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9.本日のフィーナの凹み度(★★★★☆)

「今日も! わたし! お疲れ様! でした!」


 2日間に渡る視察を終え、緊張やら何やらのおかげでフィーナはくたくただ。寝室でわざわざ声に出して言うと、ベッドに勢いよくダイブした。彼女は貴族令嬢としての教育はそれなりに受けているので、そのような所作がよろしくないことはよくわかっている。よくわかっているが、心の行き場がない時は、体で発散するのが一番だ。少なくとも彼女はそういうタイプだった。


「今日も~」


 心が折れそうになった。また湯浴みをしながらララミーに愚痴を言いそうになった。だが、2日連続でぐちぐち言いたくなかったので、ただひたすら疲れたから簡単にして、と強請った。


「でもよかった……明日明後日は叔父様が出して来た数字を精査してくださるということだし……」


 自分が領地運営に携わっていた、なんて声を大にしてしまえば、フィーナが苦手な数字とも向かい合わなければいけなくなるだろう。だから、やっぱり黙っている方が良い。少なくとも明後日を終えるまでは必ず。


「それにしても」


 昨日今日の視察に同行してわかったことがある。自分はやはり無知だ。わからないことだらけだ。理解しようとしても出来ないし、彼らと同じものを見ているようで何も見えていない。どれほどまで立て直しを三か月で終えるつもりなのかはわからないが、彼らがいなくなった後、彼らと同じように「見える」人材が領地に必要だと心底思える。


(でも、そんな人がいるならとっくに来てもらっている)


 だから、やっぱり自分がやるしかない。ヘンリーが元気だったら「何もわからないけれど勉強させて欲しい」と申し出て、ゼロから無理矢理三か月詰め込むぐらいの無理をさせたかもしれないが、それは現実的ではないし、そもそも現在出来もしない夢物語というやつだ。


 理想は、このままなんとなく彼らについて回って、少しずつ勉強させてもらうこと。その知識だけでもなんとかなるほど、彼らに立て直しをしてもらうこと。その2つだ。だが、それこそ理想は理想。現実はそんな都合が良いことになるわけがない。この2日間だけでも「それは無理そうだ」とわからされた。


 となると、自分が当主代理人としてこのひとつき振る舞ったように、この先も振る舞い続けることはきっと出来ない。多分彼らはまだ何もフィーナに言わないが、きっと「当主代理人になることが可能な貴族」とフィーナに結婚するように進言するのではないか、と思う。


(本当にそんな人はいらっしゃるのかしら。ああ、でも、金策と兼ね合わなくてもよくなれば、いらっしゃるのかもしれない……)


 そうしたら。ヘンリーが大人になるまでは、どうにかしてくれるだろうか。自分は「よくわかっていません」という顔をして、その相手の隣に立っていれば良いのだろうか。そう考えると憂鬱になる。


 フィーナはすべてのノートを掴んで、次の瞬間雑に床に投げ捨てた。バサリと音を立てて数冊のノートは勝手気ままな方向を向いて床に落ちる。


「あっ」


(何やってるんだろう。わたし)


 無意識だった。あんなに大切にしていたものなのに、とフィーナは慌ててベッドから降りてノートを拾う。どうしてこんなことをしてしまったのだろうかと悲しく思いながらもう一度サイドテーブルに戻すと「落ち着こう」とベルを鳴らした。


「お嬢様、失礼いたします」


「ローラ、あのね」


 今日の夜番の女中はララミーではない。だが、ローラは若い割に気が利く女性なので、フィーナはほっとする。


「ホットミルクをもらえる? あのね、蜂蜜とね、ちょっとお酒も入れて欲しいのよ。あ、蜂蜜多めで……ララミーには内緒よ? 昨日も飲んだでしょう、贅沢ですよって怒られちゃうから……」


 そう告げれば、ローラは小さく笑って


「お嬢様、それを贅沢だと思われているのはお嬢様だけですよ。今、お持ちしますね」


と言って厨房に向かった。


(そうか。わたしがそう思っているだけか)


 ぱたん、と閉まったドアを見ながらフィーナはその言葉を反芻する。誰の言葉がどういう方向に心に突き刺さるのかは、予想がつかないものだ。何の気なしでローラが放った言葉はフィーナの心をとんでもない勢いで刺した。


(わたしがやらなくちゃ駄目だって思い込んでひとつきやってきたけど、今はこうやって助けを借りることが出来たんですもの。そうしたら、自分がやらなきゃ、なんて肩肘張る必要なんてないんだわ……それは、わたしだけが思い込んでいることだもの……)


 使用人たちだって、ずっと自分のことを心配している。立て直し公が来ると聞いて、カークがあれほど喜んでくれたのは、領地のこともそうだが、フィーナがこれで解放されるだろうと思ってのことなのも、彼女はきちんと理解をしている。


 だから、いいのだ。後はレオナール達に任せておけば。そう思うものの、何かが割り切れない。割り切れないと思うが、それはないものねだりのような気もする。


「ああ、そうね……きっと……」


 わたし、とても大変だったけど。


(少しでもこの領地を良く出来たらと、お父様と一緒に未来のことを考えることが、きっと好きだったんだわ。自分がやらなくちゃいけないって気持ちだってあったけど、それだけだったらきっとここまで出来なかった)


 最初はただの正義感だけだったのかもしれない。今、もう一度初心に戻れと言われても、それはなかなか出来そうもない。その時のフィーナは焦りを感じて自分で自分の背を押すほどだったので、自分の感情ひとつひとつに向かい合ってきたわけでもないし。 


(だけど、少しずつこれって素晴らしいことなんだってわかってきて。問題ばかりで大変だけど、何かをやれば何かはよくなって、少しでもよくなれば誰かが笑ってくれるってこの2年間でよくわかったんですもの……)


 そして、失敗した時の責任も痛感をした2年間だった。それにより、フィーナはさらに真剣に向かい合ってきた。だから、このノートは自分にとっては宝物なのだ。頑張った証でもあるけれど、何よりも、好きなことだから。父を失って、自分の役割もいよいよ失いそうになってから、それがようやくわかるなんて。


「ほんと、わたしって足りない。でも、足りないのは今だけじゃなくてずっとだもの。今更そんなことで落ちこむなんて、おかしな話よね」


 フィーナは自分に言い聞かせるようにわざと声に出した。そうだ。ずっと自分は足りなかった。どれだけ足りないのかがわからないまま走ってきて、それがただ見えてしまっただけだ。見えたら、少し心が折れて、つい自暴自棄になってしまった。


「わたしが足りなくたって、今はレオナール様たちが手を貸して下さるんですもの。先のことを考えてくよくよするのはやめよう。それに、わたしがへこもうが思い込んでいるだけだろうがなんだろうが、ここで頑張らなくていい理由にしては弱すぎるわ!」


 完全復活とまではいかなくとも、一気にテンションがあがる。まだたった2日ではないか。これからもっと色々なことが見えて来るに違いない。その都度落ちこんでいては仕方がないし、足りないとはいえ引き続き勉強をさせてもらおう、そうしよう。


 ローラが持ってきたホットミルクを飲んで、フィーナはもぞもぞと毛布に入った。ありがたいことに疲れがどっと出てきた。それ以上考えることもなく睡眠に入り、朝まですっかりよく眠ったのだった。




 さて、翌日から2日間は、フィーナの叔父が作成した財務表などの細かな数値の確認を行う日にあてがわれた。


 男3人で頭を突き合わせてやるような作業でもないので、レオナールはヴィクトルとマーロにそれを任せ、フィーナの許可をとって一人で視察に出かけた。馬車では小回りが利かないので騎士団員を一人案内役につけて馬に乗り、まる一日戻らないという。


 2日間で疲れ切っていたフィーナは久しぶりに休暇を得た。執務室はヴィクトルとマーロが占拠していたし、財務に関しては数字が苦手なので彼女自身「執務室に近寄らないでおこう」ぐらいの気持ちだったからだ。とはいえ、何かあればいつでも彼らの質問を受け付けようと待機をしている状態だ。


 カーク以下使用人たちは「お嬢様が久しぶりにお休みになっている」ということで、やれ、たまには庭園にどうぞだとか、やれ、たまにはマッサージはどうかとか、やたらとフィーナに話しかけて来るが、フィーナはそれらを一蹴した。


「みんなわたしのことを気にし過ぎよ。ちょっと今日は一人でゆっくりするから、そんなあれこれ気にしないで」


 邸内のことはほぼカークに丸投げしていたが、本来邸内の管理は男爵夫人である母親の役割だ。そして、母アルデートが出来ないならば、本来はフィーナの役割。むしろ、貴族女性はそれだけが役目で、とはいえ、屋敷の執事に任せることも多いため、結果的に何もしていない者が多い。


(領地運営をみなさんにお任せするということになれば、邸宅管理ぐらいはしなくてはいけないかしら)


 カークからすれば「そこはこちらにお任せください」というところだが、フィーナはもう「働かない」生活に戻れそうもない。要するに彼女は一種のワーカホリックに陥っていて、休むことが下手になっている。


(そうだわ。執務室はお二方に明け渡しているけど、お父様の書斎があるもの。わたしにでも読める本があるかもしれない)


 正直なところ、そこまで読書は得意ではない。だが、この2日で己の未熟さを痛感した彼女は、少しでも何かを身につけなければと妙に心がざわついてしまっている。


「よし。この2日は自分なりのお勉強の時間にしましょう。領地のことはちょっと頭から離して……」


 独り言を音にするとなんだかそれはわざとらしく感じ、フィーナは動きを止めた。確かに勉強をしたいと思っている。だが、それは今の自分にとって本当に最優先事項なのか。心に何かが引っかかる。


「ああ、そっか。そうよね。そう。そうだわ」


 何度も言ってしまうのには理由がある。「それ」をフィーナは忘れたいと思っていたからだ。いや、正確には「忙しいふりをしていたかった」だろう。


「ヘンリーとお母様のところに行かなくちゃ……」


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自分も家族も事故に遭い、葬儀から領地経営まで突っ走る中、お母様と弟のケアまで… もっと休んでほしい。
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