればっかりはおれの方から礼を言うぜ」


 あいつらには悪いが、おれが土産話を持ち帰ることは本当にもうないだろう。

 だが、この先のことは姉上が知っている。だから――もし甥姪たちがおれの消息を知りたがったら、自分の母親にお休み前のお話をせがめばいい。その口から紡がれるおとぎ話の中にきっとおれはいる。

 もしも道化師や食わせ者や運命の糸をかき乱そうとする奴が登場してたら、それがおれだぜ。


「ところで、ずっと知りたかったことが一つある」

「なに?」

「オリフォンテの民の、本当の名だ」

「――『果ての民ゲンテ・デ・ラ・オリゾンテ』」

「ゲンテ・デ・ラ・オリゾンテ…」


 姉上がもう一度両腕に力を込めておれを引き寄せ、上体をすっかり起こさせた。芯なく倒れかかるおれを、逆に後ろから寄りかかるようにして支えてる。肩口に頬を寄せて姉上はしみじみと言った。


「これまでは一切語られなかった幻の名ね。でも今、こうして果てを越えようとするあなたによって、初めて存在することになったわね」


 肩に顎を乗せ直してる。おれのかすむ目の端に微笑みが映った。


「今後『果ての民』とはあなたのことよ、サイード」


 おれもなんとか片頬を上げて応えた。


 凪が崩れようとしていた。周囲はすっかり暗くなり、砂嵐の音がごうごうと迫った。だが最後の囁きはしっかりと届いた。


「サイード、あなたを弟にしてよかったわ」


 おれの答えも、きっと届いただろう。


「ああ、ずっと姉弟だ」


 姉上にも実質的に寿命はない。この世界で老いて死ねば、本来の天上の主の役割に戻る。そうして他の世界と同様に公平に、この世界の行く末も見守るだろう。

 アーノルドやその子孫が朽ちても、ガレンドールが滅んでも、世界自体にガタがきて廃棄することになったとしても、姉上は超然として在り続ける。

 その姉上が、おれを気に入って存在を忘れずにいてくれる限り、おれも共にいられるんだ。誰よりも永く。


 後ろからまばゆい光が発せられているのを感じた。それに包まれながらおれの意識はふわりと浮き上がり、そして薄れていった。




 おとぎ話の中におれはいる。

 もしも――道化師や、食わせ者や、運命の糸をかき乱そうとする奴が登場してたら――それがおれなんだぜ。

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