11.悲しき事故
翌日、ヴィクトルとマーロは引き続き執務室で財務関係の確認と洗い出し、そして、レオナールは自室で明日以降の計画作成と、必要な人員手配のために手紙を書いたりと細かなことをすることにしていた。
「ふう……」
レオナールが「少し疲れたな」と思った頃合いに、ノックの音が響く。
「何だ?」
「カークでございます。ヴィクトル様宛に書簡が届きましたので、ヴィクトル様にお渡ししたのですが、ハルミット公爵様へお届けするようにと」
「どうぞ」
「失礼いたします」
見れば、一目で王城からのものだとわかる書簡をカークは手にしていた。
(ああ、そういうことか。ヴィクトルめ。鳥を使ったな)
「ありがとう」
カークはレオナールに書簡を渡すと、一礼をして出ていく。
こんなタイミングでヴィクトル宛てに書簡が届いたのは、彼も心当たりがある。例のレーグラッド男爵が亡くなった事故に関する件だ。無能の解雇のためには、フィーナが正しく報告書を王城に出したことを確認しなければいけない。よって、ヴィクトルは王城に複写の要請をしたのだろう。それも、わざわざ鳥を使って最速で。
現在レオナールは王城では「国の立て直しの一端を担う」ということで、特別な扱いを受けている。そのレオナールが必要としている書類だということで、早馬で届けさせたのだ。早馬と一言でいっても、馬も乗り手も疲労はかさむ。王命ということで、レーグラッド男爵領までの中継地点で緊急時のために待機している者たちを使ったのだろう。早すぎる。
(うん。推測通りのものだな……フィーナ嬢は、間違いなく自身も馬車に同乗していたことを記述している)
フィーナが王城宛に作成した報告書には、事故の詳細も添付書類として別立てになっている。それも、提出書類としては正しい形だ。その添付書類の内容半分ほどはレオナールたちの資料に反映されていないようだった。
二度資料を読む。山道で。車輪の破損により。崖から転落。御者と騎士団員1人と男爵が死亡。男爵令息ヘンリーは重傷……。
「成程、騎士団員がもう1人生き残っていたのか……」
だが、1人で崖に放り出された馬車に乗っていたフィーナや、重傷のヘンリーを助けられるわけがない。となると、きっと生き残った騎士団員が救助を求めに馬を走らせたに違いない。では、その間フィーナはどうしていたのだろうか。報告されていること以上の話を求めるのは余計なこととは思うが、いくつか気になる点があってレオナールは確認が必要だと判断した。
(彼女に直接聞くには、まだ早いかもしれないな……)
先程来たばかりで申し訳ない、と思いつつ、レオナールはベルを鳴らしてカークを呼び戻した。
「ずっと、馬車の中に……?」
カークに頼んで当時生き残った騎士団員を呼び、レオナールは詳細を尋ねることにした。運よくその騎士団員は非番で宿舎にいたらしく、快く応じてくれた。
「はい。馬車のボックスは岩と岩に角がひっかかっていたので、それ以上の転落は防げていましたが、とはいえ衝撃で開いてしまった入口が岩肌側に向いた状態で止まっていて……わたし一人がどうこうして、その場でお嬢様をお助けできる状況ではありませんでした」
「それで、救援を呼びにいったのか」
「はい。しかし、もともとあまり人が通らない場所なので、一番近い居住区まで馬を飛ばしても時間がかかりまして……崖を降りる装備を整えた者を連れて戻ることは出来ましたが、馬車を動かせるような道具はそこで揃わず……」
ひとまず、縄をつけた領民数名でヘンリーを引き上げ、更に既に死んでいたレーグラッド男爵の遺体を回収することになったということだった。
「その間フィーナ嬢は」
「馬車の中でお待ちいただくしかなく……縄をつけてひっかかっている馬車近くまで降りても、フィーナ様が出て来られる状態に出来ず。壊そうと強い衝撃を与えると落下する可能性もあったので、隙間から縄をどうにか差し込んで保険としてお嬢様に縄を括る方法も考えたのですが、命綱を確実に結べる保証がなかったので……」
結果、フィーナの救出に最も時間がかかったのだという。その最中には、暗闇の中一人で過ごす時間もあったらしい。
(話を聞けば聞くほど胸が痛むな)
レオナールは眉間に皺を寄せ、小さく溜息をついた。
「失礼ながら、ハルミット公爵様。この話は何かお嬢様に関わりが?」
「いや、本筋はそのことではないのだが、気になったのでついでに聞いただけだ。他意はない……その、わたしはまだこちらの地理に詳しくないのだが、その事故が起きた場所というのは」
レオナールは、執務室の地図を簡単に書き写しただけのものを取り出して、騎士団員に見せた。
「ここから、こちらに抜けるための山道です。その、昔、珍しい鉱石が出たと噂があった場所でして」
「……」
合点がいった、とレオナールはちいさくため息をついた。なるほど、このひとつき保留になっていた項目は、レーグラッド男爵が亡くなった日に彼らが視察に行った場所の調査だ。
他、数点確認をしたのち、レオナールは騎士団員に礼を言って話を終える。それから、何度も申し訳ないと思いつつもカークを再び呼び、彼でなければ答えられなそうな、ヘンリーとアデレードの現況を尋ねたのだった。
カークは優れた執事だ。ヘンリーとアデレードのことについては「離れで静養なさっています」としか答えず、噂好きの女中のように込み入った話は決してしない。だが、レオナールとて、単なる興味本位でカークを呼んだわけではないのだ。
「立ち入ったことと思われるだろうが、今後、レーグラッド領の立て直しのため、国が動いてフィーナ嬢に婿を手配する可能性もあるため、ご家族の現況調査は必要なのだ。彼女に直接聞くのが筋なのはわかっているが、男爵を失った経緯が経緯ゆえ、どの程度ご本人に踏み込んで良いかわたしには判断が出来なくてな」
そのレオナールの言葉に、カークは仕方がないという表情を見せた。彼のような執事が、あからさまに部外者に感情を見せることは滅多にない。ゆえに、それはカークの「言葉には出来ないが察して欲しいことがあるのだ」というアピールだ。それを気付かないレオナールではない。
「お嬢様へのお気遣い、痛み入ります。きっとあの方は気になさらずなんでもお話しくださると思いますが……それでも、心が痛まないわけではないと思うのです」
そのカークの言葉は、レオナールの心遣いが必要なものだと肯定をしている。決して感情を優位にすることなく、カークは淡々と現状を話した。ヘンリーがどれほどの重傷であるか、そして、夫人が男爵の死を受け入れるのに時間がかかり、ヘンリーにつきっきりでまったく本邸に戻らないということ、など。
「なるほど……では、本当にレーグラッド男爵の計画書だけを頼りにこのひとつき乗り切って……葬儀などもフィーナ嬢がすべて手配したとのことか。そうだろうな。弟君がその状態であれば王城への報告書は本来フィーナ嬢ではなく夫人がすべきことだ。それを彼女がしたということは……」
「どちらにしても奥様はそういった書類などに触れたこともないお方ですので」
「それがこの国では当たり前だしな。フィーナ嬢が特別なのだろう」
余程、気が強い。余程、負けず嫌い。どの言葉が正解なのかはわからなかったが、彼女が視察先でヴィクトルたちの様子をぎろりと見ていた様子を思い出せば、そういう強い意志を秘めた女性であることは明白だ。
「これは、本来、どういうひととなりなのか未だよくわからぬ程度しか交流がない方にお話しするものではないのですが」
カークは少し声音を変えて、おどけたように言った。
「いや、わたしも老いぼれてきまして、たまに他人事のように他人事を突然話しだし、困ったことだと思ってはいるのですが」
「うん」
他人事のように他人事。当たり前のことだが、それは、他人事ではないという意味だろう。
「この国で子息が生まれないということは……しかも由緒正しい血統が続いている家門ではことさら、なかなかの重圧を意味するのではないかとこのおいぼれは思うのです」
「……」
「それは、産むべき立場の方もそうでしょうし……令息として望まれていたのに、令息として産まれなかった子供にとっても、そうなのではないかと思うことがございます。特に、聡明な子供であればあるほどに」
「なるほど。これは世間話というやつだな」
「左様でございます」
決してカークは誰の名も口にはしていない。が、それがアデレードとフィーナのことだとわからないレオナールではない。
「最後にひとつだけ教えて欲しいのだが」
「はい」
「フィーナ嬢と夫人は、その……」
「奥様はフィーナ様のことをとても大事に育てていらっしゃいましたよ。今でも、ヘンリー様を看病しながら、フィーナ様が身に着けていらっしゃるレースの襟を編んではフィーナ様にお届けしてくださいますし、フィーナ様は奥様が好きな花を庭から持っていくように我々にお声がけくださいます」
言われて、ああ、そういえばと思う。今まで足を運んだ土地で出会った令嬢たちは、金がないながらもレオナールの気を引こうとしてか毎日上から下まで着飾っていたものだが、フィーナからはそういう雰囲気を感じなかった。が、高価な装飾品は身に着けていないものの、精巧なレース襟――それも子供っぽさのない品が良いものだ――を真珠のブローチで留めており、それが映える無地のドレスを着ていることは印象的だったのだ。
「……わたしがわかったことと言えば、案外とこの屋敷の執事は、わたしに切り込むのが早いということだな」
「申し訳ございません」
「いや。むしろ良い。どこに行っても、怖がられることが多いので、こんなにあっさり他人事を突然話してもらえるとは思わなかった」
「この屋敷の者は、困ったことに男爵様よりもどちらかというとフィーナ様の気質に近い者が多いようでして」
と答えたものだから、ついにレオナールは声をあげて笑った。彼が出会って数日の人間に声を出して笑う姿を見せるなんてことは相当なことで、これは快挙と言える。だが、残念ながらそのことをカークは誰に自慢するわけでも、出来るわけでもなかった。