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第8話 私は嫌われてはいないようです


 公爵様がびしょ濡れだったことでお屋敷は大騒ぎになってしまったのですが、今はどうにか落ち着きを取り戻しました。


 朝食の準備が整ったとのことで食堂へやって来ると、食事は2名分。考えるまでもなく公爵様の分ですね。すぐに公爵様もいらっしゃってふたりで席に着きました。


 いちごのジャムとバターが添えられたふわふわの真っ白なパンに、カボチャのクリームスープ。カリッカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ、それにサラダが並んでいます。昨日より品数は少ないものの、それでも十分すぎるほどですね。


 テーブルの真ん中には、私が昨日選んだお花が飾ってありました。色とりどりのガーベラは私の緊張をほんの少しだけほぐしてくれます。

 温かなスープをスプーンですくって口へ。今日もまた、作り立ての食事をいただくことができました。食器の触れる微かな物音さえ聞こえる静かな食卓ですが、陰からそっとこちらの様子を窺う料理長さんや甲斐甲斐しく給仕をしてくれる皆さんの心遣いが温かくて泣いてしまいそう。


「なぜ……」


 低く穏やかな声が食堂の中に響きました。顔を上げると公爵様の金色の瞳と視線がぶつかります。


「はい?」


「なぜ、笑っている?」


「あ……すみません。温かな食事も、誰かと一緒に食べるのもとても久しぶりだったものですから、嬉しくて」


 笑みを浮かべているのを見咎められて、照れ隠し……というよりは自嘲混じりの苦笑いがこぼれ落ちてしまいました。

 誰かと一緒に食事をする。そんな当たり前のことが、私には初めてにも等しいほど貴重な経験なのですもの。


 公爵様は目を伏せて「そうか」とだけ仰いました。それでも気のせいでしょうか、触れれば怪我をしてしまいそうなほど冷ややかだった公爵様のまとう空気が、今はなんだかずっと柔らかくなっています。


 頭から水を掛けてしまったし機嫌を損ねてしまったのではと心配していましたが、すぐに追い出されるようなことはなさそうで一安心です。


 白いパンを一口大にちぎって口へ入れたとき、公爵様が再び口を開きました。


「昨夜エレナから、君の持ち物がほとんど何もなかったと聞いた。エレナとともに、当面必要なものを買いに行くといい。が、問題だけは起こしてくれるなよ」


「えっ……! いえ、お気遣いなく。私は、」


「客人であり、未来の公爵夫人に粗末な服を着せておくわけにはいかない。これは許可や憐れみの類ではなく、依頼であり命令だ」


「――っ! はい」


 確かに昨日、マダム・ベッカさんのお使いでいらした方は私を見てメイドだと思ったようでした。

 未来の公爵夫人がそんな格好では駄目ですよね、わかります。


 未来の公爵夫人……。なんだかまだ、まるで実感が湧きません。


 目だけ動かしてこっそり窺った公爵様は、有名な芸術家の手によって彫られた精霊様の彫刻みたいに秀麗なお姿です。お食事をとるのだって指の先まで意識の行きわたった所作で、こんな方が私の未来の旦那様だなんて……っ。


 あーもうバカバカ! おかしなことを考えたせいで、頬がとっても熱くなってしまいました。


「どうした、顔が赤いようだが」


「いいいいいえっ! なんでもありません!」


 一部始終を見ていたと思われる給仕の方は、ニコニコと生暖かい瞳をこちらに向けています。やめて、そんな目で見ないで……。


 私ばかりがガチガチに緊張していた朝食を終えると、公爵様はすぐに登城するとのことでした。

 私はマッテオさんやエレナさんと一緒に公爵様のお見送りへと向かいます。


「行ってくる」


 昨日と同じようにツンとすましたお顔で背を向け、あっという間に馬車へ乗り込まれました。

 私も昨日と同じようにお見送りのご挨拶をします。


「公爵様のご活躍とご無事をお祈りいたします。お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 伯爵家で私は、家族の誰が外出するときにも必ずこのようにお見送りをしていました。しっかりと頭を下げるようにと厳しく言われていましたので、そのように。

 けれど今日は彫刻のような公爵様の横顔をもう少し見ていたくて、下げた頭はすぐに上げてしまいました。


 すると、公爵様は昨日と同様に窓ガラス越しにこちらを振り返りました。


 そして……、手を挙げてくださったのです。

 行ってきます、という意味でしょうか? 私はもしかして、生まれて初めて、お見送りにお返事をいただいたのでしょうか。


 公爵様を乗せた馬車が小さくなり、私は興奮気味にエレナさんとマッテオさんを見上げました。


「今、いま公爵様が手をっ! あれは『行ってきます』と仰ったと解釈して間違いありませんか……っ?」


「ええ、アリーチェ様のご想像の通りでございますよ」


 マッテオさんがニッコリと微笑みながら肯定し、エレナさんもその横で何度も大きく頷いてくださいました。


「良かったぁ……。私、公爵様に嫌われてはいないのですね」


「アリーチェ様を嫌う人間など、この屋敷には誰ひとりとしておりません。ご安心くださいねッ」


 エレナさんが私の手を強く握ってくださいました。瞳には涙を浮かべています。


「エレナ、泣いている暇はありませんよ。さぁさぁ、早く準備をして出かけなさい」


「はぁい。アリーチェ様、先ほどの旦那様のお言葉を覚えていらっしゃいますか? 今日はアリーチェ様に必要となるものを買い揃えに参りますよ」


「あの、私、自由になるお金を持っていなくて。実家にも、」


「これは旦那様の『命令』でございますから、アリーチェ様はお気になさらないで結構ですよ」


 マッテオさんがホッホッと笑います。

 未来の公爵夫人に必要なものというのがわかりませんが、ご命令とあらば行きましょう!






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― 新着の感想 ―
[一言] これにはマッテオさんもニッコリ( ˘ω˘ )
[良い点] 旦那様の「行ってきます」キタ! こりゃ、デレるまでそうかからないか。(ワクテカ)
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