8.火花
超ネタバレ回。
アナスタシアは、姉上の病弱設定が嘘っぱちだと知るごく限られた者の一人だ。冒険を終えたアーノルドや姉上がガレンドールでの暮らしを再開した頃、アナスタシアは占い師としての姉上に会っている。
それどころか、アーノルドとの契約内容や奴が知り合った多数の女を調べ上げ、真相に迫ろうとした。おれたち姉弟をフィニークの間諜だと考えてたようで、国から出ていけと姉上を脅しにかかる始末だ。
そこまで関わられちゃあ、辻褄合わせなど不可能だ。だからアナスタシアは、我らが王太子妃殿下の前職が深窓のご令嬢なんぞじゃなく占い師であることを知ったままだ。結局アーノルドが彼女に何とか説明し、間諜でないことはわかってもらった。さすがに更なる正体──天上の主だなんてことまでは明かしちゃいねえが。
以降、「腑に落ちないところはあるけれど、もう含むところはない」と沈黙を守ってくれている。おれとの反りの合わなさは相変わらずだけどな。
「今さら何を掘り返す気だ?」
「そうね…腑に落ちなかったことが、腑に落ちた――とでも言おうかしら」
アナスタシアは、膝の上で指を組み替えながら言葉を探した。
「占い師シェヘラザードは、かつて『天上の主の預かり子』だった、というのは本当なの?」
「――っお前、どっから…」
「本当なのね」
何てこった。占い師も真っ青の諜報能力だぜ。
「…明日から公爵領でフィニーク茶の栽培が始まっても驚かねえぞ」
アナスタシアは、軽く咳払いすると話を続けようとした。否定しねえな、手遅れか。
「…『天上の主の預かり子』は、フィニーク独特の伝承ね。どういう方法でか天上の主から子どもを預かった家では、その子を密かに育てなければならない。見返りにその家は幸運に恵まれるけど、ぞんざいに扱えば落ちぶれる。『預かり子』は、天上の主のためのお務めを持って生まれてくる。そのお務めを果たすために生きるのが定め…」
「おさらいはいい。何を言いたい」
「このことを知ったとき、ピースがはまった気がしたわ。彼女の『お務め』は、ガレンドールで占い師としてアーノルド殿下に接触することだったんじゃないかしら。そう考えれば、連邦総督の娘にも関わらず存在がほとんど知られていなかったのも、身分にも関わらずそんな仕事に身をやつしていたのも、殿下の他にほとんど客がいなかったのも、みんな説明がつくわ」
「そうかよ。で? 『冴えてんな』って推理を褒めてもらいに来たのか?」
鼻で笑うと、アナスタシアはヒートアップした。
「本題はまだ先よ! ねえ、考えてみて。いくら『お務め』だとしても、そんなピンポイントな内容は変すぎない?」
「お前が勝手にピンポイントに想像したんだろ」
「そうじゃなくて、具体的すぎるのよ。それに、結果を並べてみれば全部共通項があるのよ」
「共通項?」
「彼女が殿下に斡旋した女性のほとんどは不遇な状況に陥っていて、殿下と出会うことによって救われたりそのきっかけをもらったりしているの。まるで、女性たちを救うために殿下を向かわせたみたいに。殿下の婚約者を探すって目的なんかそっちのけでね」
「お…おう」
よく調べてやがんな。
おれは、あの二人が何に取り組んでどんな顛末になったのか、その過程や真相を洗いざらい聞いていた。だからアナスタシアの推理が、実情をかなり正確に言い当てていることに驚いた。
実際のところ、『お助けヒーローをやらされてる説』にはアーノルドもたどり着いていた。散々同じことが起きりゃ、さすがに当事者なんだから気づかないわけにいかねえよな。
一方で姉上は、アーノルド本人に指摘されるまで自分がそんなことをさせてる自覚がなかった。姉上が言うには、何とこの世にはオーバーロードとかいう天上の主よりも偉い存在がいて、そいつらのせいで無意識にアーノルドに苦労させるよう仕向けられてたらしい。
というのも、そいつらは人間界の面白おかしい人情ドラマや冒険譚を読むのが大好きで、そういう話が際限なく生まれるように天上の主にあらゆる異世界の作り込みをさせるのが真の目的だったって話だ。途轍もねえな。
そいつらも怠惰なもんだ。面白い話をご所望なら、おれみたいに自分から引っ掻き回しに行きゃあいいだろうによ。
「私は…彼女は殿下を操ろうとしたのだと以前は思っていたけれど、彼女もまた天上の主に操られていたのよ!」
姉上イコール天上の主なんだけどな。だが、上位の存在に操られてたってのは当たってる。
「だったら何だよ!?」
おれはアナスタシアの弁舌を遮った。天上の主に批判的なトーンなのが気に障る。
「アーノルドに関わった連中は皆幸せになってんだろ? お人好しの王子様のおかげで不遇から抜け出して、王子様よりも気に入った男を見つけてめでたしめでたし、ってよ。まさに天上の主の思し召しってやつじゃねえか。何が問題なんだよ」
「もしも、まだ『お務め』が続いていたとしたら?」
「何だと?」
「彼女は今、将来の国母としての責務を果たしつつあるわよね」
おれは苛立ちながらもうなずいた。姉上は先日、アーノルドとの間にもうけた初めての子を無事に出産したばかりだ。
「それも天上の主の意図だとしたら?」
「だからよ、どこも悪くねえだろ! 天上の主がガレンドールを加護してるってことだろ? めでてえじゃねえか! 愛国派のお前にとっちゃ、向こううん十年の安泰が約束されて嬉しいだろ!?」
「私が彼女の立場だったら、有り難く思うなんてできないわ」
「ほう?」
「天上の主に否応なしに仕えさせられて、すべての行動は天上の主に命じられたか捧げさせられたもの。自分の人生なんてあってないようなものじゃない。むしろ幸せであればあるほど苦しいし、天上の主を憎――」
おれがテーブルを蹴り上げると、アナスタシアはびくりとしていったん黙った。
どこかで雷鳴が轟いた。部屋の中はだいぶ薄暗くなっていた。
「てめえに姉上の何がわかる」
そりゃ気の毒だろうさ、天上の主の言いなりならな。
おれもかつてはそう思ってた。だがそんな心配は無用なんだ。
お前の同情は周回遅れなんだよ。
天上の主にこそ、『人生』なんてものはない。だから今、やっとただの人間になってそれを味わってんだろうが。
アーノルドが姉上の上司に直談判してくれたおかげで実現したんだ。正真正銘二人で手に入れた幸せだ。
「自分だったら苦しむ? 何様のつもりだ。あの二人は全部わかった上でああなってんだ。もうほっとけよ」
おれが睨むとアナスタシアは目を伏せた。
「お前はもはや外野なんだよ」
雷鳴は少しずつ近づき、稲妻も閃くようになった。
「そんなに気になるなら、今から王太子妃に成り代わるか? できっこねえよなあ?」
軽く嘲ると、アナスタシアの目にも稲妻が閃いた。
「そもそもお前がアーノルドの婚約者の座から降りたのが全部の始まりだ。あいつも天上の主も、むしろお前に感謝いっぱいかもな! はっはあ!」
「…ならサイード、あなたはどうなの?」
「あ?」
「彼女とともにガレンドールへやって来たあなたにも、きっと何かの役が割り当てられてたに違いないわ。殿下の親友になったタイミングと言い、遊学から戻ったらフィニークに残って音沙汰なしになったことと言い、そうとしか思えない」
おれは肩をすくめてみせたが、台詞は続いた。
「そして、いったん退場したのにまた舞い戻ってきてるということは、また新しい役割を与えられているはず。それが気に入らなくて抗ってるように見える」
「なーにを焚き付けたいのか知らねえが、あいにくだな」
おれはソファに背を預け、足を組み直した。
「おれは、天上の主の手駒にされるのは別に嫌じゃねえんだ。目の前でお前らがあたふたしてんのを見るのがおれの楽しみさ。どうせ話が破綻して困るのは天上の主の方だ、頑張ってまとめてくれるだろうよ」
「……」
「帰れよ」
雷鳴に雨音が混じり始めた。
「…意外と信心深いのね」
そうとも、おれは『天上の主』を心から信仰してるんだ。おれの正史を保証するためにもな。
アナスタシアは立ち上がった。おれが秘書室に通じるベルを鳴らしている間にドアへと向かう。
「よう」
「…っ!?」
おれは後ろからアナスタシアの襟首をつかまえ、いきなりドア脇の壁に半身を押さえつけた。そのまま覆いかぶさるようにして耳元に口を寄せる。
「お前、何を企んでる?」
「別に」
当然の白ばっくれに、首元を掴み直してまた壁に押し付ける。
アナスタシアは騎士だ。おれが狼藉を仕掛ければ一瞬で捻り上げることができるだろう。だがおれも様々な旅先でスキルを培ってる。反撃される寸前で逃げおおせる自信はある。お互いに実力のほどをわかっているから、ぎりぎりまで踏み込んだ交渉が成り立つ。
「何でいつまでも、姉上のことを嗅ぎ回る」
「…羨ましくてね、天上の主とコンタクトを取れる人たちが。東の聖女は精霊経由だけど、西の預かり子は直通みたいだもの」
アナスタシアのうっすらとした笑みが、稲光に浮かんだ。
「私も天上の主に、会えるものなら会いたいわ」
普通に謁見しろよ。いつでも王宮にいるぜ、今は産休中だがな。
「…会ってどうする」
「あら? 会う手立てはあるのね。そしてあなたも会ったことがある。これは収穫だわ」
言うと同時に彼女は片腕を素早く回転させ、おれの腕を払った。
青い目が油断なくおれを睨む。ぎりぎりのラインを探るゲームは続行だ。
「私もまた、天上の主に運命を弄ばれた一人だわ。…幸せでないとは言わないけれどね。でも、なぜ私に与えられたのがこの世界なのかを知りたいの。問い質して、理由によっては落とし前を付けさせてもらう」
「言いがかりだな」
姉上がアナスタシアを監視していた理由は聞かされていない。例によってポリシーとやらに引っかかる――つまり、職務上の秘密らしかった。だがそれはどうでもいい。アナスタシアがまだ姉上と対決する気があるらしいことの方が問題だ。
おれは今度は彼女の顎をとらえた。額が触れそうなほどに迫ると、視線がおれとかち合い火花を散らした。
「お前がいい年して自分探しするのは結構だが、それで姉上を巻き込むんじゃねえ。この先も変なちょっかい出す気なら――」
そのとき、出し抜けにノックとともにドアが開けられた。
2024/10/4 修正(+142字)