第34話 氷より冷たい
ディエゴ・カッターニ子爵令息の手が伸びて、私は何か逃げ道や対抗できるものはないかと周囲を窺いながら後退りしました。私とディエゴ卿を取り囲む男性たちは、火薬式銃器をちらつかせながらニヤニヤとこちらを見ています。
私のかかとが壁を蹴り、もう後がないことを知りました。やばいです、すごく。
「もう逃げ場はないよ。おとなしくするといい、痛くしないから」
祈るように胸の前で組んだ手がネックレスに触れました。付与術を施した魔石……!
助けて、ジョエル様、ジョエル様、ジョエル様!
魔石を握り、目をつぶって祈ります。ジョエル様以外の男の人に、指先だって触れられたくないのです!
「うわっ! なんだこれはっ」
少しくぐもって聞こえたディエゴ卿の驚く声に目を開けば、音声だけでなく視界までもがぼやけていました。よく見れば、私の目の前には透明で厚い壁があるようです。ぐるりと上下左右に視線を走らせ、その壁が私をすっかり囲っていることも確認できました。
え……もしかしてこれって、氷? 壁に手を伸ばすとそれはとても冷たくて、長くは触っていられませんでした。防御魔法って、こういう……。確かに凍らせるとか閉じ込めるといった術式ではあったのですけど、まさか私が閉じ込められるだなんて!
咥えさせられていた布を取って深呼吸をひとつ。
「おい、壊せ」
ディエゴ卿の指示と同時にパァンと弾けるような轟音が響きました。それが火薬式銃器の発砲音だとわかったのは、その後に二度三度と発砲するのを視認したからです。けど、怖い!
「駄目っスね。見てください、弾が取り込まれて凍り付いてます。傷ついたとこも一瞬で補修されてら」
「溶けんの待ちます? それかツルハシでも探して来ましょっか、意味あるかわかんねぇけど」
氷の壁の防御力はかなり高いようなのですけど、加護魔法で作りだした氷は溶けるまで保持されるのでしょうか、それとも魔力が切れるまで等の制限があるのかしら。
この安全な空間がいつまで保つのかわからなくて、怖くて、呼吸が浅くなってきました。いえ待って、この空間内の空気はいつまでもつの?
「アニキの加護魔法でどうにかしたらいいじゃないっすか、あるんでしょ加護魔法」
「チッ……。さっきからやろうとしてるんだ。でもこれただの加護魔法じゃない、なんの手ごたえもない」
大丈夫、きっと大丈夫。両腕で身体をかき抱くようにして自らを鼓舞します。
念のため呼吸はできるだけ抑えるようにしながら、助けが来るのを待ちましょう。ジョエル様はきっと探してくれるから。公爵家の護衛の皆さんだってとっても優秀なんです、きっとすぐに見つけだしてもらえるはず。
じりじりと時間ばかりが経過しました。
その間にお湯をかけてみたり、ツルハシで叩いてみたりしていたようですが頑丈な氷の壁は私を守り続けてくれています。
――公爵閣下が貴女のために用意した特別な防御魔法です。
ロヴァッティ伯爵の言っていた意味をいま、実感しました。本当に本当に、とっても特別な魔法です。ジョエル様……!
「俺は一度屋敷に戻る。氷がどうにかなったら呼んでくれ。わかってると思うが手は出すんじゃねぇぞ」
ディエゴ卿が大きな溜め息をついて扉のほうを振り返ったとき、赤髪の子分さんが「ちょっと待って」と声を掛けてとめました。
その場にいた全員の視線を受けながら、赤髪さんは窓へと向かってカーテンを開けます。
「うっわ。なんかうるせぇからさっきの銃声に集まってんのかと思ったら」
他の男性たちも我先にと窓へ集まりました。外を見ては「やべぇ」と言いながら落ち着きをなくします。なんでしょう、さすがに気になるので私も氷の中で首を伸ばしてみます。
ぴか、と何かが光りました。赤い光。いえ、黄色い光。ではなくて、いろいろな色の光が空で明滅しているようです。赤、青、黄色。氷ごしのぼやけた視界ではそれ以上のことはわかりません。
「真上で光ってんのか」
「こんなに人が集まってんじゃ面倒だぜアニキ。今は外に出ないほうが――」
赤髪さんの言葉は、ノックもなく部屋へ飛び込んできた別の方によって遮られました。
「アニキ、やばいっす! 銀竜騎士団だ、逃げないと!」
室内にいた全員が絶句し、次の瞬間には全員が右往左往し始めます。
銀竜騎士団って、ジョエルさまが副団長を務めていらっしゃる部隊のはず!
「ああクソ! だがまぁ誘拐されたって事実をもって公爵家との婚約を辞退する方向には持って行けるだろ。その辺の説得はマリーノのおっさんの得意分野だし、俺にやれることはやった。行くぞ」
ディエゴ卿は悔しそうにこちらを一瞥し、すぐに背を向けて大股で扉へと向かいました。部下の方々もそれに続きます。
確かにお父様が陛下を説得すればこの婚約は無かったことになるのですけど、今はとにかくジョエル様が助けに来てくださったことが嬉しくて、ホッとして、力が抜けてしまいました。
男性たちがぞろぞろと出て行って、ひとり残される瞬間を今か今かと待ちながら彼らの背中を見つめます。氷の壁がいつ崩れてしまうかと不安を抱えて過ごすヒリヒリした時間は、自分で思っている以上に負担になっていたみたいで。
扉が開きました。と同時に部屋を出ようとしていた男性たちが後方へ、つまり室内側へと押し戻されました。
大きく開かれた扉から現れたのは、輝く白銀の髪と氷より冷たい月の瞳。そして、
「銀竜騎士団副団長ジョエル・フォンタナだ。知っての通り俺には法令に反した者……貴族でさえ即刻処する権利が与えられている。それは禁じられた火薬式銃器だな、ディエゴ・カッターニ?」
氷より冷たい声でした。
私事ではございますが、明日は留守にします。
予約投稿しますので問題はないと思いますが。
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