5.辻褄合わせ
* * *
見回りから戻って一眠りすると、どうやら朝になったらしい。姉上が間仕切りを開けてぎしぎしと寝台から降りてくる。その音を耳にしながら意識をはっきりさせていく。
窓が開けられ、急に瞼の外が眩しくなった。冷たい風が、こもった空気を吹き払う。腕をかざして目を守っていると、おれの上でベンチ側の窓も開ける音がした。
腕の隙間から見上げると、体が近すぎて服しか見えなかった。
「おはよう、サイード」
姉上の声が降ってくる。黙って肘で少し上体を起こし、おれから一歩下がったその全身を改めて眺めた。姉上は、やっと金茶の肌で濃紺の髪の馴染み深い姿になっていた。格好は占い師ではなくゲンテの民のものだ。つまり、おれたちの世界の伝統的なオリフォンテと同じ格好だ。
シンプルなスカートに色柄のエプロンを付け、上はショールを纏っている。起きぬけのせいか髪は編まずに後ろで一つにまとめ、大きな布で覆って端をきゅっと結んでいた。
「…やっぱフィニーク人の方が似合ってるぜ、姉上」
「そう」
まだ不安そうな顔をしている。おれは起き上がり、姉上の腕を掴んだ。引き寄せながら向こう側の腹を押さえつけると、目論見通り姉上はバランスを崩してベンチにとすんと座った。その体を向こう端へ押しやって、何をされてるかわかってないうちに膝の上目がけておれの頭をどさりと落としてやった。
「ちょっと、サイード…重いわ」
「家族の重みだ」
狭いベンチの上でおれの体も半分はみ出しているが、頭さえ乗ってりゃいい。顔だけそむけつつ腕を差し込んで調整する。
「天上の主は、おれに家族らしい付き合いをご所望だっただろ」
「ええ、昔そう言ったわね。…サイード、私は弟のあなたを大好きよ。あなたがいてくれて本当に良かったと思ってる。色々なお願いをしたけれど――」
「っせえな!」
おれは台詞を遮った。
「ごちゃごちゃ言わなくたって、仕事はやるぜ。だがな」
再び身を起こすと、姉上に向き合う。
「もうこんなふざけたマネは二度とすんじゃねえぞ」
「……努力するわ」
煮えきらない返事におれは舌打ちした。
「姉上、この冒険が始まったとき、姉上はおれに『トリックスター』の称号を与えたな。アーノルドの相棒をやる傍ら、横からあいつを揺さぶるのが仕事だからだ。何にもないまま話が終わらねえようにほどほどに引っ掻き回す、そういう役割をおれに期待したんだろ? 性に合ってるから喜んでやってるがよ、こいつを全うするためにゃあな――おれは、事態を面白がりつつ同時に俯瞰できてなきゃいけねえんだよ」
おれは姉上の目の前に手のひらを台のように広げた。
「いいか、姉上。おれは人を手のひらの上に乗せるのが好きなんであって、おれが誰かの手のひらの上で踊らされるのは趣味じゃないんだ。それが天上の主の手であってもな」
「……」
わかったのかわかってねえのか、姉上は黙っておれの手のひらを眺めていた。
「ふん」
おれは鋭く息を吐いて手を閉じ、その拳でベンチをぐいと押し付けて立ち上がった。
「で、辻褄合わせの方は?」
「彼らが育てたのは、同族でなく渡来人の娘だということになってるわ。私は、魔物に襲われて行き倒れた渡来人一家の生き残り。この楽舞団に渡来人の踊り子がいるという噂を聞きつけて、やって来たのがあなたたち」
「なるほど? その家族には実はもう一人生き残りがいて、それがおれだっていうことだな」
「ええ。でもあなたがどうやって生き延びたかは、自分で適当に話を作ってね」
「何だそりゃ。雑だな!」
「私が先に用意するより、あなたのアドリブに合わせた方が面倒が少なくていいもの。それに、あなたたちはこの世界に一時的に滞在してるだけだから、しっかりしたプロフィールを作ってもしょうがないし。いつものことでしょう?」
昨夜の作業は、よっぽど渋々やったんだな。いいだろう、下手に係累を作ったりしたら、おれたちがこの世界から引き上げた後また記憶の書き換えが必要になる。いいように頭をいじられるそいつらが気の毒だからこの件は免じよう。断じて天上の主の手間を減らしてやるためじゃねえ。
どっちみち、虚実取り混ぜて曖昧に話すのはいつもやってることだ。聞き手は勝手にそれっぽい事情を思い浮かべて納得する。占い師や詐欺師のデフォルトスキルだな。
朝の見回りついでに楽舞団の連中に会ったら、話を手直しするか。
* * *
結界の効力はさすがに切れかかっていた。設置した金属棒を回収し、新しいものを挿し直す。日中は放置し、日が暮れる頃にまた発動させに来る予定だ。
「おお、おはようさん」
座長が馬を見に来ていた。馬たちにも特に異常はないようだ。
「どうかね、あの子は決心がついたかね?」
「決心?」
「ああ。シェヘラザードは、自分には生き残りの家族がいると信じてた。わしらと旅しながら、ずっと探してたようだな。花形として話題になろうとしたのもそのためだろうし、この砦まで無理して来たのも、あんたがいたからだろう」
え、さっきはそんな説明はなかったぞ。勝手に設定を増やすなよ。とりあえず話を合わせるか。
「そうかい。同じ気持ちだったとはありがてえな」
ひょっとして決心てのは、家族に出会えたら楽舞団を離れるってことか? 確かに、この辺境にいつまで留まるかはアーノルド次第だし、おっとりしたこいつらを冒険に付き合わせるわけにもいかねえ。姉上だけ連れてく方が妥当だろう。
「悪いな、こっちにも都合があってよ」
「仕方がないさ。どうかあの子に優しくしてやってくれ」
「言われるまでもねえ」
おれが苦笑いすると、座長は残念そうに言った。
「あんたさえ良ければ、逆に迎えてやりたいんだが…」
「おれを?」
「あんたもいい踊り手だからな、渡来人のペアとして人気者になれる」
誰がやるかよ。人気者なんざ願い下げだ。目立ってたまるか。
「重ね重ね悪いな。そんな性分じゃなくてよ」
断ると、座長は軽く会釈して去っていった。
ゲンテの民は、やっぱオリフォンテとは微妙に違うな。どっちかと言うとクールなオリフォンテに比べて、結構人懐っこい。果てを目指すって感じでもない。仲間内で楽しく自由にいつまでもぐるぐる回ってられればそれでいいって感じだ。
あんまり好かれねえうちに退散してえな。
ああ面倒くせえ。どうも今回の世界は今ひとつ楽しめねえな。
それもこれも、アーノルドの大ボケ野郎がとっとと課題を終わらせねえからだ。あるいは、姉上の手際が悪すぎるせいだ。あの二人のせいでおれが壮大なとばっちりを食らってる。
おれは、結界アイテムの交換作業をしながら奴の昨日の様子を思い起こした。何やら姉上と話し込んでたが、顔が緩みきってやがった。まったくのんきなもんだぜ。先日軽い探索に出かけてやっと一皮むけたかと思ったが、まだまだ圧が足りねえようだな。
姉上も姉上だ。おれの実家や大国の王族を動かしたり、あっちこっちの異世界に出張っては毎回ひと騒ぎ起こしたり、あげくには関係者の記憶改竄ときた。そこまで大掛かりなことをやっといて、理由がアーノルドの女を探すためだってんだからもう笑っちまう。未だに話が終わってねえのは面白すぎるが、おれにしわ寄せが来すぎるのは笑えねえ。
あいつらには、そろそろわからせてやる必要があるな。
おれが今まで嬉々として自分の役割をやってたのは、天上の主が恐れ多いとか姉上に恩義があるからとかそんな並みの理由じゃねえ。おれが面白いと思えるかが最重要だ。異世界の事情に巻き込まれて危機一髪になったとしても、「そんなことに巻き込まれてるおれ」を楽しんでるんだ。おれは姉上にお願いされて仕事をしてるんじゃねえ。姉上にお願いされてやってんだ。そこにいつまで甘えてる気なんだ。この先、いきなり手のひら返しされても慌てんなよ?
おれの意志、おれの選択、おれの存在のイニシアチブはおれのもんだ。例え天上の主だろうが渡す気はねえ。そこを履き違えるなよ。
「…よし、いい加減巻いてやるか」
煮えきらねえアーノルドには、一気に揺さぶりをかけてやるぜ。
はっきり言って、あいつは姉上に気があるんだ。慣れ親しんだ常識や人間関係から切り離されて、スリル満載の非日常に放り込まれてるときに、陰から見守ってて最後の最後には必ず助けてくれる存在がいたら、そりゃあ惚れたくもなるだろ。元々姉上の依頼人としてだいぶ気安くなってたし、冒険が終われば姉上は天上で「お帰りなさい」って優しーく出迎えてくれる。心の拠り所になるのは当然じゃねえか。
最近じゃあもう、冒険中もしょっちゅう姉上を引き合いに出しちゃ、褒めたりけなしたりととにかくうるさくてかなわねえ。
極めつけは、能力についても姉上との間柄についても、おれに対して嫉妬してやがるんだ。そんなにじっとりするくらいなら、さっさとたまったもんを姉上にぶつけりゃいい。
煽りようはある。今の姉上の身の上設定もちょうどいい。ぜひ姉上にもひと肌脱いでもらおうじゃねえか。
2024/8/30 修正(+61字)