1.異世界巡り
シリーズ本編『千の箱庭〜婚活連敗王子はどうしてもフラグを立てられない〜』の第二部第10話まで読了していることを推奨します。
街はずれの木立の間に停められた箱馬車の一団を目にしたとき、おれは西方大陸に帰ってきたのかと一瞬錯覚した。それほどに、その佇まいはおれのルーツであるオリフォンテの民のものに酷似していた。
だが、馬車のデザインや人々の服装は同じであるのに関わらず、人種は違っていた。おれのような濃紺の髪と金茶の肌ではなく、鳶色の髪と薄い色の肌をしていた。
その馬車の一つから降りてきた、姉上までも。
* * *
アーノルドとおれが、天上の主たる姉上の力によって異世界の冒険に送り出されてからそろそろ二年が経つ。姉上は基本的には冒険についてくることはなく、天上でおれたちの帰りを待っている。女がいると色々な意味で足手まといになるからだ。
それにしてもアーノルドは一体何を姉上に相談して手間取らせてたのか、冒険に出る前にようやく白状させた内容は大爆笑ものだった。
この王子様には昔っから婚約者がいたが――あの女傑アナスタシア公爵令嬢どのだ――十六のときに国王にも独断で婚約解消してしまい、罰として自力で代わりの女を探し出してこいと命じられたそうだ。ついでに直轄領の統治権もお預けになった。婚約解消の理由が「互いに好き合ってないから」だったから、今度はちゃんと惚れた女を連れていかないと親父に許してもらえないんだとか。
いやあ、そんな子どもじみた理由で王族の進退が決まるとは、ガレンドールってのは面白い国だな。君主制国家ってのはみんなこんなもんなのか?
姉上は、すべてを見通す天上の主の力を駆使して奴にふさわしかろう女を何人も紹介してやってたが、これがまたさっぱりまとまらない。大体いつも、ツカミは悪くないのに何でか親切を施すほうに力を入れすぎて、恋愛に発展する前に女の側から自己完結して去っていく――ってなパターンばっかりだったらしい。世話した女に感謝だけはされるので、そのオチも含めて不憫極まりない話だ。笑いが止まらん。
育ちがいいせいでお人好しすぎるのか、目が肥えすぎて並みの女じゃ惚れにくいのか、その辺は知らんが面倒な奴だぜ。
十八になったら領地をもらえるはずが白紙になったのは、それまでに相手を見つけられなかったからだ。頭で考えてばっかりだから思い切ったことができないんだと親御さんも姉上も思ったようで、荒療治を施すことにした。それが父王からの第二の課題、見知らぬ世界で冒険してくることだ。
もし相談されたのがおれだったら、やっぱフィニークに呼んで一緒に海賊か山賊の一派でも立ち上げて暴れて、そんで稼いだ金で三花のその手の上級宿で豪遊でもさせるかって考えるところだが、異世界なんてカードを出せるのが姉上の突き抜けてるところだ。何しろ天上の主だからな、文字通り常人とは違う。それを許可する国王陛下の胆力もまた並みじゃねえよな。
アーノルドめ、ここまで目をかけられてんならぜひとも男を上げないうちは帰るわけにゃいかねえぜ。
その「荒療治」に同行して、脇からそれとなく奴を揺さぶるのがおれの仕事だ。姉上の頼みだから二つ返事で引き受けたが、実に面白い仕事だった。
要はあいつに苦労させりゃいいんだ。あいつとあいつに関わってくる奴らを煽って仕向けて追い込んで、ぎりぎりのところで箍を外すのを見届けるのさ。
刺激的な体験を次々とさせられたおかげで、アーノルドはだいぶたくましくなった。もうおれとの差も半歩あるかどうかというくらいで、今や背中を預け合える頼もしい相棒だ。
しかし想定通り、一度の冒険で事足りるということはなかった。おれたちは、姉上かアーノルドの判断で一つの冒険を終えると異世界から天上へ引き上げられ、休息と反省会をしてまた別の異世界へと送り込まれるのがお定まりだった。
この異世界巡りで、アーノルドはまわりが本当に経験させたいと思ってることを、どうしてだか毎回やりそびれてしまう。例えばあいつは剣より魔法が好きだ。いつもせっせと習得しては高レベルの呪文を使いこなしてる。勉強好きなのは結構だが、派手なわりには直接手を下す感触を味わわずにすむってのもあるんだろう。そういうところを親父さんは心配してるんだと思うぜ。
もう一つの課題についてもそうだ。元の世界では鳴かず飛ばずで苦労してたってのに、異世界のやたら惚れっぽい女たちにどれだけ取り囲まれても、やっぱり鳴かさず飛ばさずのままだった。あいつは岩か。むしろそういう状況に持ち込まれるのを必死で避けてたな。おれがたまに別行動して朝帰りすると、クレームを付けられたりもした。気遣いだろ、有効活用しろよ。
別に積極的に女をこましに行けとは言わないが、もっと鷹揚になってもいいんじゃねえか。
何だかんだ言っても平和な世界で上品に生きてきたあいつの、理屈や見栄で固めた理性の牙城をどうにかして崩さないことには、この旅は終わらない。
奴に付き合うのをやめようとは思わないが、たまに一人の時間が欲しくなることはある。昔フィニークの西はずれを旅した頃のように、星空だけを眺めて眠ったほうが休める気がするんだ。
芸の細かいことに、異世界で見る星の配置はどれも違っていた。ただ一つ、不動の星だけは共通だった。あれがなければ人は方角がわからない。旅もできず、地図も作れない。アーノルドなら「あの星は人類の発展に不可欠だ」くらい言いそうだ。
あの星は異世界ごとに色々な名で呼ばれていたが、おれたちの世界では「天上の窓」と呼んでいた。天上の主があそこから下界を見下ろしていると、人々は考えたんだ。おれも異論はない。つまりどこの異世界へ行っても、姉上はあそこからおれたちを見守り、帰りを待っているってわけだ。
『悪いな、待たせちまってよ』
アーノルドと別行動になったある夜、ひとり野営の火を消して寝転がるとおれは「天上の窓」を見上げてつぶやいた。
本当は、あいつが岩になってる理由には気づいてる。二年もともにいれば当たり前にわかる。
普段は親切の権化みたいな奴なのに、とある女が絡んだ途端に意固地になる。だが滑稽なことに、あいつ自身が自分の態度に気づいてない。それで飽きずに岩のまんまだ。
こういうネタこそ揺さぶりがいがあるんだよな。煽って、仕向けて、追い込んで、自覚させてからが本番だ。その先の右往左往だの紆余曲折だのこそが最高に面白いんだ。話がうまくまとまるかまでの責任はおれにはない。
一体、どう料理してやるかな。
おれの含み笑いは、風に紛れて誰の耳にも届かなかった。
2024/8/23 修正(+18字)