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果てを渡る風  作者: 宇野六星
第4章 トリックスター
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7.絵本を閉じるように

* * *


 手の込んだ透かし彫りの衝立を回り込むと、遠い昔に使った覚えのある寝台が置かれている。

 幼い頃に暮らした母上の部屋の寝台だ。ご丁寧なことに、おれのだけでなく母上の枕や、寝る前にばあやが読み聞かせた絵本まで枕元に散らばっている。


 ここは、天上にある仮初めの空間、通称「オアシス」だ。


 おれとアーノルドが異世界の冒険を終えて、次の異世界へと渡るときの中継点として姉上が用意したものだ。旅の合間の休息所という意味合いでおれがオアシスと名付け、以来三人でそう呼んでいる。


 オアシスの中央は打ち合わせをする広間で、その左右に壁を隔てておれとアーノルドそれぞれの寝所が設置されている。アーノルドの方の内装がどうなってるか知らねえが、おれの寝所はこの調子だ。

 単にフィニーク風のデザインだってだけなら構わねえんだが、わざわざ懐かしの景色を再現するのが余計なお世話すぎる。

 天上の空間だから、ここをプロデュースしてんのはもちろん姉上だ。異世界巡りを始めた当初はここまで凝ってなかったんだが、どうも休憩で使うたびに「少しでもリラックスできるように」とかなんとか言ってどんどんディテールにこだわるようになった。

 それで完成形がこれだってのは勘弁してほしいぜ。まるでおれがマザコンみてえじゃねえか。


「……」


 気配を感じて振り向くと、寝所の入口に姉上が現れていた。もの言いたげに黙っておれを見ている。クレームをつけられる心当たりは十分あったが、姉上から口を開くまで放っとくことにしておれは服を緩めた。


 頭布、上衣、シャツといった上半身を纏っていたものをすべて取っ払って寝台の端に放り、腰掛けてブーツを外しにかかったところでようやく声がした。


「サイード、困ったことをしてくれたわね」

「何だよ」


 おれはそっちを見もやらずブーツを脱ぎ、片足だけ寝台に上げてようやく向き直った。


「あなたの計画は…確かに効果的だったと思うけど、でもやり過ぎだわ」

「はっ、んなこと言ってっからいつまでも埒が明かねえんだろ。あのくらいかましてやんなきゃ、あの岩石男にゃ響かねえんだよ」

「でも…」

「戦勝祝いの景気づけだぜ。楽舞団の面目も立たせてやれたし、今さらケチつけんなよ」


 砦はゴブリンを退け、人間の領域を守りきった。アーノルドは一兵士としてよく働き、体のどこも欠けることなく無事に戻ってきた。おれたち一般人はカタがつくまで砦の本丸に退避していた。魔術師らも動員されて守りを固めていたが、それでも予想どおりゴブリンは門を破り壁を越えて侵入してきた。城壁内の街の男たちは多くが傭兵上がりで、こういう時には加勢ができる。おれも彼らとともに、決して本丸に敵を入れないよう立ちはだかり、数え切れないほどのゴブリンを斬り伏せた。


 戦が終わり、避難民を安堵させるために楽舞団は余興を披露することになった。元々戦がなけりゃ街の酒場や広場で数日興行する手はずだったから、ようやく仕事らしい仕事ができると一座は張り切っていた。もちろん花形の踊り子を出すのは必須だ。そこでおれは、座長におれも出すよう話を持ちかけた。楽舞団には姉上に釣り合う若い男の踊り手はいなかったし、渡来人のペアは絵になると座長も二つ返事で許可した。


 狙いはアーノルドだ。姉上を着飾らせた上であいつの前でオリフォンテの踊りをたっぷり見せつけてやった。オリフォンテの踊りは、動きはストイックなのにも関わらず見る者の情炎を掻き立てる。何かを追い求め腕の中に収めないことには気が済まない、そういう気分にさせられる迫力を持っている。

 もちろん奴にもそんな風に作用した。あいつの目からは、おれへの嫉妬心と姉上への独占欲がもう隠しきれなくなっていた。そこまで追い込みゃあ、さすがに自分の本音に気づくだろ。


 翌日奴は鬱屈としたままの顔で、この世界を引き上げようと言った。「異世界巡りはもう終わりだ」と。これでめでたくおれの仕事も完了だ。


「でも! あれじゃアーノルドは――彼は、まるで私を…」

「ははっ! その程度の誤算は自分で何とかしろよ。天上の主なんだからよ。とにかく、おれはお願いされた仕事は全うしたからな」


 笑い飛ばしてさっさと寝台に寝転がると、諦めたように気配は去った。


 中身は天上の主でも、下界ではただの生身の女だ。令嬢から庶民までがこぞって極上と評する男に追いかけられても、果たして(ほだ)されずにいられるか見ものだぜ。


 おれを道具として冷たく扱ったお返しだ。人の情をじっくり味わうがいいぜ。


 姉上は、つくづく天上の主には向いてねえ。アーノルドの依頼一つに何年もかけて、何か手を打つたびに話が無駄に広がって収拾がつかなくなってら。辻褄を合わせるとか言ってもよく見りゃ綻びがあるし、だからこそおれにも気づかれてしまってる。


 いっそ、本当にただの生身の女だったらな。


 おれは姉上に初めて会ったとき、結構同情したんだぜ。あんな穴蔵みてえな部屋に十何年も押し込められて、誰とも関われねえなんてよ。おれから母上を取り上げて自分に付きっきりにさせといて、それでも家族のあったかみがそこにゃなかったんだろ。だからおれと家族ごっこをしたがった。だからおれも付き合った。姉上最優先でやってきた。

 なのにそんな思いも、姉上が後付けで作り出した過去設定にくっついて生えてきたもんだったとはな。


「…ははっ」


 おれに姉など存在しない。

 だから例えば、ただの生身の女だったら最初から母上と三人同じ部屋で過ごせたろうとか想像するのも無意味なことだ。

 家族ごっこをしたかったのは、どっちなのか。


 ふと伸ばした腕が、枕元にあるものに当たった。絵本だ。腹這いになりながらそいつを手に取り、表紙を眺める。竜にさらわれて塔に閉じ込められたお姫様を、勇者とその仲間が救い出しに行くという他愛ない話だ。勇者よりその仲間の道化師がお気に入りだった。母上の部屋を出てからは読み返すことなどなかったが、姉上に出会った後はたまに内容を思い出した。おれが救い出すべき誰かは塔じゃなく穴蔵にいて、おれなら勇者じゃなくて道化師として面白い活躍をしてみせたいと思ってた。そんなのもまた、まやかしの上に漂う取るに足りない感情だ。


 もうそんなことにこだわるのはやめだ。

 しがらみを抱えるよりも、いつでも捨て去る自由を選ぶ。何にもとらわれず、自分の意志でどこまでも行く。

 それがオリフォンテだ。


 おれがなりたかったのは、天上の主の弟なんかじゃなく、オリフォンテの民なんだ。感傷など似つかわしくない。


 おれは、お気に入りの絵本を閉じるように、子ども時代の思いを閉じた。

2024/9/6 修正(+23字)

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