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13.レオナールからの評価

「フィーナ嬢は、よくやっていらっしゃいますよ。本当に」


 どうして二度言ったのかはわからなかったが、レオナールの口からその言葉が二度出たことに胸を打たれて、フィーナは花瓶を持ったまま扉の外で立ち尽くしていた。


(そんなことはないです……全然わたし、足りなくて。何の役にも立たなくて)


 ドッドッドッ、とフィーナの鼓動が高鳴る。彼のそれは、上司が部下の評価をしているようなものに少しだけ似ている。少なくともフィーナは心の中では勝手に、自分が彼の架空の部下や弟子のような気持ちでいた。そして、彼との接点も未だ仕事のことばかりで、それ以上の関係はないと言っても過言ではないと思っていた。


 だが、人は誰かに評価をされているとわかると、こんなにも嬉しいものなのだ。子供の欲だけではなく、大人になってもそういうものだとフィーナは思う。


『夫が亡くなって、誰もこの領地を背負う者が今はおりません。ですから、公爵様に来ていただいて、心より感謝しております』


 花瓶を持って戻ってきた時に、アデレードのその言葉が最初に耳に入った。そこで、足が止まってしまった。


 アデレードの言葉は間違っていない。1つも。すべてが正しいと思う。だが、その反面、自分では力足らずとわかっているが、それでも少しでも領地のことを背負おうと力を尽くして来たのに「背負う者がいない」と断言してしまうのか、と心がちりりと痛んだ。


 勿論、それはフィーナの思い込みだ。アデレードもまた、フィーナが領地経営に首を突っ込んでいることをあまり外部に知られてはいけないことをよくわかっている。だから、それを通そうとすれば、そういう言い方になるのだろう。それはわかっている。他意があろうとなかろうが、アデレードの言葉は何一つ問題がない、むしろ正しい対応だ。


 なのに、心が痛む。その理由がわかった。


(わたし、誰かに褒めて欲しかったんだわ……)


 それは甘えかもしれない。だが、その甘えに応えてくれる人がいたから、自分はこの2年間頑張れていたのだとフィーナは理解をした。


 今だって使用人たちはみな「お嬢様は頑張っていらっしゃいます」と言ってくれるけれど、それは「忙しそうにしているから」であって、彼女が行なっている領地運営について理解をした上で言ってくれる人は今はいない。


 そうだ。今まで、きっと自分は父であるレーグラッド男爵に褒めてもらえて、それがまた次の力になっていたのだ。失って初めてわかるというが、失ってもそれに気付いていなかった。それを、気付かせてくれたのはレオナールだ。


(浮かれちゃ駄目。社交辞令よ。社交辞令に決まっているの。だって、わたし、何も足りない……)


 そう自分に言い聞かせても、心は素直に彼の言葉で救われた。


『フィーナ嬢は、よくやっていらっしゃいますよ。本当に』


 なんて人なんだろう。彼のことはよくわからないし、彼も自分のことを何を知っているわけでもないのに、そんな一言で自分を救ってくれるなんて。


(ああ、泣きそうだ……泣きそうだけど、耐えなくちゃ)


 フィーナは息を整えた。目頭が一瞬熱くなったが、なんとか涙を抑えて扉を開けた。


「お待たせしました。お母様、こちらにお花置きますね」


「ありがとう。まあ、本当に綺麗ね……」


「お母様が一番お好きな白い花はまだ蕾ですけど、蕾で活けるとここから咲く楽しみがありますよね」


「ええ、そうね。ありがとう」


 花瓶を置いてから、そそっとフィーナはレオナールの斜め後ろに近づいた。


「フィーナ嬢、夫人との話は終わっている」


「そうですか。では、お母様、わたし達は本邸に戻ります。次はヘンリーが起きている時に顔を見に参りますね」


「ええ、そうね。最近起きていられる時間が増えたのよ。あの子もあなたに会いたがっていたわ」


 互いにそう話しつつも、ではそれがいつなのかと約束をするわけでもない。曖昧な、どこか一線引いた会話を終えて、フィーナはレオナールと共に離れを後にした。




「レオナール様、お付き合いありがとうございます」


「うん? わたしは挨拶に行っただけで、あなたに付き合ったわけではないぞ」


「はい。でも、レオナール様にいていただけて、助かったので」


「そうか」


 どうしてなのかをレオナールは聞かない。が、きっとフィーナとアデレードの間に流れる不思議な空気を、彼ほどの人物ならば感じ取っていたに違いないとフィーナは思う。


「さっき、貴族の令嬢が何をしているのかわたしはよくわからないってお話ししましたよね」


「うん」


「それには母も含まれていまして……母は本当に昔ながらの貴族令嬢で、きっと、わたしと毎日お茶をしながら、ふんわりとした穏やかな話をしたり、わたしにレース編みを教えたり、一緒に刺繍をしたり……多分、そんなことをしたかったのだと思います」


「ああ……なるほど」


「でも、その、わたしはそういうことがあまり得意ではなくて……淑女教育を受けていた時はよく母に教えてもらっていましたけど、戦争が終わってからというもの、父にくっついて外出をすることも多くなってしまいましたし、えっと、父の、その、資料を整理したり……」


 ここまで話して、フィーナは「しまった、これはうまく誤魔化せないやつだ」と自分の軽率さを呪った。つい、本音で話をしそうになってしまったが、自分が領地経営で奔走していたことをはっきりとレオナールに言うことは出来なかった、と今更気付く。だが、それに対してはレオナールがフォローをしてくれた。


「フィーナ嬢がレーグラッド男爵が書くべき日々の報告書を代筆していたことは、ここ最近の報告書とそれ以前のものを少しめくればわかることだ。可能な範囲で、父上の負担を減らそうとあなたは尽力していたのだろう」


「んぐ……」


 妙な声がフィーナの喉奥から僅かに出る。しまった、そこも考えていなかった。あの事故以降、日々の領地運営の報告書は当然フィーナが書かなければいけなかったし、それ以前も彼女が書いている日は存外あった。レオナールたちは報告書を遡ると言っていたし、そうすれば筆跡で実はフィーナがよく書いていたことがバレるのも当然のことだった。


「そう、なのです。ですから、母としてはきっと寂しかったと思いますし、父の仕事ぶりを近くで見ていると、つい、そのう……母とゆっくり過ごすことに焦りを感じて……」


「うん。それは当然だろうな」


「でも、そんなわたしのことを、一度も母は責めなかったんです」


 だからといって「お父様の力になってあげて」とは、この国の古き良き「淑女」の立場では自分の娘に言うことは出来ない。レオナールは「ふむ」と妙な相槌を打った。


「だから、今ちょっとですね……なんとなく、ぎくしゃくしているんですけど……本当は母も、何かをしたいと思っていて……でも、自分には何も出来ないと思っているし、実際あまり母には出来ることがないので、邪魔にならないようにと思ってくれてるのかなぁって」


 それに、きっと少し恨み言もあるだろうし……と、ララミーにはつい口にしてしまった愚痴はレオナールに言うわけにはいかないので、フィーナはそこで話を終えた。


「そうか。わたしには、この国の女性の気持ちはよくわからないし……いや、女性全般の気持ちがよくわからないが、あなたと夫人が互いに、別段忌み嫌っているわけではないことはわかる。少し話しただけだが、夫人はあれはあれで聡明さをお持ちのようだし、今はあなたと距離を置くほうが良いと思っているのだろう。そして、その方があなたも楽なようだ」


「お恥ずかしい話ですが……」


「恥ずかしくない。わたしなぞ、父にハルミット領を任せて出歩いているが、出来るなら父とも母ともあまり話をしたくない」


「え?」


 歩きながらの会話で互いに目線を合わせていなかったが、驚きでフィーナはレオナールの顔を見上げる。ちらりと視線を合わせて、苦笑いを見せるレオナール。


「嫌っているわけではない。尊敬はしているし、両親は両親でわたしを大事にしてくれていることはわかる。とはいえ、神童だとかなんだとか言われて7才から10才は王城付近の子息が12才になると通う宿舎つきの教育所に投げ込まれ、次は16になる前かな……領地から離れて3年ジャケート侯爵のもとで領地運営の手伝いを行いながら学び、戦争が発生する2年前に留学をしてから戦争は3年、戻って来てからほぼ領地にいない状態で2年半、要するに、これまでの人生の半分もわたしは家族と関わりがないので、共にいても互いに扱いに困るのだ」


 レオナールに関する情報があまりなかったフィーナは、彼のその経歴に、ぽかんと口を開けて足を止めてしまう。


「? どうした?」


「は、はあ……それは、えっと、そのう……」


「?」


「頭の出来が違うだけじゃなく、人生においてそこまで学びの時間を得ているなら、それはそうかって」


「なんだ? それはそうか、というのは」


「レオナール様は、わたしからすれば100年生きているほどの知識や経験をお持ちのように見えるので、経歴をお伺いして納得いたしました」


「うん?」


 フィーナの顔も声音も大真面目だったので、レオナールはたまらず口を引き結んで僅かに首を横に傾げた。


「100年とは大袈裟な……そもそも、令嬢とわたしは7才も離れているのだし」


「慰めですか!?」


「慰め!?」


 何故そこでそんな言葉が出るのかわからずにレオナールは反射的にフィーナと同じ音量で声を荒げた。


「あんまり頭が良くないわたしのことを慰めて下さっているのかと」


「頭が良くない? 何をあなたは言っているんだ?」


 フィーナは少し頬を赤くして、もごもごと何かを言うが、それはレオナールには聞き取れない。


「よくわからないが……あなたは、よくやっているだろう。このひとつき、あなたなりに計画書通りに出来る範囲のことをしていることも知っている」


「!」


 そのレオナールの言葉に、フィーナはどきりとした。


(なんてことかしら。またそんなことを言っていただけるなんて! それに……)


 それに。直接言われるのはまた威力が違う。やはり自分に向けてはっきりと言われると、何気ない彼からの評価の言葉が五臓六腑に染みわたるようだ……なんて、ろくでもないことを思いながら、フィーナの心は打ち震えた。


「ああ、だが、1つ、ダメ出しをしようと思っていたことがあるのだ。明日、それについて話したいので朝食後時間をとれるだろうか」


「アッ……はい……」


 以前ならば「どれでしょうか! 立て直し公にチェックをしていただけるなんて光栄です!」と奮い立ったところだったが、今は「もう少しこの感動だけを味わいたかったのに」とフィーナは少しがっかりした。


(本当ね。レオナール様ったら女心をお分かりじゃないわ!)


 それは女心ではないですよ、お嬢様……そんなカークの声が脳内で聞こえた気がした。

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五臓六腑に染み渡る評価からのダメ出しの予告! お嬢様、頑張って!
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