7.本日のフィーナの凹み度(★★☆☆☆)
「フィーナ嬢?」
「あ、いえ、そう、ですね。おっしゃる通り、うちの領地から王城に召集された者たちは、そちらで加工をすることに手一杯で、伐採の命令が出た時にここに来たのは知らない者たちばかりだったと、近くの人々は言っていました……この辺りで古くから木こりとしてみなのリーダーだったウォルターさん親子は、最初の召集で名指しされて王城方面に連れていかれて……」
だから。だから、見る人が見ればわかるこの状態を、今日の今日までフィーナは認識出来ていなかった。勿論、レーグラッド男爵だってそうだ。彼は、樹木を育てることや、材木での商売については学んでいたが、伐採や植林計画はウォルターたちに任せきりだった。
「あの……過去の天候からの予測では、再来月大雨が来るのではないかと考えられています」
「そうか。今からでもギリギリだな。ここに人手を回したいが、まだ、どこにどれだけ注力すれば良いのかは今日判断するべきことではない」
今からでもギリギリ。その言葉の根拠も分からないし「何をすること」に対してギリギリなのかもフィーナにはまったくわからない。
(今までは、既に終わってしまったことを追いかけただけだったから、わかっていた気になっていたけれど)
これが、知識の差なのだ。教育と実践の差だ。何が代理人だ、と自らの不足を恥じてフィーナは頬を紅潮させた。それに、案内すらなっていない。彼らは一目で「何が問題なのか」を自分たちで紐解いていってしまう。どこを見て欲しいだとかこちらから言えることもなければ、あちらからも何が見たいだとか、そんな会話をフィーナとすることすらないのだ。
「ここに植林をするのが厳しいから、代わりに通ってきたふもとの平野を開墾して、新しい作物を植えようという計画を立てたのだったな?」
「はい。植林のためにこの伐採の跡地を整えるには時間がかかりすぎますので……ありがたいことに我が領地はこの木材によって道具が揃っておりますので、開墾をする方がまだ効率が良いと考えました」
あまりに衝撃を受けたフィーナは、取り繕うことを忘れ、ひたすら彼の質問に答えた。今の自分に出来ることは、せめて自分と父が考えた苦肉の策を彼に正しく判定してもらうことだけだと、縋りつく気持ちがそこにはあった。
「うん。土壌調査の資料を昨日見せてもらったのが、先程通ったその平野で間違いないな?」
「はい……あっ……」
フィーナは黙り込む。ヴィクトルとマーロは不思議そうにそれを見ていたが、レオナールは彼女が「彼が何を言おうとしているのか」を察知したのだろうと、静かに待った。
「そちらに作物を植えても……この伐採地を先にどうにかしないと……土砂が大きく崩れたり……それが川に流れた上に氾濫が発生すれば、あの平野に流入してしまう可能性がありますよね……?」
「位置的にそうなる」
「現状問題なく生活を出来ている領地であれば、川には大きな変動はなく……領地を立て直すための治水とは……生活水と畑のためのものだと思っていました……」
その言葉にヴィクトルとマーロは軽く眉をあげた。レオナールは冷静に
「そこに留まることが出来れば良かったのだがな。ヴィクトル、マーロ」
「はい」
2人はそれ以上何を命じられたわけでもなく、馬車を守りながら周囲を窺っている騎士団員を呼びに行く。それから、他の木に寄りかかっている木の本数、受け口を作られて放置されている木の本数、放置された切り落とした跡を数えることは難しいため、面積を大まかに算出するために測定を始めた。
レオナールは部下の動きから目を離さず、隣にいるフィーナに「何故ここを最初に選んだのかわかるか」と問いかけた。きっと、ヴィクトルとマーロがそれを聞いていたら「レオナール様、フィーナ様は自分たちのようにあなたの部下ではありませんよ」と言っていただろうが、そんなことよりもフィーナはそれに即答出来ない自分を恥じ、それどころではなかった。
「……わ、かり、ません」
「そうか」
「わかるように、なれる、でしょうか」
絞り出したそのフィーナの声に、レオナールはようやく部下たちから目を離して彼女を見た。
「フィーナ嬢」
「いえ、わたしごときが、わかるわけはないんです。それぐらい理解しています。ごめんなさい。出過ぎたことを口にしました……」
「いや、こちらも、問う必要がないことを問うてしまった」
両手を胸の下でそっと組んでいるだけに見えて、フィーナの手はギリギリと力が入っていた。力を入れていなければ泣き出してしまいそうだったからだ。そのせいで、頬どころか顔全体が真っ赤になっていたが、それを彼女自身が気付くわけもない。
かくして、初日の彼らの視察は、フィーナの心を折りに折って終わった。彼女にとって唯一の幸運は、帰りの馬車も己の不足に憤慨し続けたため、馬車に対するトラウマが影響する隙がこれっぽっちもなかったことだった。
「ううううううう……」
その晩の湯浴みでララミーに髪を洗われながらフィーナは呻いた。
「お嬢様、仰向けのまま呻くなんて、喉がひきつってしまいますよ」
「ううううううううう」
「お嬢様ったら、もう……」
「ララミー、許して頂戴……あのお三方の前では呻くことすら出来ないから、ここで呻くぐらいは許されたいのよ……」
彼女にも一応体裁というものはある。視察先で知ったあれやこれやで自分の愚かさにはらわたが煮えくり返ってはいたが、だからといって彼らに八つ当たりをすることもなかったし、しょげて何も話せなくなるようなこともなかったし、まあ、もしかしたら一時的にレオナールには「何故か不機嫌だな」ぐらいには思われたかもしれないが、あれから彼女は頑張ってそれなりの振る舞いをしながら帰宅したのだ。
「ねぇ~、どうしたら頭が良くなるのかしら? 数字が苦手なのはもうわかってるから、それ以外に……知識。知識をつけるにはどうしたらいいのかしら。何の書物を読めば良いのかすら、わたしにはわからないのよ……」
ララミーは困惑した。どう考えても本来は彼女に向けられるような質問内容ではない。だが、自分に言うしか、フィーナは頼れる保護者がもういないのだということもわかっている。
「それはもう、先生となる人をお呼びするしかないじゃないですかねぇ……」
「そんなお金はうちにはないし、そもそも女のわたしに色々教えてくれるような人なんて、まったくあてがないわ」
「そうですねぇ。それに、これ以上お嬢様が行き遅れては奥様がお嘆きになられるでしょうし」
「っていうか、お母様もそろそろさぁ~、ああ、駄目ぇ、今日は愚痴っぽいわ、わたし」
「大丈夫でございますよ。お嬢様は愚痴を言わな過ぎます」
「そうかしら?」
「はい」
優しいララミーの言葉に、少しだけフィーナはじわりと涙を浮かべた。駄目だ。今日は少し涙もろくなっている、と思う。
(お母様は悪くない。お母様だって、お父様がお亡くなりになったことを受け入れようと少しでも前に進もうとなさっているってわたしちゃんと知っているわ。ヘンリーの傍から離れないけれど、最初はいつお父様はお帰りになるのか、なんて何度も口にしていたもの。それがなくなって、お父様がお亡くなりになった事実はようやくここ最近受け入れたようだと先生から説明もあったし)
それに、レースで編んだ付け襟を女中に頼んで自分に届けてくれた。彼女はフィーナのことをないがしろにはしていない。一緒にメッセージもついていた。ヘンリーのことにかかりきりであなたに会いに行けなくてごめんなさい、と。
だが、フィーナは知っている。彼女とヘンリーは離れにいるが、本邸と驚くほど距離が離れているわけではないのだ。会いに来られないわけがない。ヘンリーは安静にしなければいけないし、痛み止めを毎日飲んでいるおかげか、よく眠る。彼が眠っている間に、ほんのちょっと本邸に顔を出して、ということが出来ないはずがない。毎日どころか、午前午後に一度ずつ来るぐらいは顔を見せられるはずなのだ。だが、フィーナの元に彼女がやってくることは決してない。
「ねえ、ララミー」
「はい」
「お母様は、多分今わたしと会うことで、恨み言を言わないようにしているんだと思うのよ」
「恨み言ですか……?」
「お父様ではなくて、わたしが死ねばよかったと、ほんのちょっとでもきっと……」
「まあ、なんてことをおっしゃるんですか、お嬢様!」
ぼちゃん、とララミーは湯船に腕を入れて声を荒げた。
「奥様がどれほどフィーナ様を大事にしていらしたのか、わたしは存じておりますよ!」
「ええ、ええ、わたしもわかっているのよ。それは疑っていないの。だからなのよ。お母様はわたしのこともきちんと愛してくださっているから、わずかでもそんなことを思いたくないから、わたしにまだ会えないのだと思うの。会えないのは、お母様の優しさなのよ」
「お嬢様……」
「わたしももう20才だし、お母様に抱きしめてもらうには、ちょっと大きくなりすぎたわ。行き遅れって言われるような年齢ですものね」
でも。
ちょっとだけ、今日は誰かにこうやって泣き言を言って、誰かに慰めて欲しくなってしまったのだ。だって、そうではないか。こんなに自分は頑張っていると思っていたのに、頑張っていると思っていただけで、何もかも足りない。うじうじしていても仕方がない、と前向きにいつもなれていたのに、それが出来ないほどうちひしがれてしまった。
(お父様がお亡くなりになった時だって、そりゃあ落ち込んだけど……自分の力のなさで落ちこむのは、また話が違うのね……)
「お嬢様、今日はお休み前に蜂蜜とお酒が入ったホットミルクをご用意しますね」
「わあ、それはなかなかご機嫌になるわね」
「ええ、ええ、そうですとも。ご機嫌になっていただかないと。今日、お嬢様に何があったかはわたしにはわかりませんが、なんにせよハルミット公爵様が来てくださったことは、喜ばしいことであることには違いありませんでしょう?」
「……うん。そう。そうなのよ」
「それに、お嬢様にとっては憧れの人でいらっしゃるわけですし」
「うん。それも……それも、変わらないわ。あのね、公爵様は本当に素晴らしい方なのよ……素晴らし過ぎて、わたし、足元にも及ばなくて……」
「まあ、それでしょげていらしたのですね」
「うん……」
ララミーには敵わない。フィーナの少し負けず嫌いなところも彼女はよく知っている。そして、フィーナがそうでなければ、きっと今日までレーグラッド領は維持出来なかったのではないかと、領地運営のことはさっぱりなララミーでもそれだけは感じ取っているのだ。
「よかったではないですか。お嬢様の憧れの方が、お嬢様が足元にも及ばないほどの素晴らしい方だったなんて。お嬢様は見る目がおありということですよ」
「ララミーの言葉はたまにろくでもないほど前向きなのよね。わたしでもそこまでは考えられないわ、っていうぐらい」
「そうでしょうとも。なんといってもお嬢様が前向きなのは、わたしが幼い頃からよーくよくお世話をさせていただいたからでしょうからね」
「うふふ。そうね。確かにそうだわ。ありがとう。元気が出て来た」
自分たちは使用人にも、領民にも恵まれている。それはフィーナのみならず、亡きレーグラッド男爵もが誇っていたことだった。それを思い出して、フィーナは「落ちこんでいられないわ」と少しいつもの彼女を取り戻したのだった。