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果てを渡る風  作者: 宇野六星
第5章 life goes on
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7.訪問者

* * *


「サイードさん、どちらにいらっしゃいます!?」


 倉庫の入口でミナが呼ばわった。


「いま行く!」


 おれは入口に向かって叫ぶと、腕に絡めていたロープを慎重に緩め、ゆっくりと滑り降りた。ロープは太く、二階分ある倉庫の天井から垂らしてある。中ほどにいたのをある程度の高さまで下がり、残りは飛び降りる。


「わ」


 行くと言ったのに勝手に入ってきたミナが立ちすくみ、慌てて横を向いた。おれはその後ろを通り過ぎ、倉庫内に引き入れている箱馬車の車体に向かった。


「危ねえからあんま入ってくんなっつったろ」


 車体の足元に置いたバケツからタオルを取り出し、固めに絞って汗の浮いた裸の上半身を拭く。


「わたし、秘書ですから。サイードさんがどこで何してるか把握しとく必要があります! 最近しょっちゅうここにこもってるじゃないですか。…いつも半裸で汗だくになって、何してるんです?」

「トレーニングだよ。変な聞き方すんじゃねえ。思春期かよ」


 おれはタオルを肩に引っ掛けると、車体に上がった。中に放ってあるシャツと上着を取り、身に着け始める。


「こないだの立ち回りでちっと反省したからな」

「反省!? サイードさんが?」

「悪いかよ」

「そりゃ確かに最近、飲む打つを控えていただいてますからそれは喜ばしいですけどね?」


 ミナが車体のそばに回り込んで見上げてきた。お前が気にしてっからわざわざ中に入ったのに、来んなよ。痴女か。


「この箱馬車もフィニークからわざわざ持ち込んで、手入れなんか始めちゃって。こっちの大陸で行商でも始める気ですか?」


 鋭いな。


 行商はするかもしれねえ。いや、行商を名目におれはいい加減ここを出ていく。いつも後回しにしちまってたが、それが本来おれが目指していたことだった。

 異世界巡りのせいで、そんな考えはもう無駄だと知ってしまった。だが例え無駄でも、ここでしがらみに絡め取られるよりは百倍も千倍もましだ。


 そのために鈍った体を鍛え直し、ミナやアリへ商館の権限委譲を進めてるんだ。

 準備が整うまでは気づかれたくねえ。


「…言わなかったか。箱馬車は叔父の形見なんだ」


 おれの叔父のオーランは、先年亡くなった。異世界の冒険から帰ってきたばかりの頃に再会してはいたが、おれがこっちに赴任してる間に山で滑落してしまった。最後に会ったとき、馴染みの伝統派オリフォンテから箱馬車を譲り受けたと言っていた。そいつでいつかこっちの大陸を旅したいと話していた。

 オーランは一度も西方大陸を出ることなく終わってしまったので、おれが代わりにせめて箱馬車だけでも海を渡らせてやったんだ。


「おれなりに少し手を入れてから、動かしてみようと思ってる」


 おれは車体から降りると、外装に触れた。


 前の住人が己が家としての誇りを込めて塗り飾った外装は、雨風でかなり褪せている。床板や車軸も相当傷んでいてこのまま動かすのは危ない。かなりの部品を交換する必要がある。正直、大事に乗り継ぐようなもんじゃねえがそこは心意気だ。完全にいかれるまでは使ってやりてえ。


「動かして…どうするんです?」


 ごまかされねえ奴だな。


「サイードさん、ひょっとして商館を辞めたいとか考えてませんか?」

「んなもん、二十四時間年中無休で考えてるぜ」

「もし、もしですよ? もし辞めてどっかに行くんなら――」


 嫌な溜めだな。絶対変なこと言う気だろ。


「わたしも連れてってください!」

「あほか!?」


 おれは全力で突っ込んだ。だがミナは負けじとまくし立てた。


「わたし、秘書ですから! 大体サイードさん、細かいお勘定できるんですか? 在庫や帳簿の管理とか先々の手配とか! 役に立ちますよ?」

「そういう問題じゃあねえ!!」


 おれが怒鳴るとミナはわざとらしくもじもじした。


「あ、あ…そうですよね…。ひとつ屋根の下はまずいですよね…えへへ…」


 そういう問題でもねえ。

 お前、おれの人生に踏み込んでくる気満々だろう。何を履き違えてんだ。


「で?」

「はい?」

「何で呼びに来た」

「あ、はい! お客様が見えました」

「お前なあ」


 おれは再び眉間にしわを寄せた。


「今日アポ取ってんのはアナスタシアだろ? 下らねえ雑談してる暇にさっさと言えよ! 手間取ってあの女を待たせるんじゃねえ」


 言いながら早足で事務棟に向かいかけると、「随分気にするんですね?」と若干とげとげしい返事が返ってきた。


「何言ってる。ったく、急速に無能になりやがって。見損なったぜ」


 おれは立ち止まったミナを置いて執務室へ急いだ。


* * *


 いつの間にか空には黒い雲が一杯に広がっていた。季節外れの嵐が来そうだと誰かが言っていたが、その嵐は今おれの執務室にいる気がする。

 階段を上がり、廊下をつかつかと歩く。窓の外の景色も相まって、異世界クエストのラスボス戦直前みたいな雰囲気だ。数年ぶりでそんな風におれの胸をざわつかせるとは、あいつは本当は公爵令嬢じゃなくて魔王かなんかじゃねえのか。


 アナスタシアの完璧主義と野心を目の当たりにしたら、大抵のやつはびびる。彼女をいまだにおれに並ぶ親友だと思ってるアーノルドは、とてつもなく器が大きいか鈍感かのどっちかだ。

 とは言え奴もさすがに一生を分かち合うのは勘弁してほしかったようだな。幸か不幸か逃げた先で出会ったのが、この世の全て――人の営みどころか心の内までをも見通す天上の主だった、ってのもなかなか究極の選択だ。

 言ってみりゃ、捕まったら尻の毛まで抜かれそうな女と、とっくに尻の穴まで見られてる女のどっちを選ぶかという話で、アーノルドは後者を選んだってわけだ。


 ドアの把手を掴み、一気に開ける。いったん立ち止まって深呼吸なんて弱腰なことは、おれのプライドにかけて絶対しねえ。


「よう、待たせたな」

「こちらこそ、忙しいところを悪いわね」


 アナスタシアが応接ソファから振り返った。商人風の街着だが、高位貴族のオーラは隠せていない。

 彼女は特に機嫌を損ねるでもなく、出されたフィニーク茶を優雅に味わっていた。茶を気に入ったと褒め、公爵領でも少し仕入れたいと言ってきた。どうせ社交辞令だろうから、量を聞いて断ろうかと思ったらしれっと「ちょっとでいいわ。でも、豆よりも苗がいいわね」などとほざいた。おれの顔つきを見て「冗談よ」と鼻で笑いやがる。そこまでを含めてこいつの社交辞令だ。まったく食えねえぜ。…一応、本国の栽培畑の警備をしっかりするようアリに申し送りしとくか。


「で、本題は?」


 憮然としてソファに腰を落ち着け直しながら言うと、アナスタシアは人払いを要求した。おれは隅に控えているミナに目で合図し、退出させた。

 ミナの足音が自室に入っていったのを確認すると、アナスタシアは改めておれを見据えた。


「――『占い師シェヘラザード』について、確かめたいことがあるの」

2024/10/1 修正(+25字)

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