記念SS/平凡なある日の午後
本日7月31日は本作ノベル版およびコミカライズ単行本1巻の発売日!です!
またしても有頂天になってSSを書きましたのでお楽しみいただければと思います。
初夏。私がフォンタナ公爵家へ来てから半年以上が過ぎ、立派な公爵夫人となるべく日々を慌ただしく過ごしています。淑女教育も付与術のお勉強も続けているし、少しずつマッテオから家政を引き継いだりも。
それにそれに、最近では公爵家で働く皆さんに簡単な魔道具を作ったりもしています。中でも「スイッチひとつでお水が湧きだす盥」は人気の品で。なぜかジョエル様は「どこかで見たことある……」と嫌な顔をしていましたけど。
前夫人が愛用したじょうろと術式自体はそう大きく違わないのに、ジョエル様に一体何があったのでしょう?
まぁそれはそれとして。私は今、試作品を手に庭に出て来ました! 魔石式銃器の……お水バージョン! 魔石式水でっぽうとでも言ったらいいのでしょうか。トリガーを引いている間は連続してお水が飛び続けます。
「ふふん。我ながら良い出来です」
トリガーを引くとプシュッとお水が飛んで花壇を潤し、土の匂いが立ち上りました。
なぜこういった物を作ったかというと、庭師さんが腰を痛めてしまったそうなのです。
以前に「水が湧く桶」をプレゼントして喜んでもらっていたのですが、今は柄杓で水を掬って撒くという一連の動作が腰に響くとか。
それこそ魔道具のじょうろを使ったらどうかと提案したのですが、じょうろだと飛距離が足りないのだと言っていました。確かに柄杓のように手首の動きでお水をコントロールするのは難しいですよね……。
水が湧く柄杓、というのも考えたのですが、あんまりスマートじゃない気がして……。
と、そこで思い出したのが銃器だったというわけです。しかも実際に銀龍騎士団で過去に使われていたものを貰って来ました!
譲り受けるにあたっていくつも書類を準備したり、担当者の目の前で術式を消したり、書き換えた術式を確認してもらったりと大変でしたけど。
書類確認はファビオ殿下で、担当者がジョエル様で、新たな術式確認がエリゼオお義兄様……うん、あんまり大変じゃなかったかも。
「飛距離も水量も確認できたし、さて次は……」
周囲を見回すとちょうどエレナが屋敷から出て来たところでした。
「アリーチェ様。もー、日傘もささないでぇ!」
「エレナ、これで私を撃ってほしいのだけど」
「はい? いや、何をおっしゃって――」
水でっぽうをエレナに差し出すと真っ青な顔で首を横に振ります。まぁそうなりますよね。
ただ、私がここへ来たばかりの頃に庭師さんが私に気付かず水を撒いたことがありました。あのときはジョエル様のおかげで濡れずにすみましたけど、今後も同じことがないとは言えないので……人に当たったときの水圧などを知りたいのです。
もう一度花壇に向けて水を放ち、次にエレナの足元にシュパっと水を撒いて見せました。
「お水です」
「お水なのはわかりましたが、なぜアリーチェ様に向けて撃つ必要が……?」
「撃たれたいので!」
「えぇ……。これ怪我したりしませんよね? 大丈夫なんですよねぇ?」
困惑するエレナの手を持って銃器を持たせ、数歩離れて両手両足を広げます。
「さぁ!」
「さぁじゃないんですけどぉ! もぉー!」
叫びながらエレナがトリガーに手を掛け、私のスカートが水びたしになりました。
「そこだとわからないので、お腹のあたりを!」
「わからないって何がですかっ」
それから私とエレナは代わる代わる水を掛け合って遊び、お互いに頭のてっぺんから足の先まですっかり濡れそぼってしまって。
さすがに肌寒さを感じ始めた頃、低い声が庭に響き渡ったのです。
「おい、これはどういう状況だ」
「わ、わ、ジョエル様!」
「少し暑くなってきたとはいえ、風邪をひくだろう! エレナ、すぐに着替えの準備を」
「かっ、かしこまりましたぁー!」
エレナは走って屋敷へと戻って行きましたが、ジョエル様は通り過ぎる際に彼女の手から銃器を取り上げてしまいました。なんて素早い。
ていうか、エレナは一体何しに庭へ出て来たのかしら。と首を傾げているとジョエル様が大きな歩幅で一気にこちらへやって来ました。
「大体なんでこんなに濡れネズミになる必要があるんだ」
「ちょっとだけのつもりだったんですけど、楽しくなってしまって」
「や、待て、その恰好は――」
ジョエル様は傍に来て私を見下ろすなり目をまん丸にします。彼の視線を追って私も下方を見ましたら。
「あ、え、えーっ?」
服が透けてました!
シュミーズはもちろん着ていますしコルセットもつけてますけど、こんなの人様にお見せするものじゃないのに! なんてこと、なんてこと!
「す、すぐに着替えて――」
「こんにちは、アリーチェ。……とフォンタナ公爵閣下」
屋敷へ戻ろうとした私たちの前に、エリゼオお義兄様が!
「庭にいるとお聞きしたのでこちらへ回って来たのですが。あれ、アリーチェはなぜ濡れて――ぶふっ、な、なにをするんですか閣下!」
私がどうしようどうしようと焦っている間に、ジョエル様がエリゼオお義兄様のお顔めがけて水でっぽうを撃ってしまいました。ジョエル様はさらにご自分のジャケットを脱いで私に着せてくれます。大きい!
「可愛い弟子が作った魔道具だ、威力を知りたいだろう?」
「それにしたって暴力的でしょ――ぶはっ!」
ジョエル様が二発目を命中させ、同時に空いたほうの手では私のドレスに触れて一瞬のうちに水分を乾かしてしまいました。これも加護魔法なのでしょうか、なんて便利……!
「一体なんの真似ですか、閣下。アリーチェが濡れているのにこんな……あれ」
「ごきげんよう、お義兄様。ようこそいらっしゃいました」
「いま濡れていませんでしたか?」
「気のせいだろう。ロヴァッティ卿は疲れているようだから、もう帰ったほうがいいんじゃないのか」
「今来たところですが。それが家主の言うことですか」
仲のいいおふたりは今日も相変わらずじゃれ合っています。
ふわふわのタオルを抱えたエレナがやって来たのですが、すっかり乾いた私の姿とびしょ濡れになったエリゼオお義兄様を見比べてエリゼオお義兄様のほうへと向かいました。正しい判断です。
「あ、そうだ。ロヴァッティ伯爵がいらっしゃるのでお着替えをしましょうって言おうと思ってたのに」
「なるほど、そういうことだったのね」
「アリーチェはどんな服を纏っていても魅力的ですから、そのままで結構ですよ」
「だが卿は着替えたほうがいい、早く帰るべきだ」
「口を開けば帰れ帰れと全く芸のない」
言い合いをするふたりを放っておいて、私はエレナに屋敷へ戻るよう伝えました。私はともかく、エレナこそ早く着替えないといけませんからね。
青い空に雲はなく、水びたしの庭からは青々とした香りが立ち込めています。そっとジョエル様の手から水でっぽうを取り上げ、ふたりに向かって撃ちましたらキラキラ輝く虹が生まれたのです。
「綺麗ー!」
私がそう言うと、じゃれ合っていたふたりも虹を見上げて笑いました。
いつもと同じ平凡な今日が、みんなの笑い声と虹のおかげでとっても特別な日になった気がします。
これからも、もっともっと特別なことが起こりますように!




