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19.アデレードとフィーナ(2)

 さて、そんなわけで、フィーナが相当ショックを受けるかもしれない……とみなが心配しながらの翌日。医師とレオナールとカーク、そしてフィーナの4名で昨日のことを話し合った。


 フィーナはパニックを起こした記憶がやはりなく、レオナールに運ばれたこともまったくわかっていなかったようで、一晩経過しても「ただ疲れて眠っていたのだとばかり」と言うだけだ。彼女の性質からして嘘をついているわけではないとみなが知っている。


「今後も発生するかもしれないので、注意が必要です。それは、心がもたらすものなので、出来るだけ思い出させられるような状況を作らないようにしてください。あとは、時間のみが解決出来るでしょう」


「そうなのですね……」


 フィーナは見るからにしょんぼりとしている。そんなに自分の心にあの事故のことが根深く残っているなんて。いや、でもまだひとつきちょっとの話だ。仕方がないだろう……色々な思いはあれど、今は何を考えても仕方がないのだともわかっている。


「レオナール様、ご迷惑をおかけいたしました」


「いや、大丈夫だ。老婆のことがなければ暗くなる前に帰れたはずだったし、こちらも配慮が足りなかった」


「いいえ、そんなことは」


「なんにせよ、今後馬車を使う時は明るい時間に、必ず誰かと共に乗っている状況にするようにしましょう」


 そのカークの言葉にフィーナは頷いた。が、その直後に


「でも、もしかしたら慣れたら大丈夫になるんじゃない……?」


 ととんでもないことを言い出す始末。


「慣れたら……?」


「今日から特訓して、夜、馬車に一人で乗るっていうのはどうかしら……」


 さすがにそれへはカークと医師の口がへの字になる。


「それで、大丈夫だったらちょっとずつ時間を増やすの。ね。どうかしら?」


「駄目だ」


 最初にはっきりきっぱりと否定をするのはレオナールだった。


「あなたが気丈で負けず嫌いで人に迷惑をかけたくなくて人に心配されるのも苦手でそういうことを言い出すような人だということはみなが知っている。知っている上で、駄目だ」


「んんっ」


 気丈で負けず嫌いで人に迷惑をかけたくなくて人に心配されるのも苦手で。その言葉の羅列にカークはうんうんと頷き、医師は「そうなんです?」という顔になり、当の本人であるフィーナは「レオナール様にそう思われていたんなんて……!」と驚いて妙な声をあげる。


「会ってそう時間が経過していないわたしにこう言われるほど、あなたのそういう性質はわかりやすい。わかっているが、駄目だ。あなたが思っている以上に症状は深刻だ。それは、見たわたしにしかわからないことで、どうせ忘れるからと高を括っているならば許可出来ない」


「まあ! それはレオナール様に許可してもらわなければいけないことではありませんよね……!?」


 売り言葉に買い言葉がこんな時に勃発する。これはレオナールの言葉が悪い。許可できない。彼はそんな立場ではないのに、つい強く言うものだから、フィーナもかちんと来てしまったのだろう。領地運営のことならば別だが、これはフィーナの個人的なことなので、いくら迷惑をかけた相手とはいえその言い草はないのではと反応した上の買い言葉だ。


(ああああ、ハルミット公爵様、いけません、お嬢様相手にそんな言い方を……)


 とカークはレオナールに視線を投げるが、これまたレオナールは冷たい目でフィーナを見ているため、一向にカークの念を受け止める気配はない。


「駄目だ。あなたが前向きで何に対しても取り組みたい人だとはわかっているが、そのせいでより自分を苦しめることになるかもしれない。昨日のことは忘れたかもしれないが、次に同じことがあったら覚えている可能性はある。そうなれば、あなたは自分で自分の首を絞めて、恐怖に恐怖を重ねることになる。そうなったら、時が解決するも何もない」


「うう……」


「あなたが今すべきことはそれではない。もっとたくさん、やるべきことがあるのだから、自分を信じて他のことをしながら、解決してくれるだろう時が過ぎるのを待てばよい」


「うう……はい……」


 はっきりと言われて、フィーナは悔しそうに拳を握りしめた。が、レオナールは打って変わって優しい声音で語りかける。


「あなたにお願いしたいことが実はたくさん出来たのだ。その特訓なんぞに時間を割いたり、そのせいで調子を崩すような暇がないほど、働いてもらわなければいけなくなる」


「え?」


「なので、我慢して欲しい。先程は強い言い方をしてしまったが、あなたの力が欲しいのでな」


 一体レオナールは何を自分にさせようというのだろうか。フィーナは不安を感じたが、自分でも出来る何かがあるのなら、と少し気持ちを落ち着けることが出来た。カークも医師もほっとして、今後の対応についてもう少しフィーナに話してから、ほどなく彼らは退室した。




(今日は念のため安静にしていろと怒られてしまいました……)


 フィーナは仕方なくベッドの上でだらだらと過ごしていた。あれだけ昨日深く寝たのだからもう眠くない。とはいえ、仕事をしようとするとみなに怒られる。


 レオナールが言っていた「やって欲しいこと」に関しては、彼らが少し仕事をした後に改めて話したいとのことだったので、フィーナは「一体なんだろう」とそれについても気になってそわそわして休むどころではない。


(あっ、そうだ。ララミーが片づけてくれたノート……)


 それを読むぐらいは許されたい。きっと、人が出入りするだろうから隠しておこうと引き出しにしまってくれたのだろう。ララミーはそういうところは気が利く。久しぶりに1から見直したら、今ならばわかることがあれこれあるのではないかと思える。


「フィーナ様、失礼します」


 フィーナが仕事――彼女にとって今ではもう趣味のようなものだから仕事だと認識していないが――をしようとしている気配を察したのか、女中が寝室にやってきた。ベッドから降りようとしていたフィーナは慌てて何もしていないふりをし、取り繕う。


「なあに?」


「奥様がお見舞いにいらっしゃいました。お通ししてもよろしいですか?」


「えっ!?」


 つい、必要以上に声をあげて驚いてしまうフィーナ。だが、それも仕方がない。あの事故以降、ほとんど母アデレードは本邸に足を運ばなかったのだし。


「え、ええ。勿論よ」


 だからといって断る理由はないので、フィーナは彼女らしくなく少しおどおどと返事をした。ほどなく、アデレードが花を持って寝室に訪れた。


「お母様」


「調子はどう? 落ち着いたかしら?」


「ええ、大丈夫。今は念のために休んでいるだけで、すっかり元気なのよ」


 そもそも、調子を崩した記憶がないのだが、フィーナはアデレードが誰にどこまで話を聞いて来たのかわからないので、曖昧にそう言った。アデレードは持ってきた花をフィーナに見せて「あなた、この花好きだったわよね? 調子がよくても悪くても、たまにはお部屋にどうかしら」と言って、その花を女中に渡す。


(わたしが好きな花、覚えていてくださっていたんだ……)


 そのことが嬉しくて「ええ、そうするわ。花はいいものよね」とフィーナは満面の笑みを浮かべた。花を持っていく前に、女中はベッド近くに椅子を置く。アデレードは品のある動作でそれに腰かけた。


「ヘンリーは……?」


「今は眠っているわ。でも、起きていられる時間が増えてきたからあなたに会いたいと言っていたわ」


「わたし……」


 大丈夫よ、と言おうとして、フィーナは「そうだ。お母様に心配かけたくなくて、自分の不調は一切知らせないようにカークたちには言っていたのに……」と気付く。すると、そんなフィーナの思いを見抜いたのか、アデレードは穏やかに「ハルミット公爵様からお話を伺ったの」と告げた。


「レオナール様が……?」


「ええ。あなたが、意地っ張りで、わたしに心配をかけたがらないだろうから、ご自分が伝えに来たとおっしゃってね」


「!」


 なんてことだ、とフィーナはかあっと頬を赤らめた。カークやララミーに聞いたのだろうか。自分が不調でもアデレードには言わないでくれと頼んでいたことを。それとも、彼は察したのだろうか。そのどちらかはわからないが、彼がフィーナのことを思ってそうしてくれたのだということはわかる。


「あなた、一体どんな風にハルミット公爵様に接しているの? 意地っ張りだと言われちゃうなんて、貴族令嬢として……」


 と言いながら、アデレードは「ふふふ」と小さく笑った。貴族令嬢にあるまじき態度をとっているのではないかと怒られると思っていたフィーナは、アデレードの笑い声にびっくりする。


「お母様?」


「いえ、ごめんなさいね。叱ろうと思ったけれど、ふふ、意地っ張りだと言われてしまう方が、あなたらしいのだと思ったら笑ってしまったわ」


「ええっ? わたし、レオナール様に意地っ張りだと思われるようなことをした記憶がないんですけど……それは、ちょっとレオナール様を問い詰めなくちゃ……」


「まあ。公爵様を問い詰めるなんて。そんな物言いをするほどなら、きっと公爵様があなたを意地っ張りだと言うのは間違っていないのね」


「ええ~、ちょっと納得いかないんですけど」


「ふふ。そこで納得いかないと言うのが、あなたが意地っ張りな証拠じゃないのかしら」


 その論法はずるい、と言いたくなったが、アデレードがふっと目を軽く伏せて悲し気な表情になったので、言わずに黙った。


「でもね、わたしもそう思うのよ。あなたは意地っ張りで、いつでも自分は大丈夫だって肩肘を張ってしまうから……わかっていたのに、あなたがあの事故でどれだけ心に傷を負ったのか少し考えればわかることで……それをあなたが隠してしまう人だとも知っていて、見ないふりをしていてごめんなさい」


「ここでわたしが、大丈夫ですって言っても、また意地を張って、と言われそうなので、ううん、話はちょっと面倒くさくなるのですが……でも、見ないふりをして少し放っていてくださったことで、逆にわたしはやるべきことに集中も出来たんです。もし、お母様が事故に遭ったわたしを憐れんで、あれこれと世話を焼いて下さったら、それはとても嬉しいことですけど、この領地のためにはならなかったと思うので……」


 寂しい気持ちは少しあったが、それは本音だ。そして、だからといってアデレードも「じゃあよかったわ」と言うような、なんでも都合が良く考える女性ではなかった。


「まだ、わたしにもあなたにも時間が必要なのね。もう過ぎたことでも、心は渦中にいるままなのよ。早くそこから抜け出そうとすると、どこかでそれは、あの人に対して申し訳ないと思ったり、自分で自分をもう一度渦中に投げ出そうとしてしまうんだわ。人ってそういうものでしょう」


 フィーナはアデレードの言葉に驚いて目を瞬いた。そんな風に母親と、人の心についてのあり方を話し合ったことなぞ、今までなかった。彼女はレオナールの「少し話しただけだが、夫人はあれはあれで聡明さをお持ちのようだし、今はあなたと距離を置くほうが良いと思っているのだろう」という言葉を思い出した。そうだ。人に称えられる本当の淑女という者は、聡明でなければいけない。今は心の痛みで少し逃げているけれど、自分の母はこういう人だったのだと改めて知って「わたしはそれもよくわかっていなかったのだ」と恥じた。


 やがて、女中が花瓶を手に戻って来る。普段は例のノートを置いているサイドテーブルにその花瓶を置いた女中は、申し訳なさそうに2人に声をかけた。


「お話し中申し訳ございません。お嬢様、奥様とのお話が終わられましたら、レオナール様のお部屋の方へ来て欲しいと伝言をいただいております。急ぎではないので、お2人ともごゆっくり、とのことでした」


「ありがとう」


 フィーナが礼を言うと女中は寝室から出ていく。


「お仕事のお話かしら?」


「そうみたいです。わたしが、何かお役に立てるとおっしゃっていて……本当に、そうならいいんですけど」


「たとえそうでも、無理はしないで頂戴。今日まで無理をさせていたわたしが言うのはおこがましいかもしれないけれど。それから、わたしはこのまま離れに戻るから、よければあなたから公爵様に改めて御礼を伝えてくれる?」


「はい、わかりました」


 ごゆっくり、と伝言にあったものの、アデレードは長居をせず立ち上がった。実のところ、フィーナも少しほっとする。これまでより少し深い話は出来たが、なんとなく互いにぎくしゃくしている感覚はあまり変わらない。ただ、彼女の方から本邸に足を運んでくれたということは大きかったし、だからこそフィーナもアデレードを引き留めてはいけないと思ったのだ。


 また来るだとかアデレードは言わないし、フィーナもこの前のように「そのうちまた行きます」とは言わない。むしろ、そんなことを言うこと自体おかしかったのだ。少しずつ何かが変わろうとしている時に自分にも相手にもむやみな強制はよくないと2人は理解をしていた。そういう意味では彼女たちは似ていないのに、やはり母娘なのだ。

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