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果てを渡る風  作者: 宇野六星
第5章 life goes on
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3.秘書

* * *


 デコルテを思い切りよく開けた乳白色のドレスとサイズぴったりのオペラグローブは、ミナの金茶の肌をよく映えさせていた。濃紺の髪もきれいに編み込まれ、凝った金細工に縁取られた真っ白なカメオの髪飾りでまとめられている。


「ミナ、後ろ向け。仕上げだ」


 指示に従ってミナが背中を見せると、おれは一級品の真珠を使った三連ネックレスを留めてやった。また正面に回り込んで上から下まで眺める。


「よし、なかなかいいぞ。だが、この眼鏡は何とかなんねえのか」


 眼鏡のつるに手を伸ばすと、ミナは急いで両手で押さえた。


「ダメダメ、ダメです! 外しちゃったら誰が誰だかわかりません!」

「しょうがねえな。今日はお前にはできるだけ人の顔を覚えてもらいたいからな」


 今日は、王都の商工会議所が主催する交流会に出る予定だ。大した規模ではないが、ミナを連れて行くのは初めてだ。


「はい、頑張ります。でもただの秘書なのに、こんなにドレスアップしたら場違いじゃないですか? それでサイードさんにエスコートまでされてしまうなんて…」


 ミナは、実のところガレンドールに来たのもおれの秘書になったのもつい最近だ。


 彼女はフィニーク連邦六カ国のうち「高地の民」の国の出身だ。裕福な家柄で、ちゃんと高等教育も受けさせてもらえた。自分の力を試したいと、商館でやり手の営業部長として働く伯父を頼ってガレンドールへやってきた。伯父のアリは、生真面目で物怖じしないミナをただの従業員でなくおれに付けることにした。


 最初は雑用だけのつもりだったが、おれが隙あらば仕事を押し付けてどこかへ雲隠れしようとするのを速やかにとっ捕まえる手腕を買われて、程なく秘書に抜擢された。

 おれが丸投げした仕事を分解して該当部署へ的確に振り分け、上がってきた予算書や企画書は文字通り顔面に突きつけて遅滞なく決裁させ、業界の会合もすっぽかさないようにてきぱきとスケジュール管理している。お陰で商館のパフォーマンスは爆上がりした。アリの目利きはさすがだ。


「気にすんな。皆商魂たくましいからな、こうやって着飾った女を広告塔代わりに連れ歩く奴は珍しくねえぜ」

「…あ…広告塔…。そうですか…」


 入れたばっかりの気合いがぷしゅーと抜けていくのが聞こえるような気がした。


「ミナ、しゃんとしろ。身につけてる品は一級品だが、お前自身も一級品だと思え。それに、おれにはお前が必要なんだ」

「え」

「いいか、おれはお前をただの秘書で終わらす気はねえぞ。今日はお前自身の顔を広めるチャンスだってこと、忘れんなよ」

「は、はい!」


 よしよし、持ち直したな。ミナがおれの代わりに信用を得てどんどん取り引きをやれるようになれば、おれはもっと楽ができるんだ。


「じゃあそろそろ出るか」


 おれは自分の帽子を手に取ると、ミナに腕を差し出した。さすがにTPOをわきまえておれも紳士に化けたかったが、中身が粗雑なもんでどうしてもやくざっぽくなっちまう。最近ぼさついてきた髪を後ろ頭でざっくり結わえているところに育ちが出るな。


 交流会は立食形式で、誰とでも自由に歓談できる。貴族階級の社交とは違って、ダンスなんぞないのがありがたい。それより、多くの者が営業のチャンスとばかり商品サンプルを持ち込んだり展示したりしていて、ちょっとした物産展めいている。ビジネスをやってる地方領主や、パトロン相手を探す金余り貴族も誰かしら必ず参加している。

 ホールの壁際に並べた料理の食材も、当然ながら会員の商会が仕入れたものばかりを使ってる。皿に取り分けようとすると営業担当がさっと近寄ってきて、売り文句を並べながら試食をすすめてくる。


「よう、やってんな」

「商館長! それにミナさんも」


 もちろんユーシェッド商会も食材提供している。今回は献上品のフィニーク茶の試飲もやらせていて、多くの者が足を止めていた。だが、商館から派遣された給仕はおれたちを認めると少し微妙な顔をした。


「皆さん香りには引き寄せられますが、色と味わいに驚かれまして」


 まあそうだろう。ここの大陸の茶は東方起源の茶葉を使い、赤くて多少渋みがある。一方フィニークの茶は木から採れる豆を使う。焙じた豆の香りが魅力的だが、茶の色は黒く酸味が強い。穏やかな味に慣れてる者はびっくりするだろう。

 だがフィニークでは気付けとして好まれている。ミナの出身国で栽培されるようになったので、こうして他国におすそ分けする余裕がちょっとできてきたってわけだ。


「構わないさ。今日のところはティザー(チラ見せ)だから、引かれても印象に残りゃいいんだ」

「ありがとうございます!」


 給仕に大げさに頭を下げられながらテーブルを離れると、おれはミナを紹介すべき目ぼしい人物を探した。


「会頭」

「おお、ユーシェッド殿。今日の連れは同郷の方ですかな」


 この商工会議所の会頭だ。赤毛で口ひげを蓄え、愛想よさそうにしている。


「ええ、紹介しますよ。先月からおれの秘書になったミナです。ミナ、こちらは会頭のオーウェン氏だ」

「ミナ・アサディーです。お見知りおきのほどを」

 

 ミナはガレンドール流に小さくカーテシーをした。会頭はミナの肩書より若さに注目し、肌やアクセサリーを褒め始めた。

 ミナが素直にはにかんでるので、おれは背中を軽く叩いてやった。


「ミナ、商品(・・)をよくお見せしろ」


 社交じゃなくて商談をしろ。いや、社交もしつつ商談しろ。お前ならできる。おれはできねえが。


 ミナはひと呼吸置くと、指先を上品に揃えてネックレスに添え、産地や品質や産出量などの情報をなめらかに話し出した。その調子だぜ。


「この三連ネックレスは、シェヘラザード殿下がご成婚の宴でお召しになられたものを模しています。本物よりも少し小粒ですが、品質は劣りません」

「ほう、これが」


 話し込んでいると、横から会頭に似た赤毛の少女が現れてその腕にぶら下がった。ミナよりは若く、まだ学生に見える。


「パパ」

「ああ、失礼。こちらは私の娘のヘレナです。そろそろこういう場にも慣れさせようと思いましてな、今日は同伴させたんですよ」


 ヘレナはぴょこんと礼をすると、物怖じせずにおれをじっと見た。


「ヘレナです、初めまして。あなたが妃殿下の弟さんでアーノルド殿下の大親友のサイード・ユーシェッドさん?」

「ああ、よろしく」

「ユーシェッド殿、どうですかな。よろしければあなた(・・・)に、娘に似合うアクセサリーを何か見立てていただけませんかな?」


 そーら来たぞ。ここでミナが役に立つんだ。


「ならば、可憐なお嬢さんにはこのようなカメオの髪飾りはいかがでしょう」


 おれはミナの手を取って引き寄せ、もう一方は背に当ててそのまま腕の中に閉じ込めるようにして後ろを向かせた。


「ミナ、じっとしてろよ」

「……」


 ミナはおれの胸に手を置いたまま縮こまった。ヘレナと会頭が揃ってミナの方に注目してるので、おれはミナを引き寄せてた手に大げさな軌道を描かせて視線を誘導し、髪飾りに添えた。職人芸による彫りの繊細さや、同じ彫りでも素材によっては色味が異なることなどの説明をしてやったが、二人はまだ半ば上の空だった。


「会頭、どうかしましたか」

「ああ、いや…その、髪飾りは素晴らしい逸品ですな。それはあなたがミナさんに贈られたもので?」

「そんなとこですかね。今日はぜひ彼女に着けてほしいと無理を言って渡したんです。よく似合ってるでしょう」


 そう言ってミナの手を取って高く差し上げ、半回転させてやる。真っ赤になってうつむいた彼女をヘレナが怪訝そうに見て言った。


「秘書さんですよね?」

「そう、非常に有能な秘書で気に入ってます。やっと巡り会えた大事な片腕(パートナー)だと思ってますよ」

「なんと、そうでしたか」


 ミナの肩をぐっと掴みながら意味深そうに言ってみせると、会頭は目を丸くし「喜ばしいことですな」と、ヘレナを連れて去っていった。ついでに、周りでやり取りを聞いていた何組かの似たような親子連れや女商人が、肩をすくめて散っていった。


「よーしよし」


 目論見どおりだ。気分良くミナを解放してやると、まだぼうっとして突っ立ってる。

 ふむ。こいつの用は済んだし、しばらくほっとくか。給仕はどこだ? 酒くれ酒。

2024/9/17 修正(+161字)

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