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17/32

17.あの夜の記憶

 老婆のあれやこれやで予定が大幅に遅れ、彼らは夕暮れ時に村を出た。しばらく走るとあっという間に夜の帳が下りて来る。街道沿いはぽつぽつと明かりがついているので、その明かりを目指して馬は走らせるものの「これでは、さすがにみんなが心配しているかもしれないわ」とフィーナが呟く。


「ああ、では、騎士団員に先に行ってもらおうか」


「確かに、その方が良いかもしれないですね」


 フィーナの表情にも疲れが見える。本来ならば、フィーナが騎士団員にそれを告げなければいけないのだが、レオナールは彼女の疲れを察して特に彼女の許可も得ずに「馬車を止めてくれ」と御者に声をかけた。それから、フィーナを残してボックスから降りると、護衛の騎士団員に声をかけにいく。


「予定より遅くなったので屋敷の者が心配していると思う。あとはほとんど街道を走るだけだし、先に戻ってみなに帰宅が遅れていることを伝えてくれないか」


「は、しかし……」


「一応わたしも剣術の心得はあるゆえ。わたしが馬を借りて行っても良いのだが、さすがにそれは難しいだろう?」


 それは、レオナールの代わりに騎士団員に馬車に乗れという意味だ。彼が言うとおりそんなことを受け入れるわけにはいかないので、騎士団員は素直にレオナールに従い、レーグラッド男爵邸に向かって単身馬を走らせることにした。


「出してくれ」


 ボックスに乗り込みながら御者に命じるレオナール。彼が座席にしっかり腰掛けるのと、馬車が動き始めるのはほぼ同時だった。


「先に行って屋敷の者たちに無事を伝えるよう頼んだ。疲れただろうし、眠っていくと……フィーナ嬢……?」


「……あ、あ、あ……」


「フィーナ」


 どうも、フィーナの様子がおかしい。見れば手が震えている。フッ、フウーッと呼吸のリズムが整わない。


(まさか、思い出して混乱しているのか?)


 レオナールはもう一度馬車を止めようかと思ったが、言葉を飲み込んだ。


(暗闇の中で、動かない馬車の中に一人でいた時間が彼女にはあったのだ)


 ならば、馬車は動いている方が良い。レオナールは座席から馬車の床に下りて膝を突くと、震える彼女の手を握った。




『ああ、では、騎士団員に先に行ってもらおうか』


 そうレオナールに言われて、フィーナは何か言葉を返したような気がしたが、何やらどっと疲れが出て少しぼんやりしている。どうやら自分は彼に同意をしたようで、レオナールは馬車のボックスから出て行き、騎士団員に声をかけにいったようだ。


(ああ、疲れた……レオナール様にお任せしちゃおう……)


 申し訳ないと思いながら、フィーナは騎士団員への依頼をそのままレオナールに任せた。自分がしなければいけないのはわかっていたのだが、どうにもここ最近ないほど今日は疲労している。当たり前だ。あの事故以来、鉱山に行ったのは今日が初めてで、どこか心が身構えたまま一日を過ごしていた。よくわからない緊張を維持してしまって、あまり笑えていなかったような気すらする。


「ん……」


 レオナールが騎士団員に声をかけている間、ふわっとフィーナの意識は僅かに失われた。ほんの一瞬だけ寝てしまった。馬車で移動中には時々そんなことがあるが、この一瞬は緊張が解けた故の、いつもより深い眠りだ。すとん、と意識が閉ざされてしまい、次に目が覚めた時、一体自分がどこにいるのかフィーナはわからなくなった。要するに、ほんの一瞬なのに寝ぼけたようになってしまったのだ。


「……!……」


 途端、ドッドッドッ……と動悸が激しくなる。外は暗い。止まった馬車の中、一人で留まっているその状況。きちんと見れば馬車は何も問題なく、あの事故の当時のようにあちこち破損しているわけでもおかしな角度で倒れているわけでもない。だが、大雑把な状況に反応して、突如フィーナの目は霞んだ。


「え、え、え、え……」


 聞こえていたはずのレオナールと騎士団員の会話も耳に届かない。ただ、暗い。暗い馬車の中に置き去りにされている自分。たったそれだけのことで、おかしな汗が出て来る。一気に混乱をして、フィーナはあの夜のことで頭がいっぱいになった。


(外に。外に、ヘンリーと、お父様が、落ちて)


 と、なんとなく、誰かの声が聞こえて。馬車ががくんと揺れた。嫌だ。怖い。ここで揺れたら落ちてしまう落ちてしまう落ちてしまう落ちてしまう……!


 その時、ようやく耳に何かが聞こえて来た。なんとか聞き取れたそれは、どうやら自分の名を呼んでいるように聞こえる。


「あ……」


 助けが来たのだろうか。馬車は引き上げられないから、一度戻らないといけないと誰かが言っていた。そこからどれだけ時間がかかったのだろうか。やっと、自分は助けてもらえるのだろうか。だが、激しい動悸も、息苦しさも、目のかすみも治らない。フィーナは焦るが、何も出来ない。


「あ、あ、あ」


 体は何もかも言うことをきいてくれない。自分に何が起こっているのかを把握できずに、ただ、息苦しさを恐れてどうにか息をしようとする。なのに、それもうまくいかない。嫌だ。助けが来たのに死んでしまうのだろうか。どうして。どうして。どうして……。


「フィーナ」


「あ、あ……」


「大丈夫だ」


「はっ、はっ……はぁっ……は……」


「大丈夫だから。震えは無理矢理止めなくてもいい。呼吸だけに集中しろ」


 誰かの大きな手が自分の手を掴む。お父様だろうか。いいや、違う。お父様はさっき崖に落ちていって……!


「あ、あ、あ、あ」


「息を吸え。吸ったら止めろ。それから、ゆっくり吐いて」


 息を吸う。止める。吐く。言われていることはわかるのに、それが出来ているのか、自分がそれに従ってやろうとしているのかもよくわからない。


「息を吸って。止めて。ゆっくり吐いて。吸って。止めて。ゆっくり吐いて……」


 誰かの手が背中に回される。お父様だろうか。いいや、そんなことはないとさっき思ったはずなのに。では、これは誰なんだろう。わたしを、助けてくれるのは。


「う、うう、う、う……」


 よくわからない誰かにしがみついて、体を押し付けて。震えが止まらない。動悸が激しく高鳴ったままで落ち着かない。その中で、彼が繰り返し告げる声だけが聞こえてくる。息を吸って、止めて、吐いて。大丈夫だ。もう一度。息を吸って。それから。


「大丈夫だ。すぐ、帰ろう」


 その言葉が、大きなきっかけだった。


 ああ、本当は、一緒に。


 あの日だって、本当は一緒に帰りたかったのだ。お父様と、ヘンリーと、笑いながら。その感情は過去のものであり、過去のものでありつつ同時に今のものでもある。恐怖に混じった悔恨や、父や人々を失った悲しみ等が入り乱れてフィーナは子供のように声をあげて泣き出した。


「う、ううううう……うわぁあああああん……!」


 あの日、救出に時間がかかった分、フィーナは一人で恐怖と共に「これからのこと」を考えざるを得なかった。だから、いざ一晩時間をかけて救助された後は、周囲が驚くほどテキパキと彼女は処理を行い、わからないことはすぐさま叔父に問い合わせをして、気丈に多くのことを手配した。何度でも「今後のこと」を考えて考えて考えて。


 だが、彼女はそんな時間は欲しくなかったのだ。すぐにでも、こうやって誰かの腕の中で泣いて、誰かに抱きしめて欲しかったのだ。


 彼女を抱く誰かの手は大きく、何度も何度も背を撫で、頭を撫で、時折軽く力を入れて抱いてくれる。その体温に安心して、フィーナは泣きながら目を閉じた。


 


 レーグラッド男爵邸に着いた頃、フィーナは泣き疲れて深く眠っていた。パニックに陥った状態で寝てしまったので、起きた時はどうなっているのかよくわからない。レオナールは彼女を抱いて馬車から降りると、早足でエントランスから階段をあがりながら人々に命じた。


「大丈夫だと思うが一応医者を手配してくれ。それから、もしかしたらすぐ目覚めるかもしれないから、温かいものもすぐ出せるように。眠っているのに指先が冷たい。温かいタオルで少し温めてやってくれ」


 ヴィクトルとマーロは食事中だったようで、駆け付けるのに時間がかかったようだ。カークは医者を呼び、女中たちは彼に言われたように温かいタオルを用意したり、着替えを準備して遅れながらレオナールを追いかける。


 レオナールは多くは説明せずに、まず不躾だがフィーナの寝室にドカドカと入りこむと、彼女の靴を無造作に床に落とした。どうせ女中が着替えさせるだろうから、とそのままベッドの上に横たえて、何が起きたのかをカークに説明するために戻ろうとする。


「……うん?」


 開け放したドアから差し込む僅かな灯りだけが頼りだったが、ベッドの傍に数冊のノートが積まれていることに気付く。


(日記か何かをつけているのか。勤勉なことだ)


 そう思って目を逸らそうとした瞬間、一番上に置いてあるノートの表紙に走り書きされた文字をつい読んでしまった。


(コルト伯爵領……?)


 反射的にそのノートを手にした時、女中たちの足音が聞こえる。


「……」


 大きなノートではない。あまりにも自分が失礼なことをしているという自覚はあったが、レオナールは一番上に置かれていたノート一冊を小脇に挟み、マントで隠す。


「失礼いたします。お着替えしますので、外に出ていただけますと……」


「ああ、頼んだ」


 入ってきたのはララミーともう一人の女中。レオナールは部屋の外に出ると、足早に自分が与えられている部屋へ行ってそのノートを置いてから、カークたちに状況説明をしに行ったのだった。

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― 新着の感想 ―
そうだよねぇ。泣きたかったよねぇ。偉かったよ。
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