12.アデレードとフィーナ
カークから話を聞いてしばらくして、レオナールはヴィクトルとマーロのところへ行こうと部屋を出た。きっと彼らは資料を見たレオナールが彼らのところに来る、あるいは夜にまた集まってその話をすると考えているに違いない。
「あっ、レオナール様」
「フィーナ嬢」
廊下で偶然出会ったフィーナは、手に花束を持っていた。そういえば、と彼女の襟元を見ると、今日もまた品が良いレース襟をつけている。白ではなく金糸が混じっているようで、それは彼女の髪色にも、無地だが仕立てが良い茶色いドレスにも似合っていると思えた。
「庭園の花でも摘んできたのか」
「ええ。これは母が好きな花なんです。離れの母に持っていこうと思いまして……」
そう告げたフィーナは笑っていたが、なんだか元気がなさそうにレオナールには見える。
「丁度良かった。突然で不躾で申し訳ないのだが、わたしも同行させていただくことは出来ないだろうか」
「えっ」
「当主代理人はあなただが、亡き男爵の奥方であればお目通りをして弔辞を一言申し上げるべき立場だ。とはいえ、それを夫人が良く思わないのであれば、せめて、こちらでしばらく世話になる旨を直接伝えさせていただきたいのだ」
フィーナは戸惑いの表情を見せる。が、実にレオナールの主張は何もおかしくなかったし、むしろ、夫人も次期当主もいるが会わせられない、と隠すように拒んでいたレーグラッド家側がおかしいのだ。それに、領地の立て直しに来た者相手にアデレードが挨拶をしないことは本来礼を欠いている。それぐらいはみなわかっていた。わかっていて、何も言わないレオナールに甘えていた部分だ。
「そう、ですね。本来こちらからご案内すべきことでしたのに、申し訳ございません。ただ、母は心の具合があまりよくないので、レオナール様が面会をご所望している旨は先に伝えてもよろしいでしょうか」
「ああ、問題ない。それで、どうしても会いたくないということになれば、それは諦める」
フィーナは使用人を呼んで、離れに先ぶれを頼んだ。
(フィーナ嬢が先に行って、夫人に許可をとればいいだけの話なのに)
なのに、自分と共に行こうとしているのか、とレオナールはかすかに眉間に皺を寄せる。
(勘繰りすぎか。だが、あまり……)
本当は行きたくない、という顔をしていたと思うのは、自分の気のせいか。
2人はフィーナの部屋で返事を待つことにした。今まで執務室や食事の間、外出はともにしていたものの、彼女の部屋に入るのが初めてだったレオナールはいくらか落ち着かない。
だが、彼女の部屋は非常に簡素で、煌びやかなものは特にない。部屋に入る前に「少しだけお待ちを」と言って、彼女はごそごそ何かを片づけていたようだが、それだってそう時間はかからなかった。
「貴族の令嬢のことをわたしはよく知らないのだが……男爵がお亡くなりになる前、フィーナ嬢が切り盛りしなくても良かった頃、普段何をなさっていた、いや、普段貴族令嬢は何をしているのが普通なのだろうか……?」
それは彼の常日頃からの疑問だった。この国は女性に教育を多く受けさせない方針だが、では、女性達は普段何をしているのだろうか。毎日歌って踊って甘いものを食べて噂話をして過ごしているわけではないだろう。淑女教育とやらは朝から晩まで拘束されることはなさそうだし、ある程度の年齢までには終わると聞いている。
「ええっ、わたしですか。わたし。そうですね。何をしていたんでしょうか……?」
「覚えていないということか」
「ううん、そうですね……」
もちろん、フィーナは大ピンチだ。だって、ここ2年は領地運営のことばかりを朝から晩まで考えていたし、この部屋どころかこの屋敷にいないことの方が多かったぐらいだ。では、その前。戦争の最中はどうだっただろうか、その前はどうだっただろうか。
「あっ、あのですね。わたし」
「うん」
「戦争前に、王城方面のとある伯爵家のお茶会に参加したことがありまして……当時はまだ13歳だったのですが……同じ年頃のご令嬢が集まるということで……」
突然話が飛んだな、とレオナールは思うが、とりあえず聞いてみる。
「こんなわたしでも、淑女教育というものは田舎ですがそれなりに受けていましたので、父も母も問題がないだろうと言ってくれていたのですが……」
「うん」
「みなさまのお話についていけなくてですね……あの、流行りの勉強はしていったんです。どういうドレスやどういう髪型やお化粧が流行っているのか、とか……。それから、当時流行っていた、なんでしたっけ。ああ、マダム・イークリッシュのパイ! あれも、父に頼んで、お茶会に行く前日に一度は本物を食べられるように手配をしていただいて……ところが、いざお茶会に行ったら、みなさまそんなことよりもっとご興味があることがあって」
「ほう」
「凄いんです……みなさま、どこの家門にどんな素敵なご令息がいらっしゃるとかご存知で。わたし、この国の貴族一覧は存じ上げていますし、それぞれの領地がどういった特色があるのかはわかっているものの、ご令息までは……そもそも、参加なさるご令嬢たちの名前を覚えるだけで精一杯でしたのに、みなさまそういった情報にも精通していらして……おかげでわたし、一人もお友達を作れないまま帰ってきました……! はっ、もしかしてわたしが行き遅れた理由のひとつは、お友達がいないことでは……!?」
フィーナは本気でそう思っているようで、悔しそうな表情を見せる。駄目だ。カークといいフィーナといい、この邸宅の人間は自分を笑い殺そうとしているのか?と思いながらレオナールはつい本日2度目、声をあげて笑ってしまう。
「待て。待ってくれ、フィーナ嬢。どこからどう突っ込んで良いのか……」
しかし、フィーナの表情は真剣だ。
「話が逸れていると思われてますわよね? でも、逸れていませんの。要するに、わたしも、貴族令嬢が普段何をしているのかをよくわかっていないんです。わかっていたら、あんな苦汁を舐めなくても済んだはずですもの。ですから、レオナール様の質問にお答えすることが出来ません……!」
そこじゃない。聞きたかったことはそこじゃない。自分の質問の仕方が悪かったことは認めるが、とレオナールは反省をした。
(それもそうか。この僻地にいる彼女が中央付近での茶会に行くとなれば、それだけで大変なことだ。なのに、そこで彼女としては何の成果もあげることがなかったのだろう)
まだ幼なかった彼女のことを思うとなんだかおかしくなって再び笑いそうになるが、レオナールはそこは堪えた。喉の奥にせりあがってきた笑い声を押し戻した頃、女中が「奥様より伝言が」と、やって来たのだった。
「お母様。フィーナです」
ヘンリーは眠っているということで、離れでアデレードが使っている部屋を2人は訪れた。レーグラッド男爵夫人であるアデレードは、柔らかいオレンジ色のドレスを身に纏っていた。それもまた、フィーナのもののようにやはり形が少し古臭い。が、こうやって母娘で並ぶと、むしろ昔ながらのドレスを着ている様子がなんとも品が良いとレオナールは思う。
(なるほど、だったら、流行りのドレスは確かに「勉強」しなければわからないのだろうな)
先程のフィーナの話を思い出し、他人事なのに「その時はどんなドレスを着て行ったのだろうか」と普段の彼ならばこれっぽっちも興味を抱かないようなことをちらりと考えた。
「フィーナ、来てくれてありがとう。まあ、もうこの花が咲く頃だったのね」
「そうよ。どんどんお庭で蕾が開いているところなの。ね、こちらの離れ側のお庭にも植え直したから、気が向いたら見てみて」
「そうなの? わかったわ」
「それから、これ、このまえいただいたレース襟を付けてきたの。似合うかしら」
「ええ、とっても。やっぱりあなたの髪に合わせて金糸を入れるのは良いわね」
アデレードはフィーナの目には少し痩せたように見えた。何をしているわけでもないのだから食べていれば太る気がするのだが、ということは、あまり食べていないのだろう。後で離れの厨房の者に話を聞かなければと思う。ヘンリーだって寝たきりなのに、アデレードにまで倒れられたら……とさすがに思ってしまう。
(ううーん、仕方ないけど『来てくれてありがとう』……か。まあ、しょうがないわよね)
本邸と離れとはいえ、同じ敷地内にいる娘が来たのに、その言葉はなんだか不思議だと思う。今、アデレードの脳内では、離れと本邸は「行き来がなかなか出来ない場所」と勝手に決められているのかもしれない。それは事実ではないが、そういうことにして本邸に足を運ばない言い訳を作れば気持ちが楽になるのだろうか。フィーナはその思いに一旦蓋をして、待たせていたレオナールを振り返った。
「レオナール様。こちらがわたしの母です」
「失礼いたします。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。レオナール・ティッセル・ハルミットと申します」
「アデレード・シャーテ・レーグラッドでございます。ハルミット公爵家のご長男でいらっしゃる?」
「はい。父は戦争後爵位を降りまして、現在わたしが爵位を継いでいます。ああ、これはこちらが礼を欠きました。第8代ハルミット公爵、レオナール・ティッセル・ハルミットとお名乗りするべきでしたね」
「まあ。そうだったんですの。こちらこそ、存じ上げずに申し訳ございません」
それを知らないことぐらいは想定内だ。そもそもレーグラッド領ぐらいになれば中央に近い者たちの動向はそこまで神経質になることはないし、それが女性であれば尚のことだ。が、ハルミット公爵家の名を知らない貴族はこの国にはいないため、さすがにアデレードも理解をしている様子だ。
「わたし、花瓶に花を活けて来ますね。すぐ戻ります」
フィーナはそう言って部屋を出た。自分が立ち会うのは悪いことではない、むしろそのまま立ち会っていることが自然だったのだが、なんだか心がざわざわとして、いたたまれなくなったのだ。
残されたレオナールは自分が部下2人を伴って立て直しに来たこと、現在本邸で寝泊まりしていること、既に視察を開始していることなどを説明した。そして、三か月ほどそれが続くので、そのうちヘンリーが体を動かせるようになったら改めて挨拶をしたいという旨をアデレードに伝えた。
そして、アデレードは現在のヘンリーの容態を彼に説明をして、体を動かせるようになる見込みの時期、医師の見立てについて話してから、もう少し離れに滞在し続けるとはっきりと言った。
「夫が亡くなって、誰もこの領地を背負う者が今はおりません。ですから、公爵様に来ていただいて、心より感謝しております」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れた不躾な者に寛大なご対応をいただき、痛み入ります」
「おもてなしのようなものは、きっと難しいと思うのですが……フィーナが未熟ながらもみなさまの対応をしていると思います。少なくともわたしよりは役立つと思いますので……」
「フィーナ嬢は、よくやっていらっしゃいます」
「まあ。ありがとうございます」
アデレードは微笑んだ。だが、その笑みは、レオナールの言葉を社交辞令だと受け取ったものだと、レオナールはわかっている。それも仕方がないことだ。たとえどんなにアデレードがフィーナを愛しているとしても、大事にしているとしても、彼女はフィーナが今何をしているのかも、何を出来るのかも理解していないのだ。彼女がわかっているのは「自分よりもフィーナが役立つ」ということだけだ。
だが、それは逆を言えば、自分がいても役立たないので迷惑をかけないように、フィーナが動きやすいように――たとえフィーナが当主代理人だとしても男爵夫人という立場の彼女がいれば何かと指揮系統はブレるかもしれないし――慮っている可能性もある。アデレードの本音はわからなかったが、それでも、どうしても譲れないことがレオナールにはあった。
「フィーナ嬢は、よくやっていらっしゃいますよ。本当に」
もう一度レオナールが言えば、アデレードは僅かに目を見開いた。それから、微笑んで「そうですか」と返した。




