第26話 多くを求めないつもりでいたのに
ここのところずっとお忙しそうだったジョエル様と、久しぶりに朝食をご一緒しています。
でも……目の下にはひどいクマ。お忙しいだけが理由ではないでしょう、きっと十分に眠れていないのだと思います。もしかして、悪夢を?
酷くうなされていたジョエル様の寝顔が思い出されます。汗ばんだ額、苦しそうな声、でも手を取ったら私の名前を……。ハッ! 私ってば何を思い出してるんでしょう! もう!
「どうした?」
「ハィッ! ええええいえいえいえ、何もありませんっ!」
対面に座るジョエル様が首を傾げましたが、深くは突っ込んで来ないまま「そうか」と頷かれました。
「この後は付与術の授業だったな」
そう言うなり、そばに控えていた侍従へ手をあげて合図をします。彼は一度出て行きましたが、手に瀟洒な箱を持ってすぐに戻って来ました。
箱が私のそばへと置かれます。天面に描かれたマークは、以前ジョエル様と一緒に行った宝飾品店のそれです。そういえばあれからもう1週間以上経ったのでしたっけ。
「魔石の加工が終わったそうだ。開けて確認してくれ。問題ないようなら、それと先日渡したメモをロヴァッティ卿へ渡して教えを乞うといい」
ジョエル様に言われるままに箱を開けると、大小の魔石が虹色に輝いていました。大きい方は私がデザインを決めた首飾りに違いありません。小さいほうは……短いチェーンの先に首飾りと似た意匠の飾りです。これは懐中時計飾りかしら。
「この小さなほうは」
「両方ロヴァッティ卿へ見せれば、いいようにやってくれるはずだ」
きっちり説明くださるつもりはないようです。もう、本当に無口なんですから。
先日喫茶店でいただいたメモは、帰ってからすぐに自分で読み解いてみようかと思ったのですが、教本を片手ににらめっこしても無理でした。
何かを凍らせる術式、何かを閉じ込める術式、何かを放出する術式、火花が散る術式、他にもよくわからないものがいくつか。どれもこれも脈絡がないように思えるのに、複雑に絡み合ってるんですもの。お手上げ―っと叫んで教本をベッドに放り投げ、机にしまい込んだまま今に至ります。
食欲がないのかいつもより早く銀器を置いて、ジョエル様が立ち上がりました。お忙しいときにはお一人だけ先に戻られることも多いので、今日もそうなのでしょう。
……んっ。
ジョエル様はなぜか私の横に立ちました。
いつもなら「ゆっくり食べていていい」とかなんとか言い残してあっという間に食堂を出て行かれるのに。
「どうかなさいましたか?」
「実はこっちも仕上がっているんだ」
いつの間にか彼の手には、窓からの光を受けて輝くアクセサリー、いいえ、髪飾りがありました。スイレンをかたどったデザインの銀細工で、真ん中には金真珠が。
「なんて素敵……!」
「向こうむいて」
「へぁっ?」
驚いている私の頭をぎゅっと手で挟んで、ぐいって反対側を向かされました。えっ、これどういう状況……。
後頭部でさらさらと髪をいじられる気配と、ひんやりとした感触。ついで心地よい重みが感じられます。
「うん……あとでエレナに直してもらったほうがいいな」
「いえ! 今日はこのままで、いい、です」
だだだだだって、ジョエル様がつけてくれたんですから! え、ほんとに?
不安になって周囲をチラっと見てみると、料理長がニコニコしながら頷いていました。やっぱりジョエル様がつけてくださったので間違いなさそうです。
「あっ、ありがとうございます!」
「ロヴァッティ卿に自慢してやれ。以前も、俺と出掛けるんだって報告したらしいな?」
「なっ、なっ、なんでっそれをっ」
一気に顔に血が集まって来ました! ほっぺが熱いです!
ロヴァッティ伯爵が言ったに違いありません。もー!
ジョエル様は春の雪解けのように静かに笑って、食堂を出て行かれました。綺麗なお顔……悔しいけどうっとりしちゃう……。
そして残されたのは、ニマニマと生温かい笑みを浮かべる給仕と料理長、真っ赤な顔の私。
「ごっ……ごちそうさまでしたっ! おいしかったですっ」
弾けるように食堂を出て自室へ戻ります。
綺麗にしてもらったばかりのベッドへ飛び込んで、枕に顔を埋めました。後頭部で髪飾りが揺れた気配がします。
うーん、最近のジョエル様ちょっと優しいというか、距離が近いというか、どうしたんでしょう? 私まだ覚えてますよ、初めてお会いした日に「愛することはないから多くを求めるな」って言われたのを!
こんなっ、こんなことされたら多くを求めないようにするの難しくない? 難しいですって!
ベッドの上で手足をバタバタ動かしていると、ノックの音が。柔らかくてちょっと早いリズムはエレナのノックです。枕に突っ伏したまま返事をするとすぐに扉の開閉音が鳴りました。
「お嬢様、食後のお茶を淹れましょうかぁ。デザート召し上がらなかったんですね? 料理長がしょんぼりしてて笑ってしまいました」
「お昼にまとめて食べます……」
「さぁさ、ドレスが皺になってしまいますわ。起きてくださいませー!」
エレナに引っ張り上げられるようにしてベッドから剥がれます。そのまま引きずられてソファーへ。エレナの力持ち具合に戦慄します。
「旦那様、今日も午後からお出かけなのだとか。もしかして、今朝はお嬢様にソレをお渡しするために時間を作ったのでしょうかねぇー?」
エレナの手元では湯気をたてながら赤い液体がコポコポと注がれていきます。早朝の庭にも似た芳醇な香りが室内に広がって、深く息を吸いました。
「そうだったらどれだけ嬉しいか」
呟いた言葉は小さくて、ポットを置く音がきっとかき消したことと思います。




