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6.立て直し公は格の違いを見せつける

 レーグラッド家は事故で馬車を失ったため、ない金をどうにか絞って中古の馬車を購入していた。古臭い型だと思っていたが、レオナールたちと自分が乗っても窮屈すぎない大きさであることにフィーナは安堵する。


(早急に手配しておいてよかった。それにしても、馬車に乗るのはあれ以来ね……)


 父を失ったあの日の惨状が、一瞬フィーナの脳内に浮かぶ。馬車に衝撃が走って、天地がひっくり返って体を打ち付けた。ガン、ガン、と衝撃を受けて体が跳ねてボックスの角に打ち付けられた。隣にいたはずのヘンリーが吹っ飛び、何故か開いてしまっていた扉から父が手を伸ばそうとして、そのままぐらりと揺れて……


「……っ!」


 馬車を見ていたフィーナはぶるりと一度震える。見送りに出ていたカークがそれに気付いたようで「お嬢様」と声をかけた。


「あ、うん、大丈夫よ」


「もしや、足……」


「違うのよ。馬車に乗るのは久しぶりだなぁって思っていただけ。ごめんなさい。いらない心配をかけたわね。大丈夫。行ってくるわ」


 そう言いながら、ヴィクトルやマーロの手助けも借りずにささっと乗り込んでしまうフィーナ。令嬢なのに……と苦笑いを浮かべながらレオナールはヴィクトルとマーロに順番を譲り、カークに尋ねた。


「ご令嬢は足が悪いのか」


「先日の事故で傷めて、半月は杖を突いた状態でしたので……今は問題なく歩いていらっしゃるように見えますが、時々痛まれるようです」


 足の怪我については、特にフィーナから口止めはされていなかった。同伴する騎士団員2人はわかっていることだが、念のためにとカークはレオナールに打ち明けた。


「何だと……? 男爵がお亡くなりになった事故は、彼女も馬車に乗っていたのか」


「はい」


「それは報告書に書いていなかったな……」


 既に馬車に乗り込んだヴィクトルが「レオナール様、どうなさったんですか」と中から声をかける。それへレオナールは軽く手の平をあげて「待て」の合図を送った。


「教えてくれてありがとう。気にかけるようにする」


「こちらこそ、感謝いたします」


 頭を下げるカークに「ああ」と曖昧に返し、ようやくレオナールもボックスに乗り込む。


 本来、主が出掛けるからといってわざわざ執事が邸宅から出て見守る必要はない。ということは、足の怪我を心配したのか、それとも。


(馬車に乗ることも、怯えていないだろうか。大丈夫だろうか)


 わざわざ視察に同行する必要もないのに、と思ったが、数日は領内をフィーナと共に動き、王命でやってきてフィーナの許しを得て領内を視察してる姿を見せた方が、その先自由に動きやすくなる。それは確かだったので、レオナールは彼女の同行を承諾した。が、懸念があるならば置いていった方が……。


(いや、彼女の立場を考えれば同行は当然か)


 よくない。つい、女性だから、と考えてしまう。この国に自分も毒されている気がして、心の中で自分を叱責する。


「出してくれ!」


 レオナールは乗り込んで御者に声をかけた。馬車は、中古とは思えぬほど円滑に動き出す。


「フィーナ嬢」


「はい?」


 レーグラッド邸が見えなくなる頃、レオナールは思い切ってフィーナに事故について尋ねた。


「先程、執事から聞いたのだが……父上がお亡くなりになった事故、その場にあなたもいらしたのだな」


「あ……そうです」


 フィーナは困惑の表情を浮かべて目を逸らす。目を逸らしたのは「カークったら、そんな話をレオナール様とするなんて、心配性なのよ!」と若干心の中でむくれたからだ。しかし、運が良いことに彼女のその仕草は「事故のことを思い出すのは、今もつらいことだろう」と3人の同情を引いた。それと同時に、ヴィクトルは驚いて声をあげる。


「えっ、フィーナ様も馬車に乗っていらしたんですか」


「はい。父とわたしと弟のヘンリーの3人で馬車に乗っていて……」


「事故に関する報告は、誰が王城に提出したのだ? 爵位を持つ者の生死に関わる報告は正式な書類として王城に保管されるはずだが、そこにはあなたのことが書いてあったのだろうか」


「わたしが書きました」


「あなたが?」


「はい。叔父から、そういう文書を王城に提出しなければいけないと聞いて、わたしが提出いたしました。そこには……」


 自分が同乗していたことは、間違いなく書いた。だが、レオナール達の報告書にはそれは明記されていなかったという。それだけで、この国での女性の地位が低い、爵位に関わる話に女性は最初から関係がないと考えられていることがわかる。


「ああ、心配しなくてよい。あなたが報告をした書類は間違いなく王城に保管されているだろう。我々の手元に来たレーグラッド領についての書類は数名の手を渡って作られたものなので、その数名の中であなたを軽んじる者がいただけということだ。ヴィクトル」


「はい」


「確認して、そいつは仕事から外してくれ。我々が必要とするのは爵位に関する話ではなく、足を運ぶ領地の直近に何があったかを漏れなく知ることだ。勝手に情報をふるいにかける者に用はない。二度とハルミット家が負う仕事を与えるな。その辺に適当に放り出せ」


 あまりに冷たい声音で吐き捨てるレオナール。ヴィクトルは「かしこまりました」と、はっきりと答える。フィーナは三人の顔を順番にぐるぐる見ては「えっと、あの」と困った。


「不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ない。あなたには失礼なことをしてしまったが、おかげで無能を一人炙り出すことが出来た」


 そう言ってフィーナを見るレオナール。彼としては「あなたのことを尊重してこのような手段に出ます。ですから、お許しください」という気持ちがこもった目線だ。しかし、悲しいかな、冷たい美貌を持つ彼のその表情はどちらかというと逆効果で、フィーナは硬直してしまう。


(ううううううう、そんな良い顔で、切れ長の目で、いい声で、無能を炙り出すとか言われるの、めちゃくちゃ怖い……!)


 その思いにヴィクトルが気付いたのか、慌てて横からフォローを入れた。


「レオナール様、そんな言い方をするとフィーナ様が怯えてしまいますよ」


「む……?」


「そうですよ……用はないとか、無能を炙り出すとか、ご婦人にはちょっと強烈ではないかと……」


 さらにマーロがそう言えば、フィーナは心の中でガクガクと首から上がもげるのではないかと思うほど頷いた。正直、自分がもしその「無能」と言われた立場だったらと思うと悪い意味でぞくぞくしてしまう。彼女の心は疑似的にレオナールの部下のようなものなので――勿論レオナールは知る由もないが――つい、そんなことを考えてしまうのだ。


 しかし、レオナールは「どこがだ……? 無能を近くに置くほどわたしは暇ではないし、それはお前たちも同じことだろう?」とわかっていない様子だ。冷たく整った顔が怪訝そうに歪められると、困ったことに更に怖さが増す。正直なところ、ヴィクトルとマーロですらそう思ってしまう。ヴィクトルは「そういうところですよ」と言いたかったがさすがにそれは言えなかった。事実、彼は正しかったし、同じセリフをヴィクトルが言っても威圧感はなかっただろう。すべて彼の顔の為せる技だ。


「何か、おかしいことをわたしは言っただろうか? フィーナ嬢」


「いえ、いえ、まったく、全然、大丈夫です、問題ございません……!」


 突然自分に話を振られて、フィーナの声は裏返った。


(わ、わ、わかりました。これは、わたしに対して、無能はすぐに切る、無能だと思ったら視察も同行させない、とレオナール様はおっしゃりたいのですね……?)


 そんなことは微塵もレオナールは思っていなかったが、フィーナはわけのわからない勘繰りで、自分が彼に警告をされたのだと判断した。


 やばい、厳しい人だとは聞いていたが、この顔であんなことを言われるとちょっと怖い。下手なことを言って無能だと思われるぐらいなら、案内役としていっそ黙っていた方が良いのかもしれない……フィーナは心の中で震えあがり、事故以来の馬車に恐れを抱く余裕もなくなった。ある意味、レオナールは彼女の心の救世主となったのだ。一時的に。無意識に。なんにせよ、結果オーライというやつだ。




 視察の目的地は、大量に木材を伐採された跡地だ。シャーロ王国はどこでも樹木があるが、特にレーグラッド領は質が良い樹木が多くある。本来、重くて堅い木が「強い」とされるが、レーグラッド領にある広葉樹はその中でもバランスが良く「堅いわりに比較的重くない」と言われている。そのおかげで、戦争が始まってからは投擲機を作るのに最適と言われ――投擲機ならば素人でも即戦力になる――堅い木材を扱える者たちは王城に召集されてしまった。


 堅い木材は傷がつきにくいので、戦争前はテーブルなどの調度品に最適とされていた。堅い故に彫刻を施すのは大変なので、その分色付け絵を描く職人も領地内に育っていた。だが、戦争で絵付けの需要はなくなったし、木材を加工する者達はみな出稼ぎ状態、そして、王城から戦前よりもだいぶ安値で木材の提供も命じられてしまった。それを渋った結果、伐採するため兵士が送り込まれた過去がある。過度な伐採のせいで、今から植林をしたところでもう以前のようになるまでは10年20年必要だし、そもそも植林するほどの余力が既にレーグラッド領にはない。


「なんだこりゃ、伐根されている場所とされてない場所が混じってますね」


 伐採時に残った木の根を植林のためにそれを掘り出そうとすれば相当の人手と時間が必要となる。反面、初期に伐採された場所は何故か伐根までされている。ヴィクトルが声をあげれば、レオナールは小さく溜息をついた。


「これは、予想以上だな……」


「ここから運ぶのにも相当な日数と人数が必要だったろうに、前王もかなり無茶やらかしましたね。そこがまあ、無能の……おっと、失礼、口が滑った」


 苦笑いを見せるヴィクトル。


「ああ、これは酷い」


 酷い、とはどういうことだろう、とフィーナは伐採跡を見て、それから再びレオナールを見た。ヴィクトルもため息をついて


「素人が切りやすい、運びやすい場所を優先して切ったんでしょうね。それに、あちこちに受け口を途中まで入れて放置した木がありますし、倒す方向をコントロール出来てなかった木が何本も他の木にひっかかっている。もともとのここの木こりじゃない者が伐採に来たことが一目でわかる……こりゃ放置出来ないな」


「フィーナ嬢。この地域は数年に一度ぐらいは大雨が降り、また、強風に襲われることがあるとも聞いたが」


 レオナールはぐるりと辺りを見回しながらフィーナに尋ねる。雨の話は昨日ちょっと川の件で話していたが、強風のことは彼の口から出ていなかったはずだと思う。新しい懸念が発生したのだと瞬時に気づき、フィーナの声は僅かに震えた。


「はい。ここ数年は落ち着いていますが……」


「伐根までされている場所は地盤の緩みを招く。最悪、次に大雨と強風が来たら、地盤が緩んで川には土砂が流れ込むだろうし、普通の木なら耐える強風でも、受け口が入ったまま放置された木材は全て折れて、他の木に影響を与えるだろう」


「不勉強で申し訳ございません。受け口とは」


 レオナールは近くにあるまだ伐採されていない木に近付き、フィーナを手招きした。


「これを、受け口という。木を切る時に最初に入れる切り口だ。斜めに切り口を入れて、後に反対側からまっすぐ切るのだが、やってきた者たちはこの木に慣れていない者達だったのだろう」


 彼が指さした木には、確かに既に斧か何かで切り込みが入っていた。注意深く見ればそういう木があちこちにある。彼女がここに視察に来たのは初めてではない。だが、その状態すら把握できていなかったのだ。木が相当まばらになっていることはわかっていた。それを見てショックを受けたものの、もっと細やかに見るべきだったのだ。


(駄目だ。何もわかっていなかった。わたしの目で何をどう見ても、知識がないどころか注意力が足りな過ぎて、疑問に思うべきことすら思えていない。たまたまその時近くにあった木に受け口が入っていなかったのだとしても、もっと……)


 レオナールに色々質問をしたいと、あれだけ思っていた。だが、現実に彼らの「視察での最初の会話」を聞いただけで、そこには自分が入る隙は無いと知る。一言一言に教えを乞うて、聞き返さなければ理解が出来ないなんて。フィーナは己の未熟さに呆然とした。


(こんなに足りないなんて。これでは、ヘンリーが成人するまでの代理人に自分がなり続けるなんて、口が裂けても言えないわ……)


 フィーナは己に深く落胆し、下唇を噛み締めた。今日の彼女の情緒はちょっと忙しい。

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やっぱりあと十年近く領地経営をしたいんですね、お嬢様。そこまで自分を犠牲になさらないで、ご自分の幸せを考えて頂きたい… 今日も甘いものをご用意して差し上げたい。
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