第7話 今度こそとんでもないことをしてしまいました
フォンタナ邸へ来て3日目の朝です。エレナさんに手伝ってもらいながら身支度を。
「こんなに良い服をいただいてよろしいのでしょうか」
「何をおっしゃいますか。マダム・ベッカのお店の昔のサンプル品ですもの、デザインは古いし縫製もたいしてしっかりしたものではありませんッ。それに刺繍も宝石だってついていませんし……」
「それでも私が着たことのある服の中では一等上等です!」
「ふふ、では上等なものをもっと買いに行きましょうねぇ。マダム・ベッカのドレスが出来上がるには時間がかかりますし、すぐに着られるものを買っていいと、旦那様から昨夜のうちに了承いただきましたッ」
「えぇっ!」
それはとんでもないことです!
居候の身でありながら、この服をいただいただけでも胃がぎゅっと締め付けられてますのに、もっと購入するだなんて……!
けれど私に反論する隙を与えることなく、エレナさんは私をあっという間に庭へと追いやってしまいました。
「ささ、お庭のお散歩と温室の水やりをお願いいたしますねッ。朝食の準備が整いましたら呼びに参ります」
「お散歩はお仕事では」
「お仕事でございますよ!」
エレナさんの有無を言わせない笑顔の前には、口を噤むしかありません。
お部屋を出てから庭へ来るまでの間に昨日飾ったお花の様子を確認しましたが、どれも瑞々しくて交換の必要はなさそうでした。今日は温室の草花にお水をあげたらお仕事がなくなってしまいそう。
ほかにお手伝いできることがないか、あとで確認してみましょうか。
せっかく朝のお庭をお散歩しているのだから、明日以降でお屋敷に飾るお花がないか探してみようと思います。
水仙や藤の花のような春に咲く花がちらほらと秋にもほころんでいますが、今を盛りと鮮やかなのはケイトウでしょうか。しっかり整えられたお庭ですから、どこかに庭師がいるのだと思うのですが……。
お散歩するうちに、いつの間にか周囲に生い茂る草花が背の高い種類ばかりになって、見通しが悪くなっていました。
しっかり剪定はされているので、伸びた枝で怪我をするというようなことはないのですけど、まるで立体的な迷路のようです。
温室はたぶんこっちのほう……。
草木の小径を右へ曲がろうとしたとき、背後から男性の声がしました。と同時に、誰かの温かな腕が私の肩を抱き、後方へと引っ張ります。
「危ない!」
「きゃっ」
ほんの一瞬のことでした。私の目の前には公爵様がいて、私たちの周囲をキラキラと水しぶきが舞っていて。
綺麗……なんて思ってしまいました。
「公爵様? これは……」
辺りに視線を走らせれば、水は私たちの周囲をすっかり濡らしたようでしたが、私や公爵様には一滴たりともかかっていません。
不思議に思っていると、作業着姿の男性が走っていらっしゃいました。手には柄杓を持ち、どうやら庭師のようですね。
「だ、旦那様! 申し訳ねぇ、大事ありませんか」
「一歩間違えればアリーチェ嬢がずぶ濡れだった。水撒きはもう少し注意深くやれ。あと、彼女の頭が見える程度には草木の高さをどうにかしろ。切れないものがあれば移動させることだ」
「へ、へい! すぐにも取り掛かりまさ!」
私に深く頭を下げてから走り去る庭師の背を見つめ、公爵様が息をつきました。
「あの、ありがとうございました。せっかくいただいた素敵なドレスを濡らさずに済みました」
「大したことではない。それより、温室の魔道具が作動したと報告を受けた。状況を確認したいから、同行させてもらいたい」
「ええ、もちろんです!」
相変わらず公爵様の目は鋭くて緊張してしまうのですけれど。
でもいま助けてくださったのですよね。ミリアムは公爵様を冷酷非情な方だと言っていましたが、そんなことはないのではないでしょうか。
温室までの道のりは緊張のせいか永遠にも感じられるほどでした。無言の空間は一層居心地が悪くて、必死に話題を探します。
「先ほど助けていただいたのは、水の加護魔法でしょうか。あんなに素早く展開できるのですね」
「加護があるなら、あれくらいは子どもでもできる」
「なるほど……」
私にはできませんけどもね!
結局それ以上の話題は思い浮かばず、それに下手なことを言って追い出されても困りますから、静かに温室へと向かいました。
到着すると早速、魔法のじょうろを手に取ります。
公爵様の鋭い視線を全身に浴びると、なんというか、これが作動しなかったら殺されてしまうんじゃないかという恐怖がこみ上げてくるのですが。
「い、いきます!」
女は度胸と申します。
ぎゅっと目をつむって、水を出すためのボタンを親指で押しこみました。どうか出てくださいと祈りながら。
「おい!」
確かに水の出た気配はあったのですが、公爵様の怒鳴り声に驚いて目を開けます。
「え……。ええっ? こ、公爵様、それは一体」
「一体もなにもない、なんでそんなに勢いよく水が噴出するんだ。そういう道具ではないだろう!」
なんと、公爵様はびしょ濡れだったのです。ええ、それはもう全身が。
言われて手元を見れば、魔法のじょうろはじょうろとは思えない勢いでドバドバと水が出ています。公爵様は先ほどと違う場所に移動していらっしゃいますから、水を浴びて慌てて避けた、というところでしょうか。
「ええーっ?」
慌ててボタンから手を離すと、水も止まりました。
もう一度、今度は恐る恐るそっと押してみます。すると、昨日と同様にふわっと舞うように水が出ます。
「あ、直った。直りました」
「直ったというのか、それは?」
ジロリと睨みつけられ、思わず身を縮めます。
「さすがに加護魔法も間に合いませんでしたね……」
「なにか言ったか」
「いえ! 申し訳ありませんでした!」
膝に鼻をぶつけそうな勢いで頭を下げると、上方から深い深いため息が聞こえて来たのでした。
投稿3日目の朝です。おはようございました。
これより1日1話投稿(目標)、午前中投稿(目標)で進めていきたいと思います。
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