第32話 待ち合わせなのですが
ジョエル様との添い寝についてはどうにか誤解もとけて……と言ってもジョエル様はマッテオからこってり叱られたそうですけれど。
外出の許可もいただいたとのことで、その旨をミリアムに伝えて早4日。今日はミリアムとお外でティータイムを過ごすことになっています。
ジョエル様は昨日か一昨日からピリピリしていらっしゃいました。なんでも、追いかけている案件に動きが見られたのだとか。それで今日も早朝から出かけていらっしゃいます。
私だけのんびり妹とお茶をしていていいのかしらと少し罪悪感もあるのですけど、お父様がミリアムに「未来の公爵夫人と円満に」という話をしたというのであれば、これは社交的な意味合いもあるのだと……自分に言い聞かせておきます。はい。
というわけでやって来ました、サンフラヴィア街。ミリアムに指定されたお店は通りの端のほうでした。中心部に比べると人は少ないですが、おかげで護衛の皆さんもホッとした様子。
一体何と戦っているのか、エレナが「負けられませんからね!」と気合を入れて準備をしてくれたので、頭のてっぺんから足の爪先までピッカピカです。ジョエル様にいただいた髪飾りも、防御魔法を付与したネックレスも忘れていません。よし、完璧。
私より先にお店の様子を窺っていた護衛のひとりが戻って来て、入店して問題ないとの報告をもらいました。帯剣した方は店内ではなくテラスで楽しむのが、このサンフラヴィア街の暗黙のマナーです。護衛のみなさんはお茶を喫することはなく、お外で見張りを続けてくださるとか。
お礼を言ってお店へ入り、マリーノの名を告げると奥の席へ案内されました。ピアノの演奏をすぐ近くで見られる席です。これなら話題に困っても間をもたせることができそう。
優雅な演奏に耳を傾けながらしばらく待っていましたが、ミリアムはなかなか現れません。何かあったのかしらと不安になってきた頃、どこからか利発そうな男の子がやって来ました。まだ小さいけれど小綺麗な身なりで、大店の奉公人や貴族に仕える小姓のように見えます。
「あの、あなたはマリーノ伯爵令嬢アリーチェ様?」
「ええ、そうよ」
「ぼく、ミリアム様に言われて……。ええと、フ、フリョの事故に巻き込まれて別の場所にいるから来てほしいって」
「まぁ! ミリアムは大丈夫なの? 彼女はどこにいるのかしら」
席を立った私の手を、少年が強く握って引っ張りました。
「こっち、来て。こっちから出たらもう目の前だから」
「えっ、そっちなの? でも」
少年が向かう先は店の裏口でした。
引っ張る彼の背を見ながら頭のどこかで違和感を覚えましたが、急展開する状況に混乱してそれどころではありません。先に表で待つ護衛に知らせるべきだとか、でも目の前だと言ってるしとか、ミリアムの状態が気になったりとか、頭の中がぐちゃぐちゃで。
少年が扉を押し開けた先は、サンフラヴィア街と平行に走る細い道でした。馬車なら1台通るのがやっとの広さで、ここからもう少し中心部へ進めば小規模なマーケットがあるはずです。サンフラヴィア街で働く方々を顧客に持つお店ですね。
ただここはまだマーケットと呼ぶには閑散としていて、小さな料理店や両替商などがある程度。
「それで、ミリアムはどちら?」
「貴族の姉ちゃん、ごめん」
「えっ、ちょっと!」
私の手を振り払って少年が駆け出しました。
と同時に先ほどの違和感の謎が解けました。彼は大店の奉公人や貴族の小姓であるなら当たり前に使うはずの、簡単な敬語が使えないのです。
私を外に連れ出してどうしたいのでしょう? とにかくお店に戻らないとと振り返ったとき、背後に複数の人の気配がしました。
まさか、と思ったときにはもう遅いのです。真後ろから私の口とお腹に、また別の方向からは腕に、乱暴に手が伸びて来ました。どうにか抜け出そうと暴れるたび、腕を捻りあげられます。
大きな口をあけて、口を覆う手に歯をたてることに成功しました。
「やめっ――」
「痛ってぇな!」
男の怒鳴り声と同時に、側頭部に鈍い痛みが走ります。目の前が白くなって一瞬なにが起きたのか理解できませんでした。でもたぶん、殴られたのだと思います。義母から折檻を受けることは多かったのですが、さすがに男の人は力が強い。
「おい、やめろよ。傷でもつけたら後でどやされんぞ」
「でもコイツ俺の手ぇ噛んだんスよ」
「いいから早くしろ、人が来る」
嫌がる私をふたりがかりで引きずって、待機していたらしい馬車へと押し込まれました。荷馬車に幌をつけたそれにはさらに複数の男性が乗っていて、私の手足をあっという間に拘束してしまいました。口にも布を噛まされて、声は出せません。
これは誘拐で、こんな恐ろしいことを計画したのはミリアムかもしれない、という事実に悲しくなりました。血をわけた姉妹で、どうしてこんなことを!
「聞いてたのと違って美人じゃんか」
「な。がりがりの棒みたいな女だって聞いてたのに」
「いや割と出るとこ出てましたぜ。あー、アニキの女じゃなかったら俺が食いたかったなぁー」
アニキのオンナ……って、なんのことでしょう?
耳を塞ぎたくなるような、気持ち悪い会話は馬車が揺れる間中ずっと続きました。ただ、彼らの口からミリアムの名前は出て来ません。人違いであることを祈りながら揺られること十数分。馬車が止まると、外から若い男性の声がしました。
「アリーチェに間違いないか?」
人違いじゃなかったみたいです。